日  録  楽観半分、諦念半分

2021年8月2日(月)

 最低気温が26.7℃だったようで、寝苦しい夜だった。ほぼ2時間おきに起き、その度に水を飲んで凌いだ。3時半には配偶者も同時に起きてきたので「水を」と促した。「うん」と応じた。昨日まで朝がなんとなく爽やかだったのは気のせいではなかった。ちゃんとした理由があるのだった。このあと5、6日間は25℃越の熱帯夜が続くそうである。

 日中はもっと暑かった。外にいるのが辛かったが、帰り着いて玄関先の龍眼の木を見るとこの暑さをいよいよ楽しんでいるようなので少し嬉しくなった。寒さの厳しい冬が来たびに枯らし、陽春とともに芽を吹き返してきた。もう何度目になるのだろうか。今年もここまで葉を繁らせてきた。強運の木である。宮内勝典さんにもらった南九州来歴の木である。いま本州にある龍眼はこの一本だけだ、おそらく。再び実を付けてくれることを願っているのである。


2021年8月6日(金)

 ヒロシマの日。家のなかで黙祷時間の8:15を迎えるのは何年ぶりのことだろうか。8時少し前にテレビの前に坐って平和祈念式の中継に見入った。松井市長の「平和宣言」、子供代表の「平和への誓い」はともに実(じつ)のあることばで語られていた。小学6年生のふたりの児童は冒頭「私たちには使命があります」と呼びかけ、

「本当の別(わか)れは会えなくなることではなく、忘(わす)れてしまうこと。私たちは、犠牲(ぎせい)になられた方々を決して忘れてはいけないのです。 私たちは、悲惨な過去(かこ)をくり返してはいけないのです。」

 それに引き換え菅首相のことばは心の底に響いてこなかった。情けないことであった。あとで原稿を読み飛ばした個所があると報じられた。さもありなん。NHKの字幕もいつの間にか消え、この後すぐに放送も終了した。あわててCSのTBSニュースに切り替えると続きを中継していた。ひろしま平和のうたや国連のグテレス事務総長のビデオメッセージも聞くことができた。こちらは字幕がなかったので内容はわからなかったが、わが総理大臣よりも親身に迫った。

 広島の街はこの朝すでに28℃だという。猛暑日が予報されている。


2021年8月9日(月)

 配偶者のLINEにボイスメッセージが入った。約5秒。一度も会ったことのない「伯母さん」へ5歳半になる孫娘は緊張することもなくはっきりとした口調で「おたんじょうびおめでとう」と言った。初めての呼びかけに感激した娘はすぐに返答したらしくそのメッセージも聞いた。約11秒。

 あ、ありがとう。9月にこっちへ来たときにあおうね。

 緊張ぶりが伝わる言い方だったが、どこかで聞いたことのある声音のような気がした。それは配偶者も気付いていたらしい。「わたしとそっくりな声、言い回しだった」。賢い孫娘は「おばぁちゃんが替わりに吹き込んだんでしょ?」と訝るかも知れないと祖父はあらぬ老婆心であった。


2021年8月13日(金)

 ドメスティックな用事が重なって身も心もせわしない一日だった。備忘のために書いておけば、振込2銀行3件、買い物(付き添い)、お盆のお供えとして和菓子購入と宅急便手配、オイル交換、お風呂の蛍光管取り替え。間でいったん帰宅したが外での用事は延べ5時間に及んだ。

 唯一家の中での作業・蛍光管取り替えはその位置があまりに高いので折りたたみテーブルを持ち込みその上に厚い座布団を置いてやっと届く状態である。それでも背伸びしなければ届かず、カバー外し付け替えの間中配偶者にぐらつく足元のテーブルを支えてもらわねばならなかった。ということで、「身も心も……」だったのである。

 行く先々で人の多さに驚いた。世間はお盆休みである。


2021年8月15日(日)
 
 娘の2回目のワクチン接種のために有給休暇を取った。1回目は約4キロ先の会場まで往復タクシーを使ったというので、それでは経済的負担もあり、副反応を気に掛けながらタクシーを呼ぶことのストレスもあり、大変であろうとあっしー君を買って出たわけである。

 先月ぼくは自分のワクチン接種のために有給休暇を一日取ったはずなのに今月の給与明細に反映されていないことを発見した。調べてもらうと他にふたり同じ事例が見つかった。来月分で調整します、という結論に落ち着いたが、双方の疑問は他のふたりからは何の申し出もないということであった。

