日  録  「プーチンの戦争」

2022年2月1日(火)

 「ものみな歌でおわる」をもじれば、ものみな値上げで始まる、そんな月がやってきたという。あちこちから生活は締め付けられるがきっといいこともあるだろう。

 ここで突然、自身のことに変わるが今日は予約ラッシュ、であった。3回目のワクチンを集団接種会場(モデルナ製)で受けることに決めコールセンターに電話した。応対になれていないような女性がていねいな口調で接種券番号、名前、生年月日などを聞いてくる。希望日と会場名を告げると「はい、日高アリーナさんですね。いま空きを調べてみます」体育館をもさん付けで呼ぶので応対マニュアルでもあるのだろうかと推測した。話しぶりに多少の外国人なまりが感じられた。ともあれ無事一ヵ月後の予約が取れた。

 健康保険組合から集団検診・人間ドックを受けていないのは「この職場のなかであなただけ、となりました。すぐに予約を取って3日までに連絡せよ」とお叱りを受けた。コロナ禍を理由に先延ばしにしていた。少し落ち着いてきたのでそろそろと思っていた矢先にオミクロン株の第6波である。いよいよ腰が引けていたのだが、意を決して電話した。相手の女性は「12月中に全員受診という取り決めですが、健保の池田さんはご承知ですか」ときた。「はい、まちがいないです」池田さんは知らないが、お互い承知しているように話すと、17日後の予約が無事取れたのだった。

 ワクチンを打ってから人間ドックへというのが理想だが、日頃の日和見が祟って逆向きのベクトルとなった。20代、30代の頃にもこんな経験はいくつかあったような気がする。人間ドックの会場は新宿の健診プラザである。年々遠くなっていく、遙かなる新宿、覚悟してついに足を運ばねばならない。


2022年2月3日(木)

 節分、アンケート風に言えば「D豆まきはしなかったが恵方巻は食べた」となる。早く行かなくちゃ去年みたいに売り切れてしまうと早々に帰宅する同僚女性に続いて、行き合わせた社員と「お、もうお帰り。さてどちらへ」「北北西へ」などと軽口をたたきながら帰宅の途についた。

 戻ると配偶者が巻き寿司を作っている。珍しいことであった。一口つまみ食いしてみれば、なかなかに美味しい。しばらくするととなりの人が恵方巻を差し入れてくれた。毎年いただいている、超豪華版の太巻き寿司である。ことしはわが家のと2種類の恵方巻の競演となった。

 北北西を向いて無言で頬張った。願い事も倍となって、欲の深い節分となる。で、いつもの豆まきは? と問えば「あら、すっかり忘れてた」と配偶者。豆まきをしないのは近年ではめずらしい。よって福本家はDであるのだった。

2022年2月6日(日)

 その動画を何度見たかわからない。いつでも、どこでも、つい再生してみたくなる。

 もうすぐ6歳になる孫娘が2歳の妹にことばを教えている。
「もも」、「モモ」。「○○ちゃん」大きく口を開け笑いながら「○○ちゃん」(笑うのは自分の名前であるからだろうか)
かたわらの母親が敬称を取って「○○」と言うと「○○」と真似る。
(妹は先ほど飲んだお茶に咽せてゴホンゴホン)
姉は「はいそれでは最後に、ぞう」真似ているつもりが妹の口からはなぜか「ズー(zoo)」。

 ここで姉も母親も、画面を見ているぼくも笑う。
(不満げに、口をとんがらせ、頬をふくらませた妹の顔。さらに咳き込む妹。姉と母親は背を撫でながら「大丈夫?」と気遣っている。)

 姉は画面に向けて今回のことばの練習の「成果」を報告したあと「じゃぁね、お父さん。バイバイ」と手を振る。出張中の父親へのビデオメッセージのようだ。むせかえりながら妹も手を振り、おくれじと声を絞り出す。「Bye-bye」。

 姉も妹もテレビや映画に出てくるどの役者さんよりも「俳優」である。わざとらしさがないからか。あるいは懸命の日常の一コマだからか。何度も惹きよせられる理由もその辺にあるとぼくには思える。


2022年2月8日(火) 

 朝7時過ぎ、9時に予約が入っている歯医者に行く準備をしていると家電が鳴った。登録していないか、知らない番号からの着信には出ない習慣である。が、地元近くの局番しかもこの時間なので出てみるかといったん思ったが、止めた。するとすぐに携帯電話が鳴った。画面には○○大学歯学部と表示されていた。さっきもそうだったのか、と慌てて出ると、

「担当の上司にあたる者ですが、熱があって出勤できないという電話がM先生からありましたので今日の予約はキャンセルさせてください。改めて電話させますが……22日に入っていますね、次回はその日、ということにしてください。もうこちらにむかってらっしゃいました? まだ? あ、よかったです。」

