日  録  '80年、あの頃ぼくは

2022年3月1日(火)

 ウクライナの黒海に面した港町オデッサは聞き覚えのある都市名だと思ったらエイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』の舞台となったところだった。1905年の帝政ロシア第一次革命の同戦艦の水兵の反乱をテーマにした無声映画である。学生の頃映画好きの友人がモンタジュー手法だか理論だかがはじめて使われた、いわば実験映画だと教えてくれた。当時見た記憶もあるはずだがよく覚えていない。

 今回 YouTube で「オデッサの階段」での虐殺シーンの一部を見ることができた。同じ資料には虐殺シーンは実際にはなかったが、20年後に製作された映画で「創作」され、そこにモンタジュー理論が応用されているという。その理論のなんたるかはわからないが、階段を転げるようにして逃げまどう人たちをコサック兵が銃を構えて追いかけるところは、既視感がある。

 100年以上経ったいま同じ国でミサイルや戦車やらが生活を破壊している。これはフィクションではないのだった。いつまでも変わらない人間の悪業を悲しいと思う。そしてこの「プーチンの戦争」を停めるものが兵士の反乱だったらどうだろうかと夢想するのである。


2022年3月4日(金)

 フレンチトーストは大好きな食べ物だが、フランス語では「失われたパン」(Pain perdu)というのだそうである。「乾燥して硬くなったパンを、卵を溶いた牛乳に浸し、バターで焼き、砂糖をまぶすことで美味な料理に変えてしまう」(『図書』3月号、塚本昌則「「失われた時」とは何か」)。プルーストの『失われた時を求めて』をめぐる随想だが次のようにつづく。

「同じように、無駄に過ごして駄目になった「時」に、何らかの形で働きかけ、もはや死を恐れないまでに喜びに満ちた、まだ知られていない「時」に変えてしまう−−これこそ語り手が目指していることである。」

『失われた時を求めて』は名のみ知る作品だが、この随想を読むと、人は日記や小説などをなぜ書くのか、に思いがいたる。目からうろこの感がなくもない。「現在でも過去でもない、その未知の時間に自由にアクセスし、時の変転を超えて存在しつづける現実に出会うことができるなら」と筆者は解説してくれるのである。元気が湧いてくる。第三のフレンチトーストができあがるような気がするのである。
 
ところでこのHPは2001年の3月頃に開設したので満21年を迎えたことになる。十年一日の感があるもののこの長い「時」のなかにも「ビビッドな現実」との遭遇があるかも知れない。この朝、第三回目のワクチン(モデルナ製)を接種した。


2022年3月5日(土)  

 昨日の第三回ワクチン接種の副反応を警戒して今日は休みを取っておいた。ぼくは昨日の夕方から朝に掛けて接種部位に痛みがあった。前回、前々回と似たような副反応である。これは予想通りであったが、配偶者は筋肉痛はなかった、発熱もないのに、今朝になってからだが汗ばみ、立ち上がると胸がムカムカするようになった。

 気分が持ち直したのは午後も遅くなってからである。「だるさ・倦怠感」の部類にはいる副反応と思われ、抗体を作るためにからだが必死に闘っていたのであろうか。引き比べほとんど無反応のぼくは抗体をつくるに如かずということなのか。一抹の淋しさに首をひねりながら配偶者のためにお粥を作り、巻き寿司・いなり寿司を買いに走った。臨時休暇は意義があったのである。


2022年3月11日(金)

 人間ドックの結果が戻ってきた。昼休みに一瞥したときにはどの「E」(“精密検査が必要とされます”のレベル)も通院している病院でこの一年以内に調べてもらった事柄だった。ひとつはSAPHO症候群、いまひとつは体内炎症(CRP定量)、さらには心房細動、どれもなじみの数値であり病名である。まずは過不足なしだなぁ、などと安堵していた。通信簿ならいいのにと思うほどAもたくさんあった。

