日  録  路上のサッカーボール

2022年6月2日(木)

 木曜日の帰路はNHKFMの「民謡たずねて」を聞くのだが、きょうはそんな習慣は意識していないのに学生の頃からの畏友・M君がうたってくれた唄はなんだったかを思い出そうとしていた。やがて番組が始まり、「正調刈干し切唄」が流れた。あ、これかも知れない。聞かされたような気がしたが、いやもっと迫力があったなどと思う。最後にふたたび宮崎の民謡「いもがらぼくと」が流れてきた。運転しながらなんという奇跡だと叫んだ。

 夜宮崎に住むM君に3ヵ月ぶりにLINEをした。ぼくらのまえで何度か唄ったことを覚えているらしく「なかなかいい唄でしょ。」と返事をくれた。

 ちなみに「いもがらぼくと」というのは「里芋の茎でつくった木刀のこと」で、「見かけは頼もしく立派だが、中身は空洞でたたいても(叩かれても)痛くないというお人好しの人柄、すなわち宮崎の男性の代名詞」とあった。そんな彼らが「日向カボチャのよか嫁女」をもらって「じゃがじゃがまこち(本当に)えれこっちゃ」とリフレインされるのである。M君は民謡も唄ったが当時「さとうきび畑」の森山良子もひいきにしていた。50年以上前の一瞬が忽然と現れたような日だった。M君は「夢の如し」と書いていた。


2022年6月5日(日)

 明け方の夢には何人もの人が入れ替わり立ち替わり出てきた。もう誰が誰だかわからない。実在の人である(あった)のか、架空の人であるのか、その判別もできず、シチュエーションたるや支離滅裂もいいところで、目覚めて整理するのに一苦労であった。彼岸から呼ばれているのか、そうではなくて、もっと人と関わって生きよ、という励ましなのか。起きてみれば、後者の意味と捉えて、新しい小説の構想へと向かう。


2022年6月6日(月)

『波止場』(エリア・カザン監督)を観たあと、U-Nextの作品ライブラリーをいじっていると『サムライ』(ジャン・ピエール・メルヴィル監督)が出てきたのでかつての二本立て映画館よろしくそのまま観てしまった。他にも『地下室のメロディー』、『冒険者たち』さらに『現金に手を出すな』などいますぐにも観たいものが入っているがさすがに「三本立て」「四本立て」は昔のオールナイト映画館でもあるまいし、とマイリストに加えるだけにした。

『波止場』ははじめてだったがうんと若い頃のマーロン・ブランドが素敵である。いちばん好きなのはマーロン・ブランドよ、と呟いたいくつか年上の女性のことを思い出した。1971年頃のことである。その次に好きなのはあなたかも知れない、と言って欲しいと思わせるような女性だった。

『冒険者たち』をはじめて観たのは1971年、ぼくらは若造だったが、挫折や虚脱ということを知っていた。それだけに、おおきなため息とともに感動をも覚えたものだった。それは友情の実質についてのヒントだったのかも知れない。


2022年6月9日(木)
 
 夕食を終えると電気毛布のスイッチを入れてベッドに入った。肌寒かったのもあるが、5、6時間前からの腹痛が依然已まないからだった。立っているときは腰を屈めて庇わねばならないようなイヤな痛みであった。同僚に労られながら仕事を終えて早々に帰宅しても、食事を半分以上残してベッドに潜り込んだのだった。目が覚めたときは日付が変わっていた。4時間熟睡していたことになる。痛みも消えていた。

1年以上前には、食事も喉を通らず、なぜか胸がムカムカして吐き気を催した。今回は用心したつもりでも、如何ともしがたい「からだの反乱」、周期的に訪れるようになってかれこれ3年くらいか。からだが「古里を欲している」証ではないかと自分では思っている。


2022年6月10日(金)

 今日は「時の記念日」。といえば天智天皇。中大兄皇子、乙巳の変、大化の改新、大海人皇子、額田王、そして壬申の乱と連想が飛ぶ。近江大津京に遷都したのもこの天皇である。なぜ「時」なのか調べてみると、

「漏尅(水時計)を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。」日本書紀にあるこの記述(グレゴリオ暦671年6月10日)が由来だと書かれていた。最初の記念日が1920年、近江神宮では毎年「漏刻祭」が行われているともあった。

 起き抜けに『冒険者たち』を観て二度も涙が流れてきた。夕べの腹痛の記憶がこれで洗われたように思った。「時間は言ってみれば脳が作り出すイリュージョンだ」と坂本龍一は「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(『新潮』7月号)で語っている。愛も苦悩も、痛みさえも時間とともに記憶として残っていくということだろうか。
 

2022年6月13日(月)

 帰り道での出来事。ひとつ前を行くトラックの前に対向車線からころころとサッカーボールが転がってきた。道路沿いの中学校の柵を飛び越えたようだ。部活動中の生徒がひとり歩道に出て来て行方を見守っている。トラックは徐行したがそのまま行ってしまった。

 傾斜のある道だったのでボールは道路の端を前へ前へと進んでいく。ハザードランプを点けて車を停めた。後続の車もボールに気付いて停まってくれた。車を降り、ボールを追いかけて捕まえる。いつの間にか対向車線の車も停まっている。歩道にはユニホームを着た少年が立っている。

 こっちへくる必要はないよ、と手で制すると、わかったようだった。道路を横切ってサッカー少年に手渡した。停まってくれた両側の車に頭を下げて車に戻った。ありがとうございました、という複数の少年の声が背中越しに聞こえた。首尾よくいった。停まって、待っていてくれた運転手たちの心根に感謝したのだった。


