日 録 夢のなかで……    

2021年6月1日(火)

 仕事が終わったあとに首の付け根が痛くなった。上下左右に大きく振ることができない。昼すぎから後頭部に鈍い痛みが居座っていたからそれが下に降りてきたのかと考えた。

 素人診断だが、ぼくの身体は何だってあり得る。レントゲン写真に不透明肺が映ったこともそうだったが、大本はあの宿痾である。ビオチンなどを30日分処方してもらって飲み続けたが何日か前に切れている。30日分というのはお医者さんに何かの心づもりがあったのだろうが聞きそびれた。今月の通院日に訊いてみよう。

 話は逸れたが首の痛みは車の運転に支障を来す。左折時にしかと目視できないのである。自宅の近くに戻ってきてやれやれと思って左折するとすぐ近くに車が迫っていて肝を冷やした。


2021年6月4日(金)

 自分の身体はいまなら何だったあり得る、この場合の自分はぼく(一人称)である。一方、二人称の自分もあり、「そんなに言うのなら自分がやればいいんだよ」などと使う。文脈で見分けるしかないのだが、民俗学者・畑中章宏氏の「自分らしさ」(『図書』6月号)には二人称の自分は大阪方言と書いてある。そう言えばここらあたりでは目の前の人に向かって「自分はなぁ……」と呼びかけるのを見聞きしたことがない。

 本題の「枕」として書かれているが、この論文は以下のように発展してとても興味深い。

 「自分が他人からどのように見られているか、自分がいったいどのような存在なのか、私自身にも分からない、「自分」も「われ」も、二人称で使われることがある。しかしそれとは別に「私(ワタクシ)」は民俗社会では私の外側に存在するある物(傍点あり)だった」

 ワタクシの分身、女性の財産としてのワタクシ(ヘソクリ)と続き、

 「かつての女性たちは「自分」や「私」を身近に置いて(中略)、自分の分霊として、他人の目や手に触れさせなかったのだ。これをもって日本の伝統的な「自分らしさ」だった(中略)居所さえ不明な現代の「自分」や「ワタクシ」よりも、確固たる物質性と経済性と霊性を持っていることはまちがいないだろう。」

 最後まで読んで「枕」の謎が解けたような気がした。「私」はつまり「あなた」であり、時に「しがらみ」ともなる世間である。自分は自分であり、自分でない、と。


2021年6月11日(金)

 今日からの5日間は○×○×○の、いわば飛び石連休である。便宜的に○は休日×は出勤としたが、感覚としては逆かも知れない。過日、本社から課長級の人がやってきてあの人は? と所長に聞いたらしい。名前を告げると、ああ、と頷き、ずいぶんと若々しく見えるね、と感想を言ったという。その課長にしてすぐにぼくが識別できたのは最年長者として広く知られているからかと少し複雑な気持ちになったが、感想自体は歓迎すべきものだろう。

  この元気さを書くことに費やしたいのだが、ついお気楽な読書に逃げてしまう。なんとも忸怩たる思いである。奔放な想像力を駆使した推理小説『犯罪小説家』(雫井脩介著)読みながら、こちらにも少しは残っていないかと思い巡らせている、壱岐の物語が、である。


20216月13日(日)

 ワクチンの集団接種を受けてきた。予約時間の30分前に着いて市内の高齢者たちと椅子に坐って整然と待ち、誘導されるままに約1時間。接種直前の予診にはすぐ近くの整形外科医が当たった。2010年職場で膝の皿を割ったとき最初に訪れた医院の院長である。溜まった水を抜いて、K病院を紹介してくれた。その節はどうも、とは言わなかった。10年ひと昔、覚えてもいないだろう。

 血液さらさらの薬を飲んでるのね。病気は何? 心房細動です。これが一番危ないんだよ。受けていいけどね。普通は15分だけど、接種後30分待機しててね。

  ぶっきらぼうだが、腕の良いお医者さんという風情は残っていた。かくして無事に終わった。3週間後に2回目である。


2021年6月15日(火) 

 遠く雷の音を聞きながら、全開した窓から入る風を浴びていた。するとピンポン、午後8時に近いのに訪問者とはめずらしいと思いながら出てみると荷物を手にした郵便配達人が雨の中に立っていた。教え子のノリからの思いがけない贈り物だった。福岡の八女で作られた蜂蜜である。さらに感激した。いち早く父の日がやってきたような気分になった。感謝、感謝であった。

