日  録  絵本『せんろはつづく』 

2021年10月1日(金)

 台風とともに10月がやってきた。朝から雨が降り、少し風も吹いている。冷たい風だ。

「LINE」を通じて古くからの友人は「くれぐれもスマートフォンにはハマりすぎないようにご注意ください(笑)」と忠告してくれたが、その「甲斐」もなく手が空けばいつしか指を動かしているのである。特に目的があるわけではないので「ハマる」以前の状態のようである。実際、ふと我に返れば「他にやることはないのか?」と内側から声が聞こえてくる。それにはまともに反論できないが、「なんか気になるんですよね」と自答する。そうだ、人を好きになるときのはじまりととてもよく似ている。


2021年10月5日(火)
 
 父祖伝来の地・安曇野で米づくりを行ってきたTさんから今年もお米が届いた。添えられた肉筆の手紙には、

「昨年の体調悪化から、なんとか回復し日常に戻りました。今年も何とか稲作を完了し、みなさまにお届けできる運びとなりました。近所の青年に力仕事をお願いして例年と同じ収穫となりました。(中略)地酒も増え、世の中の落ち着きを待って、ゆっくり、信濃を味わってもらおうと、日々念願しております。」

 と書かれていた。かつてのような長尺の手紙ではないが、詩心の溢れる文面であった。2字判読できない文字があったので前後のことばで検索してみた。すると、

《麻績(おみ)村では、昔からの伝統技術である「はぜかけ」が盛んに行われています。太陽の光と自然の風により2週間ほどかけてゆっくり乾燥させるため、米の熟度が進みおいしいお米となる「米と自然にやさしい乾燥方法」です。》

 添えられた写真を見ると稲刈りのあと田舎でよく見た風景である。Tさんはいまもなお収穫の大トリを(乾燥機ではなく)この「はぜかけ」に託しているわけだ、とやっとその心意気に思い至った。送ってもらうようになって十年以上経つのに迂闊なことであった。夜には礼状を書こう。近年すっかり使う場面が減った万年筆で、と思った。


2021年10月8日(金)
 
 7日夜、東日本大震災以来10年ぶりという大きな地震があった。寝入りばなにたたき起こされたが、それが揺れのせいかスマホの緊急地震速報のせいかわからない。LINEには安否を気遣う連絡がいくつか入った。こちらは埼玉でも西部に近い、震度は3か4だったので大丈夫と返信した。帰宅途中の娘だけは停車中の列車の中から苦境を送ってくる。4キロ先のいつもとはちがう駅に着いたのは午前2時であった。わが家の被害と言えばこれだが、帰宅難民にならずに済んだ。

 その前日の夕方には南九州で地震があった。宮崎の友人にLINEからお見舞いを送ったところすぐに電話が入った。「ここらはちょっと北の方なので大丈夫だよ」という。すぐに車を走らせて帰路を急いでいるとまた電話が鳴っている。出るわけにはいかないので、コンビニの駐車場に車を停めて「ただいま走行中。夜にでも掛け直すから」と連絡した。ともにスマホ初心者である。

 30分ほどあとにまた電話が鳴った。再び車を停めて電話すると「ビデオ通話にしてよ」と言う。ボタンを押すと友の顔がアップで現れた。ぼくの顔も向こうのスマホに大きく写っているのだろう。年寄りになった姿をさらしているわけである。スマホを向けられてキッチンにいる奥さんもにこやかに手を振ってくれた。約7分の通話だったが、前後の経緯も含めて、スマホとは実にせわしないものであると観念した。


2021年10月12日(火)

 網戸の開け閉めが長らく不都合を来していた。開けるとき、かくんとつんのめってレールを外れてしまう。閉めるときもしかり。その先に物干し台がある網戸なのでこの不都合はみなのストレスとなっていてそろそろ限界を迎えていた。原因は下端のみぞにはめ込んである戸車が壊れているせいだろうと思い、新しい戸車に取り替えてみた。イメージとしては、その途端になめらかな開閉が戻ってくる、はずだった。