2022年6月16日(木)

 前日との気温差が10度にもなったこの日、休憩室にヤブ蚊がやってきた。ぼくの頭の上を旋回しているのを見つけたのは正面で食事をしていた同僚の女性だった。刺されはしなかった。彼女はテーブルの上のアルコールスプレーを手にすると立ち上がってヤブ蚊を探し始めた。少し離れた場所でスプレーが命中しヤブ蚊は床に落ちた。殺さないで、と彼女は言ったがぼくはティッシュにくるんだ。罪と罰は我にあり、と呟いた場面である。嘆願の一言がなければそんなことは思いもしなかっただろう。


2022年6月21日(火)

 4時に目が覚めても、午後7時に外に出ても、依然明るいのでもうすぐかと思っていたら今日が夏至だった。伸びに伸びたモミジやサルスベリの枝を伐ったのは4日前のこと。朝7時にはじめて終えたのは9時過ぎであった。まだ茫々だが、つまり未完であるが、あっという間に2時間あまり経った気がした。今日は梅雨空だが雨はない。虫歯治療を終えた午後。南部風鈴がときおりかそけき音を奏でている。

 中沢けいさんのTwitterに「またなんかややこしいことを言い出している。」とあるので何かと思えば岸田首相の「節電にポイントを」という発言についてだった。ニュースを聞きながらぼくも同じことを思っていたので思わずいいねを付けた。

 ぼくの場合はさらに、「知恵」を出した官僚がバカのひとつ覚えのようにポイント、ポイントとゆうて困窮果てない人々をたぶらかそうとしている、と思ったのだ。Tポイント、dポイントは嬉しくなくもないが、人気取りの官製のポイントはいかにも愚の骨頂である。ほかにやることはないのか。核兵器禁止条約を批准してみろと言いたい。


2022年6月23日(木)

 仕事中のこと、スリッパを靴に履き替えているとき、うしろに立てかけてあった縦長の箱が4つ倒れてきて背中を直撃した。背中を向けていたわけで、不意打ちを喰らったようなものだった。その段ボールのケースは2メートルほどの高さがあり、なかには替の蛍光管が入っていた。少々の痛みはあるが、なぜ倒れたのかを知りたかった。よろけて触ったわけではない。立てかけてある壁を揺らしてもいない。無造作に立てかけられていたのでだんだんずれてついに倒れたと考えるのが順当だ。それにしても、ぼくの背中があるそのときを選ぶことはないだろう。

 数分後こんどは扉の隅に立てかけてあった木の板が倒れた。これは近くにあったカゴを引っ張ったときに一緒に釣られて倒れたので原因ははっきりしている。からだは無事だったが、もし近くに誰かがいたら、と思うと冷や汗が出てくるのだった。

 二度あることは三度ある、というからよほど気を付けなければいけない、特に帰りの車の運転には、などと呟いていると、2日前お風呂でお尻が滑って椅子から転げ落ち、ひっくり返ったことを思い出した。これを一回目とすれば木の板が三度目となる。つまり今回の偶発事件は事なきを得たと思いたい。


2022年6月24日(金)

 自己紹介は苦手だ。気の利いたことを言おうとしてついに転ける。それはいまだに名文が残っているからだ。立ち上がってひと言「キラキラ」、中学生の時だった。一瞬何が起こったのかと思わず辺りを見回した。男はすでに椅子に坐っていた。木田光(きだあきら)を急ぎ足で言うとこうなる。

 もう一つは「丸亀の小亀です」。小亀というのは本当の苗字だったが、なるほど小柄で剽軽な感じの男だった。そう、小亀のようだ。大学に入ってすぐのことだったように思う。丸亀高校出身だったからそういう風に自己紹介したのだった。いまは丸亀市に合併されているようだが綾歌町出身だったというのまで覚えているから効果覿面ではないか。

 なかなかこのふたつを乗り越えられない。近くに台湾料理店「福順」というのがある。遠くの街には「福順株式会社」も存在するらしいが、どこか他人事のような気がしない。「ぼくは、人呼んで、フーシュン、です」なんてね。


2022年6月25日(土)

 昼は熱風を浴びて火照り、夜は蒸し暑さに眠れない。このあと何日も続くという。6月にしてこの猛暑日はやはり異常である。


2022年6月28日(火)

 全国のほとんどの地域で梅雨が明けたようだ。梅雨の期間としては最短の記録になるというが、連日の猛暑に釣られて急ぎ発表したような印象があり、いわば後出しじゃんけんみたいな梅雨明けである。

 今日も暑い1日だった。パソコンの調子がよくない。「正常に起動しませんでした。このまま待てば再起動します。トラブルを直すならこちら、または詳しい人に聞いてください」などというメッセージが出る。何回目かに起動して、一太郎を開くと指示していないのに範囲指定がなされてしまう。メーラーでも同じ現象が起きた。こちらは古くなって一部機能が使えなくなっているマウスのせいかと「自己判断」した。新品に取り替えるとさっきの現象は消えた。実に快適である。

 ついでに、中を開けてほこりなどを除去した。すると起動はすんなりといくようになった。これがいつまでも続きますようにと願い、猛暑に悲鳴をあげたのだろう、家にいない日中は電源を切って休ませるようにしよう、と素人は考えたのである。もとより科学的根拠はないが。



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