日  録  「純心の詩人たち」 

2022年1月4日(火)

 正月三が日が過ぎてやっと三連休に入る。遅ればせながら、

 あけましておめでとうございます。本年もご愛読のほど、よろしくお願いします。

 と、今日は去年と同じく、近くの笠幡・尾崎神社に初詣でに行ってきた。この日とてまだ参拝客は少なくなく、賽銭を入れて、コロナ警戒のために鈴は鳴らせないようになっていたが、賽銭箱の向こうに張ってある「手順書」にしたがって柏手を打ち、礼を繰り返し、願い事を唱えた。横で配偶者も願い事を唱えている。ふたりで長い時間を独占していたようで、振り返ると10人近くの行列ができていた。「すいません。長くなってしまって」と配偶者はその10人にも何度か礼をした。

 帰りがけに鳥居の下でスマホを取り出した。ふたりして、ああでもない、こうでもないと2台のスマホをいじっているとまた通る人の邪魔になった。記念のために写真を撮るつもりだったが、できたものを見るとビデオになっていた。ふたりして、スマホを覗き込んでいる様は思案げながら真剣そのものだった。仕事に出かけた娘にLINEすると「あっぱれでごじゃる」と添え書きのあるスタンプが返されてきた。我ながら、たった4秒間というのが悔やまれる。


2022年1月11日(火) 
 
 「あらくれ」「新世帯」をやっと読み終えた。ともに新聞連載小説で1回分が一章に充てられ、わくわくしながらページを繰っていったが、ここまでとても長い時間がかかった。一句一句、一行一行、表現を味わって読んだせいだろう。解説の佐伯一麦さんのいう「人間の無根拠の生を凝視した作家」の自然主義文学・近代小説は十分に現代的であり、それを百年後の読者となったわれは、ベッドに横たわりながら堪能したのである。

「新世帯」の最後の数行は、

 大分経ってから、掻巻を被(き)せてくれるお作の顔を、ジロリと見た。
 新吉は引き寄せて、その頬にキッスしようとした。お作の頬は氷のように冷たかった。

 これに行き当たるために読み進めてきたんだと思った。その昔、家事をすっかり終えた母が毎夜、畳の上に新聞を広げて連載小説を読む姿が突如として思い浮かんだ。母の顔はその日一日の至福に包まれていた。部屋はうす暗かったが、明るい昭和30年代のエピソードである。


2022年1月14日(金)

 過日、東海道五十三次の宿場・丸子(鞠子)宿にある「とろろ汁の丁子屋」の建物が国の有形文化財に登録されるというニュースに接した。小さい頃あちこちで見たかやぶき屋根もなつかしいが、とろろ汁はもっとなつかしかった。

 父は村の中で自然薯掘りの名人と言われた。つるを頼りに地面を掘っていくのだが、途中で傷付けたり、折ったりしないで完全品を掘り出すためには、細心の注意、つまり根気がいる。人との関係ではときに短気なところがあった父の意外な一面であった。

 自然薯はおろしてからすり鉢に入れ、味噌汁を加えながらさらに摺ってとろろ汁を作る。それをご飯に掛けて食べるのである。絶品だった。腹違いの兄などは帰省の大きな楽しみにしていた。父はその兄のためにも山に入って自然薯を掘った。

 三浦哲郎に「じねんじょ」(新潮社刊・短篇集モザイクT『みちづれ』所収)という作品がある。改めて読んでみた。何度目だろうか。そのたびに涙ぐみそうになるが、その涙を蹴散らすために、最後の会話文を引用したくなった。

 死んだと聞かされていた父親に四十を越えてはじめて逢う小桃が別れ際に「全体が油紙に包まれていて、麻紐で螺旋状にしばってある」自然薯を渡される。

「そうステッキみたいに持って歩いちゃ、なんね。じねんじょの命は根っこの先にあってな。途中で折らずに、根っこの先までそっくり掘り出すのが礼儀なのせ。ステッキみたいにして持ち歩いたら、いつかはうっかり根っこの先を傷つける。横抱きにしてやってけれ。」

「こんどとろろ汁を食べに静岡へ行こうか」ぼくは配偶者に提案してみた。彼女は親父のとろろ汁を食べることはなかった。「静岡なら日帰りできる。不義理している人たちにお返しのお土産も買えるぞ」配偶者は何も言わずに聞いていた。それは同意の意味に近い。


2022年1月18日(火)

 最近ぼくの頭の中にはこの唄が鳴り響いている。中島みゆき『永遠の嘘をついてくれ』、歌詞を一部引用してみれば、

嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても
振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを聞けるまで
尋ね続けてしまうものだから

君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ

 仕事中、まわりではひとり言を呟く人が増えたような気がして時にあわれを催していたが、いざそれが伝染したかのようにこの唄を口ずさんでいるのだった。
 
わたしはまたしてもその門の前に立っていた
なぜ あの角を曲がらなかったのか
そこにだれもいないことはわかっていたのだから曲がることはできたのに

門の前は無人だった
捨てられたものはそのまま朽ちていくのか それとも
風に吹かれながら転生していくのか

 岡田幸文さんのこの詩(「第二章」『そして 君と歩いていく』所収)も忘れがたく、やがてひとり呟くことになるのかも知れない。


2022年1月21日(金)

