日  録  鏡に映る顔

2021年12月3日(金)

 師走に入って3日目。氷点下の気温に近い朝が寒い。おかげで庭のモミジは紅葉しはじめた。つるし柿の向こうで燃えさかっている。「なんで赤くならないのかなぁ」と嘆いたのはついこの前のような気がする。季節は確実に進んでいくようだが、めまぐるしくて、若干情緒不足だ。それでも、干し柿と洗濯物の向こうに「錦繍」を楽しむ、いっときの至福。


2021年12月7日(火)

 先週の土曜日(4日)は、仕事中朝から下腹の痛みが起こり、帰宅後も続いた。食欲からも見放されていたので、少し夕食に手を付けただけでベッドに横たわった。夜中まで異変は続いたが、明け方にはけろっと已んでいた。

 昼すぎに名古屋の友から、親類や知人の安否に一喜一憂の日々ですなどというメールが届いて、あのときの異変と向き合うことになった。すなわち、

「変わりなく過ごしておりますが、3日前は終日下腹のイヤな痛みに悩まされました。近年にはめずらしく、また尾籠な報告ながら、嘔吐や長時間の下痢で「完了」し、その後は何ごともなしの状態です。感染性胃腸炎も疑いましたが、それでもないようです。どこかに原因が潜んでいるのでしょうが、考えてみればもういい歳なので、何かが起こり、何に「発展」してもまったく不思議ではないのですな。お互い体調に気を付けて、いつまでも元気でいたいものです。」

 と返信したのだった。あまり連関はないが、徳田秋聲生誕150周年にちなんで新版『あらくれ・新世帯』(岩波文庫、解説・佐伯一麦氏)が刊行されている。読んでおこうと思った。


2021年12月10日(金)

 命日の12月9日に『ただ、詩のために−岡田幸文追悼文集』 が届いた。 どなたのどの一篇も、幸文さんへの敬意、哀悼に満ちていて、心を震わせながら読み進めてい.る。

 夫人の山本かずこさんとともこの本の編集にあたった中村剛彦さんは、そのあとがきで「岡田さんが世を去ってもうすぐ2年(中略)、この間、新型コロナウイルスのパンデミックで世界は大きく変節しましたが(中略)、追悼文を何度も読み直しているうちに、もしかしたら世界は変節したのではなく、元に戻ったのではないか、という思いが強くなってきました。」と書き出しておられる。これは凄い叡智ではないか、惹き込まれるようにして読み、その展開に目を瞠った。座右の銘などということばがあるが、この本は座右の銘の本として残っていくだろう。

幸文さんは、詩への愛、人への愛を全うしていかれたのだと改めて思った。この「詩」と「人」の間にはまちがいなく山本さんや中村さんたちがいる。そういう人がこの本を創ったのである。願わくばわれも、末端につながろうとする。不遜か。


2021年12月11日(土)

 家に戻ってみれば神棚の横に置いておいた電波時計が正しい時刻を示していた。

 前の日、大理石の重厚な置き時計、居間では唯一正確な時刻を教えてくれる時計、それが止まっていることに気付いた。新しい電池に入れ替えて、なかに貼ってあった手順書にしたがってボタンを押していった。「強制受信→受信ボタンが点灯のち1秒間の点滅(最長15分間)→点滅が消えたあと受信確認ボタンを押す」そしてここから二手に分かれるのである。すなわち青色の受信ボタンが「点灯すれば成功、点滅ならば失敗」。

 何回試みても成功しなかった。ネットで調べると受信できないときの受信方法がいくつか出ていた。もっともわかりやすいのが「場所を変えてみる」だった。そこで居間から出て神棚の横となったのである。それから最長約20時間後に電波を受信したということになる。置いた場所がよかったということだろうか。

 長く勤めた塾を辞めるとき記念にもらった時計である。手渡しながら塾長は「これからまだ長い人生が待っているのですから、是非有意義な時間を過ごしてもらおうと思って」と言ったように記憶している。あれから12年、その通りだと、いまになってやっと共感する。あれもこれも、電波時計が止まらなければ甦らないことどもである。


2021年12月14日(火) 

 けやき台の歯学部付属大学病院へ。大きな目的は欠けた前歯を補綴することであるので、担当の先生が代わった。

「この3年の間に近くの歯医者に行きましたか?」
「いいえ」
「3年間の歯垢・歯石が溜まっていますから、まずその除去。口内のクリーニングもしておきます」ということで、ガーガー。
「定期的に歯の掃除に歯医者に行ってください」

 3年前に作ってもらった部分入れ歯については、「日常的にはめて慣れてください。ご飯食べるときに煩わしければ、外してもかまいませんのでまずは慣れること」。ご飯をよりよく食べるための入れ歯なのに、この逆の発想は目からうろこだった。装着したときの異和感のためにご飯が食べられないので、3年間ほとんど付けてこなかったからである。こんどから食事時は外して、まず慣れようと思った。

