日  録
 日々、残痛。

2022年5月2日(月)

 仕事を終えてから配偶者を迎えに行く。停留所近くに車を停めて羽田空港からのバスを待っている間、夏の夕立を思わせるような驟雨、数回雷も鳴った。家路に向かいはじめると雨も止んで晴れ間が覗き、虹が出た。地面に垂直に立ち上がる太い虹である。正面に(東方向か)虹を見ながらしばらく走ることができた。携帯をかざして写真を撮る人を何人かやりすごした。雷も虹も久々のことであった。自然の躍動に感動する。

 往き帰りの飛行機、となりの席が同じ人だった、みやげ話のひとつのように配偶者は言った。向こうの人が覚えていて、「もしかして」という。往きにはシートベルトのことなどあれこれ教えてくれたので配偶者も思い出した。凄い偶然だな、聞いたこちらが驚いた。20年前夜行列車「安芸」で隣り合わせになったのはあなたでしょ? とかつて小説に挿入したことがあったが、もとより有り得べかりし想像、いや妄想の類であるが、こちらは滅多に起こりえないことが起きたという意味で奇跡である。


2022年5月3日(火)

  家の中ではセーターを着込んで外に出て陽射しを浴びると、暑い。さすがに汗はかかなかったものの、よくわからない日だ。韓国ドラマ「密会」も面白いのか面白くないのかわからないまま見続けて、最後の3話を残すのみとなった。20歳の天才ピアニストが40歳の人妻と愛し合って互いに人生を賭けて苦闘するという物語だが、筋はともかくふたりの台詞がいい。全16話を見終わったら、原作となったという江國香織『東京タワー』(2001年)を読んでみることにした。「観てから読む」、いままでとはまったく逆のパターンだが、届くのが楽しみである。


2022年5月10日(火)

 72年5月15日は沖縄の本土復帰の記念日であれから数えて50年になる。この年のはじめにぼくは上京し、「いったん、しおりを挟みます」の垂れ幕で最近話題になった三省堂書店本店ビルに出向いている。辞典編纂者の採用試験を受けたのだった。試験には受からなかったが、1万円ほどの交通費をもらったことを覚えている。ともあれ、こちらもあれから50年である。50年は人の一生としては長い道のりである。ここに至ればあっという間だったような気もするが。

 同じ50年も琉球・沖縄の歴史からすれば本当に一瞬のことであるのだろうと思われる。きのうは基地の辺野古移設断念を訴えて大学院生が首相官邸前でハンストに入ったというニュースも流れてきた。72年当時も「復帰反対」運動があったはずだが、もう記憶に残っていない。人の生を掠る歴史的事件は意外とはかないものである。


2022年5月13日(金)

 ここ一週間、夕食を食べ終わると待ちかねるように鎮痛剤に手を出している。左鎖骨の持病からくる痛みが已まないからだ。手元にはこんな時のために処方してもらったロキソニンが大量に残っている。ずっと飲む必要がなかった、あるいは痛みが弱く我慢できたからだ。こんどもできるだけ長い時間怺えてみようと思うのだが根が尽きてしまうのである。

 飲み過ぎるとよくない、と注意していた配偶者も最近は「飲みなさい」というようになった。本人も痛みから解放されたい一心で服用する。「1日1回2錠、空腹時を避ける、胃粘膜を修復する薬を同時に」などという用法は守っている。(仕事中1錠だけこっそり飲んだことが2、3回あるが)

 所詮対処療法だとは知りながら服用する。そのことに罪悪感は消えたが、生きることはしんどいなぁ、と思うことが増えた。ただし、経験的に、あと何日かすれば痛みは引くわけで、そこに一縷の望み、人生の希望がある。それに縋っている。

 
2022年5月15日(日)
  
 残り香というが、残り痛なるものもあるのかも知れない。やっと増悪期が過ぎて鎮痛剤に頼らなくて済むようになったのに夜の間ずっとピリピリっと電流が走るような痛みを覚えた。実際に痛いのか、記憶が甦ってからだが反応しているだけなのか、わからない。希望の証として残痛と思いたい。


2022年5月20日(金)