 気付いたぼくはそのふたりに感謝される立場にいるわけだが、おそらく手取り額しか見なかったらしいふたりはよほど鷹揚で、ぼくはよっぽどせこい、と自己嫌悪に陥ってしまうのである。気付いてしまったぼくも気付かずに平気なふたりも、ともに日本人だなぁ、と思うのであった。以上有給休暇異聞でした。


2021年8月17日(火)
 
 テレビが「音は出るが絵が写らない」状態になったのは11日から12日にかけてだった。アンテナ・チューナーなどを提供しているJ:COMに来てもらう手配をした。診断結果は「テレビの液晶画面が壊れている。買い替えるしかないです」。これが16日のこと。

 次の日の今日、ネットを見たあと家電店を巡り、3軒目のお店でインターネットに接続できる機種を買った。バーゲンセールで格安ではあったが想定外の散財となった。こんなに早く「テレビ」が戻ってくるとは自分でも想像できなかった。

 朝と晩のニュース、カープの試合しか見ないテレビだが、ないと寂しいのである。茶の間の「BGM」である。早速インターネットにつないでみるとNetflixもYouTubeも見られる。これは、ADSLから光ファイバーに代えたときプレゼントされたWiFiのおかげである。ついていく気はしないものの、世の中の進化は想像以上のものである。それではそろそろスマホに代えねばならないのか。


2021年8月24日(火)

 藤田瞳子『若冲』が手元に届いた。いままで我慢してきたロキソニンをついに一錠飲んだ。ここ何日か続いていた肩甲骨の痛みが消え、本に向き合う気になった。。

 幼なじみが昼寝の夢に出てきた。丘の上の公園に高級車でやってきた。自動車のセールスマンだったがもう仕事はしていないという。数日前に○○やん(彼のことをそう呼んでいた)の夢を見たんだよと言った。それは本当だったが夢の中で夢の中身を告白するのが可笑しかった。

 自意識過剰が他人が自分のことをどう思っているかを気にかけること、つまり他人を忖度することだとすれば自意識は他人を思いやる心となるのだろうか。


2021年8月31日(火)

 通院日だった。高血圧症のために通い始めて十数年が経った。2年ほど前には「心房細動」が加わった。人間ドックの心電図で何年にもわたり指摘されていたがさほど深刻な病気とは思わずにほったらかしにしておいた。ある日仕事仲間がそのせいで早退、手術を受けることになったというので、どこかで聞いた病名だとわが身を振り返った。次の通院日に「告白」すると、すぐさま心電図をとり、血液さらさらの薬を処方してくれた。

 さらに今年に入って、胸のレントゲンからCT検査の必要を指摘され、その結果「SAPHO症候群が疑われます」と診断された。肺の白い影は当時猛烈に肩の関節が痛かったのできっとそのせいだと予想したとおりだった。自慢にもならないが、ついに30数年来の「掌蹠膿疱症」をカミングアウトしたのだった。決定的な治療法ではないが、と言いながらも主治医はビオチンなどのビタミン剤を処方してくれた。

 奈美悦子がこれで「完治」させたというのがビオチンだった。以来欠かさずにそれらを飲んできたが、効果があるのかどうかはわからないまま、一週間ほど前から五ヵ月ぶりの痛みに悩まされていた。というわけで本日の通院の最大の目的は主治医には新参の「掌蹠膿疱症」であるのだった。

 遅ればせのビオチン療法、本当に効くのですか、とそれとなく聞けば「膿疱はどうですか」左足の靴下を脱いで「膿疱ができるのが間遠な感じはします。いまはほとんどないです」「もうすこしですね。塗り薬、塗ってください。ビオチンは何年も続けて飲んでいる人はいます。続けてみますか」

 自分の身体は自分で管理せよという言に納得するものの、自分の身体はまことに不可解だとも思ってしまう。成るように成るしかないとか、やがて治まるだろう、などと思うのは地が百姓のためだろうか。自然も身体も一体? 楽観半分、諦念半分。



『若冲』読了。若冲の妻も、腹違いの妹も、義弟も、ほとんどが創作のようである。若冲に依って、物語を紡ぐ、これは凄い想像力である。


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