 同じ玄関ではその朝、アシナガバチの巣を取り除いたばかりだった。ガラスの前の格子板にできはじめたばかりの小さな巣だった。7、8匹が巣作りにいそしむ姿はけなげすぎた。益虫であり食用にもなるアシナガバチには悪いことをしたかも知れないと思ったのである。夜になってこの贈り物とは、どこか因縁めいて、心も浄化されていく。


2021年6月18日(金)

 練馬の義妹もやってきて3人でジャガイモ掘り。北あかりとシャドークイーン(紫ジャガイモ)のひと畝を担当した。あとに用事が控えていたので小一時間ほど手伝っただけだったが、大きなイモがゴロゴロ出てきた。楽しいが、けっこうな重労働である。

 用を済ませて戻って来ると庭にテーブルを出して、隣人も交えて談笑中だった。向こう一週間は梅雨空が続くというので今日が最後のイモ掘り日和だった。収穫量は、カゴ4杯分。(翌日の夕食には北あかりを使ったコロッケが出た。とろけるように甘い味がした。)


2021年6月21日(月)

今日は夏至である。一昨日も、その何日か前も、今日は何の日? と考えた。それぞれが太宰治心中、樺美智子さん安保闘争の死、と分かるが、これらのメモリアルな日々は遠くなってゆくのだなぁと感じた。そこに象徴的な意味をみる。


2021年6月25日(金)

 明け方、キスをする夢を見た。唇にちょっと触れただけだったが、甘やかな味がした。もっともこれはぼくの勝手な思い込みに過ぎない。一瞬の隙を突かれた彼女は拒否する間もなかった。キョトンとぼくを見上げた。嫌がっている風ではないが、なんでそうなるの? と問いかけていると思えた。

 その直後彼女の居所が分からなくなり、ぼくはあちこち探し回るのだった。いまのぼくよりいくつも若いぼくは、この行為の意味を見出すために、彼女を見つけなければならなかった。

  まったく馬鹿げた夢である。生活感がない、切実さがない、温もりがない、葛藤がない、ないないづくしであった。ついに見つからず、その人はほんとうに夢のなかに消えたのだと思い知る。幻の人だったのである。

 1965年に開業したJR広島駅ビルが1年2ヵ月かけて解体された。67年に広島に行ったときは建ったばかりの駅ビルだったのだ。以来5年間、ずっと見慣れてきたぼくの玄関口だった。25年には20階建ての新ビルとして生まれ変わるという。

 また、広島大学の法学部が23年に元の場所(東千田町)に戻ることになったというニュースも聞こえてきた。28年ぶりの「都心回帰」、いまも記憶に残っている周辺の町並み、その再びの活性化が期待されているという。

 短い、身近な歴史の明暗、浮沈。明け方の夢との関連はあるのだろうか。あるかも知れない。


2021年6月29日(火)

 通院日。先生にいくつか訊くことがあった
ワクチン接種の可否はすでに1回目を受けているし、先回処方された薬ビオチンなどがなぜ30日分しかなかったのかはすでに済んだことである。後先が可笑しいが、それでも訊いた。

 30日分というのは「お試しのようなものです。続けてみますか」と茶目っ気たっぷりに答えてくれた。ある意味では予想通りだったが、30日が過ぎ、薬が切れた後に痛みが出てきたような気がするので「続けたいです」と答えた。

 ワクチン接種については「問題ないです。高齢者は副反応もほとんどないようですから」との返答であった。血液さらさらの薬を飲んでいるというと普通の人の倍会場で待機させられました、と話すといろいろと説明してくれた。「倍待機」というエピソードをさも可笑しげに言ったつもりだが、真面目に受けてくれたのである。医師としては当たり前のことだが、こちらは肝心の回答部分をすっかり忘れてしまった。不真面目になるとこんな罰を蒙る。

 それでも何時間か経ってから先生の回答を一部思い出した。曰く「筋肉の中には毛細血管がたくさん張り巡らされていて、会場にいた先生はその損傷を心配してくれたのでしょう。大丈夫ですよ。」


 


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