 ここ数日の間に、フェリーニの『道』から『カビリアの夜』、ビリーワイルダーの『アパートの鍵貸します』『深夜の告白』、さらにはアラン・ロブ=グリエの『ヨーロッパ横断特急』と往年の映画を相次いで観た。ほかにもエリア・カザンの『波止場』など観たいものがあったのでマイリストに追加しておいた。

 この郷愁めいた衝動は何だろう、と考えた。これらの映画は製作されたのは1944年から60年代である。ゴダールやアントニオーニ以前の映画で、60年代の終わりから70年にかけてのわが20代前半は、映画館に出向くか、映画愛好団体の自主上映でもないかぎり観る機会のなかったのである。

 題名だけ知っている、というのはいかにも頭でっかちな青春だったと悔やまざるを得ず、50年経って懺悔のつもりで観るのかも知れない。凄いなぁ、などとひとり感嘆しながら。


2022年5月24日(火)

 肩の痛みを訴えていると、古くからの友人Uさんからお見舞いと励ましとアドバイスのLINEが入った。その中の一節にイタドリについての記述があった。虎杖と書きスカンポとも呼ばれるあのイタドリの名前は「痛みを取る」に由来する。すなわち傷の手当てにイタドリの葉が使われるなど薬草としての令名が高い、というのだ。
 
 山間いの村で育ったぼくは、小さい頃は野山を駆け巡っていたので当時イタドリは主要なおやつだったことを思い出したのである。どうやって食べたのだろうと記憶を辿っていった。そのまま皮を剥いてかじった? 持ち歩いていた塩をつけた? たくさん収穫したときは持ち帰って母に煮てもらった? いまとなればどれも不確かだがイタドリと聞くだけで「過ぎし楽しき年」が蘇る。木イチゴ、アケビも同じだ。よもぎ餅のヨモギだって。怪我をしたとき葉の汁を血止めに利用したこともあった。嗚呼。


2022年5月27日(金)

暗くなってから雷が鳴った。かなり大きい音だったが数回で已んだ。ベッドと親和した、何もない休日。延べ13時間ものあいだ横たわっていただろう。そのたびにウトウトとした。それでもミケランジェロ・アントニオーニの『情事』(1960年)を観終えた。「巨匠の出世作」と紹介されているが、138分は退屈だった。説明がないのは「新しい」のだろうと思うが、疑問はいくつもあった。50数年前に観ていればそんな疑問は感じなかったのだろうか。検証しようがないことだが。


2022年5月31日(火)

 手の届くところにあったので『海燕』1990年2月号をパラパラと捲って、秋山駿と川村二郎の対談「一九八九年の文学回顧」を読み始めた。この年は色川武大、上田三四二などが亡くなっている。対談では触れられていないが、記憶では5月の連休期間に阿部昭も急死している。

 一気に読んだものの、奇妙なレトロ感を覚えるのは、1989年は元号が改まった年であり、ここからどんどん昭和が遠くなっていく、そのいわば起点だからか。俎上に載せられた作品、というよりいまなお現役の作家は高橋源一郎、小川洋子、増田みず子、吉本ばなな、それと黒井千次くらいである。

 付録のようなコラム「一九八〇年代のベスト10」にはふたりに共通している作品が4つある。それは『群棲』『シングル・セル』『狂人日記』『夢の島』である。あとのそれぞれ六作品で川村二郎があげているものが『千年の愉楽』『われ逝くもののごとく』『逆髪』『白夜を旅する人々』他である。10のうちのひとつを除いてすべて読んでいる。身と心に残っていると言うべきである。

 対談最後でこの年(1989年)のベスト3として秋山駿は石原慎太郎の「わが人生の時の時」をあげている。「ああ、生きているんだなぁとか、これでよかったというのを捉える瞬間、(中略)輝かしいほうのことをストレートに書いているから」とその理由を説明する。対して川村二郎は「僕はどうしてもその特権性が鼻について、あなたみたいに手放しで評価はできないね。」と応酬している。

 さらに「瞬間と持続というのは、あくまで矛盾すると思うんだな。その矛盾をくるみ込んだ表現というものが見られれば、批評家は何も言うことがなくなって頭を下げちゃうと思うんですけれど」と川村二郎は畳み込む。これはまさか文学のアンシャンレジームではあるまいと思ったのだった。

 


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