 すぐ済むはずが何十分もかかった。外れることはなくなったもののギクシャク感が残っているのである。何度もはめ込みを繰り返しているうちにレールが歪んだか、いまだ原因は特定できないが、いずれにしても戸車2個約500円ですんなりと不具合あるいはストレスの解消とはいかないようだ。


2021年10月19日(火)

 隣人から袋井の厄除け観音法多山の名物串ダンゴをお土産にもらった。朝早くに出かけて列に並んで買ったという。ていねいな手作り感に溢れた、美味しいダンゴであった。袋井は「東海道のちょうど真ん中」、かなりの距離があるので、ちょっとした旅であったのだろう。われもまた旅に出てみたいと思った。

 先日孫に送る絵本を買った。選んだ一冊は『せんろはつづく− にほんいっしゅう』。日本を10いくつかの地区に分けてそこを走る列車のイラストが圧巻だった。地図が好きだと聞いていたので迷わなかった。頭の中ではあの童謡(原曲名I've been working on the railroad)が聞こえていた。作者はこんな風に書いている。

《どこかへ行きたいという生物としての本能があるから、乗り物絵本を好きになるのだと思います。人の暮らしがあり、電車があります。日本の、山あり谷ありの自然の中で、昔の人たちが列車を走らせようとした結晶が今の線路と列車の数々だと思います。》

金の星社の同じホームページにはこんな訂正記事もあった。《 【誤】りくとうせん→ 【正】りくうとうせん 謹んでお詫び申し上げ、ここに訂正いたします。》本が届く頃にこの記事も送らねばならない。陸羽東線は記憶に長くとどまるかも知れない。


2021年10月26日(火)

 読んでから観るか、観てから読むか、となれば断然前者の方だと自認しているが、『ハンニバル』だけはちがった。『羊たちの沈黙』のながれで観た記憶がある。残酷な場面もふくめてかなり細部までおぼえている。ことに最後のシーンはちよっと衝撃的かつロマンチックな香りがした。

 本棚の中から文庫本の『上』(新潮文庫、平成十二年四月三十日三刷)が出てきたので、記憶に後押しされるように読み始めた。20年以上前の本なので黄ばんでいるが支障はない。『下』は見当たらなかったので買った。奥付を見ると令和二年七月五日十刷となっていた。

 読み終えてみれば、原作にかなり忠実に映画は作られているという印象を持つが、それは「story」のことでしかないと思われてきた。クラリスやレクター博士の個人的な歴史や時間の可逆性などの理論は「ことば」でしか表現できないのだろう。今この時期で有益な読書だったかは自分でも不明である。


2021年10月29日(金)

 4時から歯学部付属病院。治療椅子からとなりの大学のキャンパスが見下ろせた。メイン通りの欅並木はもう色づいているが落葉の気配はない。今日の主なテーマは前歯の補綴だった。仮の差し歯が取れたのはいつですか? と訊かれたのであのあとすぐに、と正直に答えた。取れたらすぐに電話して来てくださいと言われていたのにそうしなかった。二ヵ月間欠けたままにしていたのだった。

「土台を作って新しい仮り歯を付けますが、もし土台も取れた場合は必ず来てください、そのままにしておくとばい菌が入り込みますので。」「取れた仮り歯は自分で付けることもできますか?」と訊くと「アロンアルファは使わないでください、絶対に。剥がすのに苦労しますので」と忠告された。そんなことをする人はまさかいないだろうと声を立てて笑うと「たまにいらっしゃるんですよ。かぶせものの銀歯なんかを」。なぜかまた可笑しくなった。

 今回は念を入れて、土台と両となりの歯にアロンアルファほどには強くないセメダインで接着してくれた。2週間後の次回まで取れないようにせねばならない。




過去の「日録」へ