 新しい前歯は保険外のセラミックにしますか、保険適用のプラスチックにしますか、と問われたので、まずはいくらかかるか訊いてみた。セラミック10万、プラスチック6千円。選択の余地はない。

 こちらからも訊きたいこともあった。「最近ものを食べているときに左側の舌をよくかむことがあるのですが、歯と関係ありますか」

 すると先生は、「左の上の歯は欠けています。舌で触るとざらざらとした感じがあるでしょう? でも舌をかむことと直接の関係はないです。歯が少なくなっていくと、口の中で舌の行き場所がひろがり、舌が大きく広がって、歯でかむことになるのです」。

これもなんとなく納得したが、半ば狐につままれたような感もなくはなし。肥大した舌なんてものは奇譚にぞくするではないか。

 新しい先生、とても若い先生だが、来年2月まで3つも予約を入れてくれた。

「これで(やっと)前歯が入りますか」
「ちょっと微妙。土台はまちがいなくできていますがね。」

 歯医者通いはまだまだ続く。道のりは遠い。

 
 ※ 「潦にわたずみ)」は、雨が降ったりして地上にたまった水。または、あふれ流れる水。水たまりのこと。


2021年12月24日(金)

 ぼくの生まれ育ったところは戸数80(当時)あまりの村だった。それぞれ屋号で呼ばれることが多かった。うちはしょうざであり、路上で老婆にお前は誰だと訊かれれば「しょうざの子や」と答えたものだった。その方がわかりが早かったからだ。親戚筋では、いざや、ひこざ、うよも、などがある。80のうちいま覚えているのはほとんどないが、3代くらい前の祖先のファーストネームだったようである。

「さしよそ」と呼ばれている家があった。主人が指物師の与惣次だったのかも知れない。道路の一段下に家が建ち、道に面したところは人の背の高さくらいのガラス張りになっていた。都会で言えばショーウィンドーのようであった。何回か訪れたことがあるが何の用事だったのか覚えていない。それにしても山奥の村で生業として成り立っていたのかと思えばいまは不思議な感じがするのだった。

 指物というのは「板材を組み立てて木製品をつくること」とあり「古くは家具、調度類をつくること」である。いわゆる木工芸……といえばやはり木地師を連想する。その里・小椋谷は山奥のわが村と地続きの鈴鹿山脈の麓に位置している。すなわち、

《小椋谷とは、このあたりの「君ヶ畑・蛭谷・箕川・政所・黄和田・九居瀬」の六ヶ村のことをいい、この中でも「君ヶ畑・蛭谷」の集落が「木地師の文化」を色濃く残しています。君ヶ畑には、惟喬親王を祀る「松御所(たかまつごしょ)金龍寺(きんりゅうじ)」と、「大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)」があり、蛭谷町には、「筒井公文所(つついくもんじょ)」と「惟喬親王の御陵(ごりょう)」、「木地師資料館」などがあり、当時から「木地師集団の支配所」として、全国の木地師たちの保護・統括をしていました。》(木地師|知る|みんなの奥永源寺 (okueigenji.co.jp)

 2キロ先のとなりの集落には小倉姓がたくさんあり、少しまた離れた村は筒井姓ばかりだったが、さしよその住人が小倉または小椋あるいは筒井であったかどうか覚えていない。残念なことである。


2021年12月28日(火)

 通院日。診察を終えて薬局へ。ほどなく名前が呼ばれて女性の薬剤師さんに面会すると、「こんなことが書いてあるのですが、そのようにしますか」と訊かれた。見せてもらった処方箋には「薬局へ:錠も分包を希望」とある。「いえいえ、いいですよ」「そうですよね、先生の勘違いですよね」

 席にもどってしばらくすると「もしかして、あれか」と思い当たった。2種類のビタミン剤(顆粒)と一緒に整腸作用のある錠剤をふたつ服用するように言われているが、錠剤が70粒残っていた。そのことをお医者さんに告げたのである。

 余らせるのは悪いことのように感じて今回その分を減らしてもらうつもりだった。ところが先生は「セットになっているので、それはできないと思いますよ」そんな会話を交わしたのである。余っている理由は半ば確信犯(できるだけ薬は飲みたくない)だった。先生はそれを度忘れ(惚けの類)と勘違いして「ならば、そうならない策を授けよう」と考えたのにちがいない。

 一日3回、一回に2錠、84日分、合計504錠をどんな風に「分包化」しようというのか、いまだにイメージは湧かない。代わりに昨日床屋さんの鏡に映った自分の顔が思い浮かんだ。こりゃあ、相当年寄りだ。ところが家の洗面台の鏡ではそれほどでもなかったので、まだまだ惚けません、ぼけてはいられない、と思うのだった。


12月31日(金)

オオミソカとオミクロン、最初のオしか似ていないのに、連呼したくなった。過ぎゆく歳月の早さには日々驚かされる。

みなさん、よいお年をお迎えください。


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