 熱とくれば新型コロナ・オミクロン株を連想するので、上司の先生に「お大事になさってください」と言って電話を切った。かくして今日の予定がひとつ消えたのだった。

 その代わりというわけでもないが、近辺を走り回っているとかつて生け垣に絡むように生えていた木瓜の幼木をひと茎もらい受けた(道路にはみ出していたひこばえを勝手に取ったのだったかも知れない、取った後いえのひとに声をかけたような気もするが、もはや忘れている)家にさしかかった。表札を見れば、去年の春にアルバイト先の営業所に新入社員として配属されてきた若者の姓と一致するではないか。

 昔ながらの大きな家、いわゆる旧家らしい佇まい。彼は小さい頃何もわからず四年に一度の「脚折雨乞」の龍神担ぎに参加して白鬚神社から近くの雷電(かんだち)池まで練り歩いたという。ぼくにも土地勘があって、彼が教えてくれた近辺の様子が一致する。それを聞いた当初木瓜のひと茎をもらった家が思い浮かんだものだった。「あなた家には木瓜の木が植わっていますか」と明日本人に確かめてみようと思った。

 もしその家が彼の実家ならば奇しき縁である。木瓜の縁である。あの木瓜はマンションの庭で何年かにわたって赤い花を咲かせた。田舎の山々で齧ったような実が成ったかどうかの記憶はないが、この縁は面白いと思う。


2022年2月10日(木)

 ノーマルタイヤのぼくは大雪の予報に怖れをなしてこの日は電車で出勤することにした。行きも帰りも心優しい同僚がアルバイト先の最寄り駅に送り迎えしてくれることになり大いに助かった。いちばん難儀だと思ったのは自宅から駅までの1.5キロの道のりを歩いたことだった。

 雨に濡れていても足腰はまだまだしっかり動いてくれるが、厄介なのは車である。人の歩く空間が路側帯から50センチほどの幅しかない道路をまだうす暗き朝も夜も車はビュンビュン飛ばす。大きく分けて三つ、黒っぽい服に包まれているこの歩行者に直前に気付いてあわてて逸れる車、すぐ脇を同じスピードのままに通り過ぎる車、そしてかなり向こうから徐行しながら避けていく車。しかし、歩いている身にはどれも怖いのである。

 歩きスマホ厳禁、ホームでスマホは見るな、マスクは2枚かさねてつけろ、階段の上り下りは手すりを使え、車の中では相手の人の迷惑になるからベラへらしゃべるな 娘や配偶者からは注意を促すメールがどんどんやってくる。気遣われ、危ぶまれる年齢になったということだろう。帰りがけに送り迎えをしてくれた人も「道中お気を付けて」と言ってくれた。

 ところでこの日はスマホの歩数計が12000を越えた。歩行距離約9キロ、時間にして2時間、時速は4キロと記録されていた。計測しはじめて1か月、1万を超えるのは2度目の快挙(?)である。


2022年2月15日(火)

 朝乱れたままのベッドを放ったらかしにして家を出るが、帰ってみるとベッドはちゃんと整っている。それは週のうちのおおむね5日だけで休日であるあとの2日はさすがに自分でやらねばならない。

 今日はその休日、冬なので毛布2枚に掛け布団1枚、けっこうの重さである。毛布はすぐ平らにのばすことができるが、カバーに覆われた掛け布団はふくらみに凸凹ができて思うよう伸ばせない。そこでいったんカバーの敷布を取って均そうと思った。

 現れたのは親父の形見である。葬儀のあとで母親が「これを持って行け」と言って差し出したのがこの大層な布団だった。三十年以上前のことである。以来「愛用」してきたのだったがしばらくお目にかからないと思ったらカバーに覆われていたというわけである。なつかしいものに出合った気がした。ベッドメーキングも捨てたものではない。

 重いと言えばホームセンターで買い求めた鶏ふん肥料ふた袋と苦土石灰ひと袋、締めて50キロだった。なかでも20キロの苦土石灰は運びながらよろけるほど。肥料を入れ土を耕し、夏野菜の準備にかかる。寒気はまだまだ衰えないがもうそんな季節である。といっても、休日でもぼくは手を出さない。「耕して天にいたる」、映画『裸の島』のオープニングを思い出しながら、毎年、毎年「見る人、食べる人」である。申し訳のないことである。


2022年2月17日(木)

 ヒロインが母親を訪ねた先が何という集団の村だったか、お昼に湧いた疑問が夜中になって氷解した。ネット検索で「集団移動生活/宗教」とキーワードを入れると「アーミッシュ」と出た。やっと巡り会えた。その集団に属するらしい母親と小さな丘を歩きながら穏やかに話す場面はずっと頭のなかに流れていた。『明日に向かって撃て』、『俺たちに明日はない』、どちらの映画だったか定かではないが、そこまで調べることはできなかった。

