日  録  停電の夜

2021年7月1日(木)

 木曜日はNHKラジオの番組「民謡をたずねて」を聞きながら帰る習慣ができた。流れてくるどの唄もなかなか味わい深いが、今日は「鈴鹿馬子唄」を聞くことができた。アナウンサーは「仲間と心をひとつにする仕事唄」として紹介していた。

「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」という唄だが、「あいの土山」の「あい」とはなんであるかと疑問を持った。東海道は伊勢の坂下宿から急峻で曲がりくねった山道を登り、峠を越えたあとの次の宿場町が土山であるのだ。いままでなんとなく「間の土山」だと思っていたがこれはやはりおかしい。富岡多恵子の『間の山殺し』に歪曲されたのかも知れない。

 半世紀近く前土山中学校の「郷土クラブ」に入っていた者としては見過ごすことができない。ネットで検索すると甲賀市のホームページに誘われた。

「東海道のなかで箱根に次ぐ難所とされた鈴鹿峠は、人や荷物を運搬する馬子が重宝され、活躍していくようになりました。鈴鹿馬子唄はそんな馬子たちの労働歌として生まれ、後に人形浄瑠璃などの演目の中で登場し、広く知られることとなりました。(中略)「あいの土山」の「あいの」には諸説あり、いまだに定説がありません。」とあった。

以下「鈴鹿峠を挟んで相(あい)対するから」「本宿に対する間(あい)の宿だったから」というのから「当時藍染めが盛んだったから」「鮎が特産物であったから」など8つの解釈が並んでいる。確かにどれも決定的とは思えなかった。8つの仮説を何度も読み返しながら元郷土クラブ生は「愛の土山」という説は成り立たないのかと本気で考えているのだった。


2021年7月2日(金)

 終日雨。初山名物、無病息災祈願、期間限定発売という「あんころ餅」をひと口かじった拍子に前歯が一本ポロッととれた。これは縁起でもないと鏡の前に立った。差し歯のようであったので歯茎に当ててみるとすっと納まった。

 こんどとれたら袋に大事にしまっておいて歯医者さんに行かねばならないと、その後はおそるおそる口を動かせていた。いまのところ大丈夫のようだが、問題はこれが差し歯だったことをまったく覚えていないことに移った。

「いつ差し歯にしたの?」と配偶者に訊くと「本人が知らないことを私が知っているわけないでしょ」。それはその通りである。懸命に記憶を探ってみたがわからない。それほどの遠い昔か。

 お茶の水の大学病院まで通ったのは30代の前半である。塾の教え子がインターンとして目の前に現れてびっくりした。そのときなら40年前である。いまも診察券が残っているのは卵の彼との再会を記念したかったのだろう。その20年後彼は当時住んでいた団地の近くに開業した。縁は続いたが、彼が入れてくれたという確かな記憶はないのだった。

 これもあれも、縁とは不思議な物である。よいことも悪いことも一色多(いっしょくた、こんな仏教用語が飛び出すのもほぼ40年ぶりである)。


2021年7月4日(日) 

 フルボッコ !? ネットで検索してみると2018年の記事に「フルパワーでボッコボコにする、またはされること」とあった。「チョベリバ」「KY」など構造的あるいは来歴的にはほとんど変わっていない「新語」のようだが、ゲームもツイートもしないぼくにはその意味は予想もつかなかった。わかるわけがない。

 有給をもらって2回目のワクチン接種を受けたあと、アルバイト先の50代の社員に「知ってますか?」と得意げにメールすると何時間かあとに返事があった。「いま倉庫のなかはオリンピック用の食材で溢れかえり、フルボッコですよ。ワクチンはどうでしたか?」

 これは誤用じゃないか。あるいは新語の新文例?


2021年7月12日(月)

 3年ぶりに歯医者へ行った。来院の目的は3つあった。前の差し歯が抜けたのでもう一度固定してもらうこと、その隣の歯の欠損(虫歯)を補綴すること、そして奥歯で冷たい水が沁みるようになったこと、である。初診扱いだったので問診表にもとづく予診に約1時間。研修医が当たった。いずれも、いつから? と聞いてくるので、

「差し歯が抜けたのは一週間前、沁みるようになったのは2、3ヵ月前」などと記憶を探りながら答えた。「差し歯などはこれが差し歯であることなどすっかり忘れていたので、40年ほど前に入れてもらったのではないでしょうか」とも言った。