 家に戻ってからふたたび繙いて精読していると「E:眼底出血」とあり、眼科医への「紹介状」がポロリと出てきた。「封を切らずにそのまま眼科の先生にお渡しください」とある。食事の寸前に配偶者に「紹介状が出てきた」と告げると「高血圧のせいかなぁ。これはだめだわ」と食卓からお気に入りの沢庵の皿を持ち去ってしまった。悪いことは続くのであった。


2022年3月15日(火)

 すもももももももものうち。

 梅の花がひらき、プラムのつぼみが出揃った。とりわけ黄緑色のつぼみを見つめながらこの早口言葉が口を衝いて出た。念仏のような呟きはやがて、ことしこそ実を成らせてくれよ、というお願いに変わっていった。

 植えて6、7年にもなるプラムの木、しばらく梅の花との交配に賭けていたが、いっこうに実らないので2年前傍に異種のプラムの木を植えた。この試みも昨年は失敗だった。おそらく花の咲く時期がずれていたためだったろう。今年は手を拱いているわけにはいかない。人工授粉も一策か、ともう一つの木を見ればつぼみというには幼すぎる芽が吹き出ていた。

 春本番なのに、ふたつの木の名前、品種名、それが思い出せない。気が霽れないのはそのせいもある。


2022年3月18日(金)

 このところにしてはめずらしく、終日雨。

 午後11時半頃岩手・青森で強い地震があった。2日前のこの時間の福島沖を震源とする地震はこちらも幅広く揺れた。1度目の小さな揺れで目が覚め「地震だ」と叫んだ。ほどなく襲ったやや強くて長い揺れでは半身を起こして「地震だ、地震だよ」と叫び立てた。

 起き出して居間に行くと、くぐもった話し声はすれども姿がない。地震発生を知らせたつもりだったが、配偶者らはすでに外に出て、難を避けているのだった。震度4でも揺れによる被害はなかったけれど。

 ところが、直後から2時間以上にわたって停電が続いた。翌日仕事の場で停電の話をするとひとりをのぞいて全員が「停電? なかったよ」と言うので驚いた。聞けばこれは大停電を防ぐための安全装置が働いたせいであるらしい。いくつかの火力発電所が操業を緊急停止したというが、どんな「停電網」が敷かれているのか、やむを得ないと思うが、もとより怒ってなどいないが、もっと詳しく知りたいと思った。


2022年3月25日(金)

 2本のプラムの枝に花のつぼみが並び、レンギョウが黄色い花を付けた。地面から湧き出たような白い花は長い間スズランと思っていたが、スズランに似たベルのような花が咲く、その名もスズランスイセンだ、と配偶者に指摘された。三寒四温という熟語を思い出させた天候が続いたがこれでいよいよ春が来るかと。

 米澤穂信の『黒牢城』を読んだ。およそ500年前の史実を元にした小説だが、現在進行中の「プーチンの戦争」がときおり脳裏を掠めて、純粋に愉しむには至らなかった。つまりこの世界、有史以来殺し合いに明け暮れてきたのかと思われ、暗澹とするのである。しかしこれが『黒牢城』にとって不幸とはならないだろう。『満願』と『王とサーカス』を読んだだけだが理に勝とうとする文体は健在であった。 理のアントは情であり、この情にぼくは悩んできたと思い知る。

2022年3月29日(火)

 本来は歯の治療の予約を入れていたのに早くにキャンセルして、何もない休日になった。U-Nextのメニューで藤田敏八監督の『18歳、海へ』を見つけたので観賞することにした。中上健次の初期の小説を原作としている、『サード』の永島敏行・森下愛子が主演、小林薫のデビュー作、そんな貴重な1979年の映画だった。

 見終わったあとは本棚から富岡多恵子の『芻狗(すうく)』を取り出して「芻狗」と「箱根」を読んだ。言葉の斬新さとテンポの良さに圧倒された。奇しくも70年の終わりから80年にかけての短篇集である。いまや40年以上前となるが、この頃ぼくは何をしていたのだろう、と考えてしまった。畑では配偶者が隣人の助けを借りて夏野菜の畝作りに精を出した。そんな休日だった。


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