 ガラケーからスマホに変えてちょうど4ヵ月が経った。当初の「熱狂」はうすれ、本来の機能に近いLINEのほかは、スマホでFacebookを覗いたリ、Twitterを読む程度である。それでもスマホなしでは日々の暮らしが立ちゆかない程度にはなじんできた。

 数日前には何か新しいことをやりたくて「歩数計」のアプリを起動してみた。仕事中倉庫内を何歩歩くかを知りたかったのである。日曜日7378歩、月曜日6444歩、水曜日10197歩、ついに一万歩を越えたと誰彼に吹聴してまわったものである。

 昨日の木曜日にはスマホを目の前に掲げて歩いていた。「歩数を計るために歩きスマホをする、なんてバカだ」と自嘲すれば19歳の若者には「そんなの聞いたことがありませんよ」と笑われ「路上ではやらないでくださいよ」と注意される始末であった。その日は一万に届かず、8744歩にとどまった。


2022年1月23日(日)

 サーバーのコントロールパネルを久しぶりに覗いてみて、恥ずかしながらはじめて「UU(ユニークユーザー)」という用語を知った。この「行逢坂」を閲覧した(PV/ページビュー)人とそのUUの数(訪問者数、ひとりの人が何回訪れても1UUとなる)が1日ごとにグラフ化されていた。

 1月4日から22日までの期間、PV−UUの順に飛び飛びに拾い出すと、「103-12、55-15、36-11、61-17、6-4、104-25、49-14、71-17、32-8」 などとなっていた。新型コロナ感染者数の推移とちがって、でこぼこの激しい折れ線だがその数字にはびっくりした。

 この古色蒼然(?)としたHP「行逢坂」に時に百人を越えるPV、二十人前後のUU、これは新しい発見であった。すなわち、仲間内の数人のためにと更新し続けてきたことはまちがっていたのかも知れないと思うのだった。開き直りも韜晦も捨てて、いまいちど初期の心根に戻るきっかけとなった。


2022年1月25日(火)

 2019年12月9日に急逝した岡田幸文さんの追悼文集『ただ、詩のために』(ミッドナイト・プレス刊、ぼくも一文を書かせてもらっている)をはじめから最後まで一言一句をもおろそかにせずもう一度読み通そうと思っている。歯科病院(今日はなぜか3時間にも及んだ)にも帯同、ストーブで温められた居間、パソコンの前と歩行するように読み継いできた。すると、196ページ目、幸文さんのパートナーである山本かずこさんの「花も鳥も風も月も」でふいに涙が出た。

  とむらいは 終わらないよ 一生 終わらない かもしれない あの人の場合は/あのひととは わたしのこと?/

  しらこ川沿いにも
  また 春になったら
  桜の花は咲くでしょう
  夏になったら
  あなたが暑いという ほんとうに
  いつまでも暑いわね と
  わたしが答えて
  夏の終わりに たえきれず
  髪を 短く切りました
  いつのまにか 秋がやってきて
  なります橋を ゆっくりと歩いていく
  あなたの
 うしろ姿を見かけたような気がした
 橋のたもとで 立ちつくしていると
 十二月の夜も更けてゆき
 見上げると
 空には 月がのぼっています
 その神々しさをもってしても
 とむらいを 終わらせることはできなかった

 この本の中では「幸文さんの涙」にふれている人が何人かいる。そのなかのひとり中村剛彦さん(この本を編集した)は「だからその突然に溢れ出す涙は(中略)この世界に生きるすべての純心の詩人たちが流す涙であった。」と言う。そんな第一級の詩人のことばにぼくは涙を流した。かけがえのない詩人・編集者、さらに友人を失った悲しみを止揚する涙。「純心」が隅々にゆきわたるいい本だとあらためて感じる。
    

2022年1月31日(月)

 大井武蔵野は通勤時の通い路である。28日、そこで地域の在宅医療に携わっていた44歳の医師が理不尽にも殺されるという事件が起こった。見聞きするほどにやりきれない事件である。

 一報で「弔問に訪れた」というのでそんな習慣があるのかと驚いたが、医院のなかで育った配偶者は「あるんじゃない」といった。その後続報が相次ぎ実際は容疑者に呼び出されたのが真相のようだった。容疑者は散弾銃をそばに置いて待ち構えていた。前日亡くなった母親を蘇生させてくれと頼んだが「それはできません」と写真でうかがえるような優しい口調で言う。すると容疑者は散弾銃で医師の胸を撃った。同行したひとにも発砲し怪我を負わせた。早く突入していればと思ったが、即死だったと報じられた。

「母親が死んで今後どうやって生きていけばいいのかわからないので、医師を巻き添えにして自分も死のうと思った」などと犯人は供述しているという。口から出任せである。嘘っぱちである。言い訳のつもりだろうが、頭の中で作り出した虚構である。腹立たしい。なんで2丁もの銃を持っているのか、誰が許可したのか、何のために許可したのか。ともに詮なし。

 殉職の鈴木医師に黙祷。




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