 研修医から代わった初診担当の老医師は「40年前か、元をとったね」と意味不明のジョークを言い放ったが、主治医が決まるまで待機しているとカルテを指さして「この差し歯はちょうど4年前にここで作っているよ」と笑うのだった。カルテは動かぬ証拠である。記憶が抜け落ちていたばかりに期せずして10倍もサバを読んだのである。

 前歯2つについては主治医となった大きな体格の先生が、1時間以上かけて目的に叶った治療をしてくれた。「あと少し」「これでいいか」などとひとりごとを言うくせはあるが、修復なった前歯を見て「職人技」と感じ入ったのである。3年前まで約2年間担当してくれたのは東北なまりの先生だった。いまやっていること、これからやることを、詳しくわかりやすく説明してくれた。技倆と知見を併せ持つ優秀な先生だった。なのに差し歯のことを忘れていたなんて。ごめんなさいと謝るしかない。


2021年7月16日(金)

 一通りの用を済ませたあと「しまむらに寄って」と配偶者が言う。「何を買うの?」と訊けば「もんぺ。置いてるだろうか」。俄然興味を覚えたので従いてお店に入った。早速配偶者はレジの店員に「もんぺってあります?」と聞く。「足首部分がぎゅっと絞られたズボンですよね」。お、あるんだと内心思いながらその場所に導かれていった。

 母たちの世代の木綿・絣のものをどうしても連想してしまうが、そこには足首の絞りこそないが、すっと裾が細くなったズボンがたくさんあった。どれも地味な柄である。配偶者は普段着(兼農作業)用に2本買った。

 いまはモンペと言えば「モンスターペアレンツ」のことのようだが、もんぺの実体とことばが消える前に、その謂われを知りたいと思った。山袴(やまばかま)、裁着(たっつけ)、軽衫(かるさん)、裾細などといろいろな呼び名があるらしいが、もんぺはそれらの固い名称のあとに出てきた、確定した語源はないと研究書には書いてある。

 なぜもんぺというのか、いよいよ知りたい。「もんぺ」は夏の季語、そんな由緒あることばに典拠がないなんて。ちなみに夏の着物「甚平」は陣羽織から来たという説が有力らしい。その伝で行けばどういうことになるのだろうか。梅雨明け記念の疑問である。

 
2021年7月23日(金)

 連日猛暑が続く。休みの日はほとんど家の中にいるが、3日前はシュリンクの『朗読者』を原作とした映画『愛を読む人』をパソコンで観た。原作はとてもよかった。本棚のどこかにあるはずだが探せなかった。文庫本を注文してもう一度読んでみることにした。知との闘いともいうべき小説だったがその印象は甦るだろうか。それにしても映画の邦題はまったく知のかけらもない。映画そのものは十分に楽しめるものだったのに惜しい。

「そもそもパンデミックのなかでの開催は有り得ない。」流行語大賞になり得る名言だと思うが、明言した人は「それでもやる以上はあらゆる施策をとって欲しい」と言ったのであった。

 開催を前に、開会式などイベント責任者だったという元芸人とミュージシャンがそれぞれ解任され、辞任した。過去の言動を聞くに及んでこの人らには想像力がないと思った。したがって知からもっとも遠い人らである。「安心安全」を念仏の如くとなえる人たちにしてこの人らあり、あるいはその逆かも知れない。仲間内の井戸端会議がそんな人たちをよびよせる。スポーツを観戦するのは楽しいが「五輪」という看板には辟易する所以である。


2021年7月30日(金)

 28日午後8時ごろから4時間あまりにわたって停電した。強い雨と激しい稲光・雷鳴が1時間以上続いたあとに突然暗闇が訪れた。11時過ぎになって市の防災無線が「現況」を説明していた。最後の「復旧の見通しは立っていません」だけはやけにはっきりと聞こえた。長期戦か、と覚悟してベッドに潜り込むとほどなく部屋の中がぱっと明るくなった。早かった、良かったと思いつつ、それでもこんな長い時間にわたる停電は10年前の「計画停電」以来のことだった。

 次の日まで停電が解消しなかったのは田舎での「台風」の時である。あれは伊勢湾台風だといまなら見当が付くが、台風が近くに上陸すれば停電は当たり前だった。眠るどころか、灯りのろうそくを囲んで兄姉たちと遅くまではしゃいでいたものだった。普段はろくに話もしないのに、これも普段は滅多にないおやつのお菓子をかじりながら。まるで暗闇のなかのお祭りのようだった。久々の停電で、そんな昭和の一日を思っていた。


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