 アーミッシュの村を連想したのはその直前にビーガンに出合ったからだった。ベジタリアンは聞き知っていたが、これははじめてだった。肉だけでなく乳製品や卵など動物由来のものも一切食べない完全菜食主義者のことをビーガンと呼ぶそうである。

 ビーガンからアーミッシュへの連想、時代に背を向けて生きることがすでにして新しいと思ったからなのか。主義に生きるということは、いつも新鮮でけなりぃ(うらやましいというほどの意味を持つ方言)からか。


2022年2月18日(金)
 
「いまだ受診をしていない最後のひとりとなりました。今月中に終えてください。」と健保から全部署宛の回覧メールを回されてしまったのでついに今日、健康診断(人間ドック)を受けてきた。

 コロナ禍とりわけオミクロン株の蔓延で新宿の健診プラザもひっそりとしているだろう、と高をくくっていたらとんでもない、大盛況の観を呈している。20代から40代にかけての働き盛りを中心に1時間半の時間帯に50人はいただろうか。身体測定、血圧測定、採血、視力、聴力、眼底、眼圧、医師の診察、胸のレントゲン撮影、心電図、超音波などと流れ作業的に続いていくが、受付をしてから終わるまでに2時間ほどかかった。

 結果は後日郵送されてくるが、とりあえず特筆すべきは、身長が2年前よりも0.6センチ縮んでいた、体重は2キロ増えていた、耳も特定の周波数は聞き取れていないことがわかったことである。特に耳は自覚症状なきにしもあらずで、聞きたくないことは聞かない、聞こえなければ知らんぷり、の流儀で日常生活を送ってきたが、その証拠が示されることになった。50人の中のおそらく最高齢受診者だからやむなしか。

 終わったあと近くの大久保コリアタウンに向かった。さがし物は配偶者へのお土産・ホットクである。本場の美味しいものに出合いたいと嘆くことがあったのを唐突に思い出したのである。ジョンノの冷凍品をワンパック買った。あんこ味などという魅惑的なホットクもあったが、ここは伝統的なはちみつ味にした。まだ食していないが、どうだろうか。配偶者は納得するだろうか。それが楽しみである。


2022年2月22日(火)

 朝歯の治療が済んで次回の予約を取ったところ、他の病院の予約も含めて3月の休日が半分埋まってしまった。会計待ちの間にLINEで配偶者へ「3月は通院ラッシュになるよ」と韜晦気味に報告した。既読なのに返事がこないなぁと訝りながら帰宅すれば「返事する気にもならなかったけど、何を考えているの?」と叱られた。コロナ禍、オミクロン株の蔓延を警戒しているのである。「ワクチン接種のあとだから」と弁解すれど「すぐに効果があるわけじゃないのよ」と切り替えされる始末であった。

 歯の方は、最近数回、一瞬だったがイヤな痛みに見舞われたことを訴えると20代と思しき医師は「小さな虫歯です。そのせいで一部欠けています。今日はこれをやっちゃいましょう」と麻酔をしたあと虫歯を除去し埋めて、プラ冠を被せてくれた。「万全です。これで大丈夫」と太鼓判。なかなか手際がよく、丁寧で、患者のぼくも気分がよかったのである。次のみっつの予約は、抜歯と残りの虫歯、入れ歯とまだまだ続く治療のために必要だった。にっくきコロナよ。だけど、通院するど。


2022年2月26日(土)

 ぼくの生まれる前にフィルムを巻き戻すようなことが起こるとは思いもしなかった。プーチンのウクライナ侵攻はナチスの時代を想起させる。救いはロシア国内で反戦の声が上がっていることであろうか。

「少しの思いやりと、少しの他人のための気遣いが、全ての違いを生むんだ。」

英語版は、
A little consideration, a little thought for others, makes all the difference.

「他人のことを必要以上に大切にする。 それが愛ってやつだと思うな。」

プーチン(Путин)は国の内外において「くまのプー(pooh)さん」ではない。(引用はプーさん名言集より)


2022年2月28日(月)

 3月を前に気温が急激に上がり1か月以上も季節が飛んだ。身体は温まりいよいよ春が来るかと期待されるが、ロシアのウクライナ侵攻で心はいっこうに霽れない。アメリカからの情報によるとプーチンの精神状態は普通ではないらしい。核兵器まで持ち出そうとしているらしいこの「プーチンの戦争」を見れば素人のぼくでもそう思わざるを得ない。

 まさか本気じゃないでしょう? と高をくくっていると「冗談に決まってるだろ」と切り返しながら弾丸を放つ。そんな「政治」のやり口にはうんざりである。人々の日常はもっと真摯で慎ましやかで慈愛に満ちている。それを土足で踏みにじるのが「プーチンの戦争」であるのだろう。 



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