日  録  祭りの前

2022年10月2日(日)

 路傍に人の踞る姿が見え慌ててブレーキを踏みそうになる。これが逢魔が時の心の動きであるのか、と目を凝らせば外に向けて折れ曲がった白いガードレールである。無事帰宅できたのが僥倖にも思えるから、あの幻像は注意怠るなというサインだったのかも知れない。10月のスタートであった。


2022年10月4日(火)

 日本画家の三浦幸子さんから展覧会『三浦幸子展−麒麟−』(10月24日〜10月29日、うしお画廊)の案内状が届いた。裏面はピンクの水玉がちりばめられた麒麟であった。「天空を翔ける聖獣麒麟・想像上の動物は自由気ままに描けるのが楽しく再び挑戦してみた。/常に冒険心を持ちつつ途上の先の出会いを楽しみに創作を続けていきたい。」と書いておられる。

 彼女の絵画をみるために越生の山中にある「山猫軒」に出かけたのはいつだったろうか。もう10年も20年も前のことになる。猫の絵が多かったが訪れる人がいるのだろうかというような山中のギャラリー&カフェで、建材を探して自分で建てたという建物に負けることなく、いわば「異風堂々」と輝いていた。こんかい裏面の鮮やかな色彩をちりばめた麒麟、その幻想的な作風に進境ということばが浮かんだ。

 案内状にはたった1行「お元気ですか」の添え書きもあった。40年前新宿の酒場で出逢って、その後展覧会場で1、2度顔を合わせただけなのに、老境に入ってなお、気にかけられ、気にかかるのである。もっとがんばれ、と言われているような気もする。



 かねての予定通り梅の木の枝を伐ることにした。天に向かってまっすぐに伸びた枝を高枝ばさみの尖端に付いているノコギリでゴシゴシとやるのである。チェーンソーが目下故障中で道具はこれともう一つ切れない両刃ノコギリだけである。根気の要る作業だが、桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、と呟きながら汗だくになってなんとか伐採を終えた。

 高くなりすぎた隣のネズミモチは道具を揃えてから次回に回すことにした。最後に真ん中の柘植の木を真っ二つに切ることとなり、ノコギリをあてた。柘植といえば櫛や将棋の駒の材料と連想は湧くが、切り安いのか切りにくいのか。はじめてまもなく隣家に用事でやってきた婦人が見かねたのか「ノコギリ持ってきてあげましょうか」と言ってくれた。「ありがとうございます。これで頑張ってみますので、」と答えた。見たことのない人だったが、お互い親身な感じがしたものだ。柘植の木はとうとう倒せなかった。


2022年10月8日(土)
 
昨日は終日冷たい雨。ときおり激しく降った。最高気温も12、3℃どまりだった。屋内や車の中では暖房をつけた。水道水が生暖かく感じられた。「水ぬるむ」の逆で、一気に初冬の寒さとなったわけだが、今日は平年の天気に戻った。昨日のことがあるので爽やかな秋とは言えないがほっとしたのは事実であった。

ところで、そろそろかと思いユニクロの超軽量のダウンジャケットをタンスから取り出すと、白い粉があちらこちらに吹き出ていた。これは何? と訊けば配偶者は「カビだわ、気付かなかった。洗濯機に放り込んでおいて」という。服に付く、こんな白いカビを見るのははじめてだったので調べてみた。
 
《白カビは私たちの身近に存在するカビの一つで、白色でふわふわしていたり粉っぽくホコリのように見えるカビです。白カビは食品や畳、木材や衣類など自然素材を栄養分とする特徴があります。そして服に生える白カビは、カビの中でも乾燥を好むタイプのカビが生えます。好乾菌ともよばれ、湿度が65%程度でも発生します。》

 とあった。毒性についてはさほど言及されていなかった。


2022年10月9日(日)

 キャスター付きのテーブルをやや小走りで押していると剥がれた床にはまってテーブルが倒れた。勢いで押しているぼくも倒れた。左足の足首と右足の甲をテーブルの角々で強打した。倒れたテーブルにしがみついていたのでそこから上は無事だった。

 殊に足首の方は家に戻ってからも痛みがあるので、熱冷ましシートを当てて冷やした。本来は発熱時氷枕の代わりにおでこに張るものであるが他になかったのである。効能書きを読んでみても、打ち身にもどうぞとは書いていないが、青いジェルがひんやりとして気持ちよい。冷やすという一点では共通しているからだろうか。


2022年10月11日(火)

大人用熱冷ましシートで冷やした足首の打撲は今日になると痛みがすっかりなくなった。内出血のあとはあり、まだ腫れてはいるが、もう大丈夫だ。全治3日間だったな。まだまだいけるか。あれ、誰かもこんなことを呟いていたなぁ。


2022年10月14日(金)

 健康診断を受けたあと「新宿遊歩道公園〜四季の路〜」を駅の方に向かってぶらぶらと歩いてみた。左手に花園神社、やがて新宿ゴールデン街の大きな看板が相次いでふたつ現れた。それぞれにいくつかの思いは湧くものの、いまはもう昭和でも平成でもない。来た道を戻るようにして私鉄の駅に向かった。

 終着駅に着くと駅前の風景が少しざわついている。なんだろうと思い巡らせると明日から川越祭りが始まることに気付いた。コロナ禍で2年間中止の憂き目にあったが3年ぶりに開催されると聞いた。令和になって二回目になるのか。当日見物には来ないだろうが祭りの前の華やぎだけは感じたことになるのかも知れない。

 LINEには「せっかく新宿に出たのだから何か楽しんできたら。美味しいものを食べるとか、」との忠言が入っている。「もう帰りたいよ。家でゆっくりしたい」と返信した。こんど来るときはそんな楽しいことを目的にしたいものだ、声に出さず、ことばにもせず、ただそう呟くのみ。


2022年10月16日(日)


 あの人が夢に出てきた。この朝はその人の家に入り込んで階上に幼い男をかくまっていた。別れてひとり降りようとすると踊り場にぬっと顔を突き出したのだった。笑ってくれている。40歳前の若やいだ姿である。出逢ったのもその頃だからそんな姿で出て来てくれたのだろう。亡くなったと聞いて何年くらい経つのだろう。還暦まで生きたのかどうかもうぼくにはわからないが、何年おきかに夢に出てくる。そのわけは何だろうか。早く私とのことを書きなさいよという催促だろうか。いやすべては自分の問題である。心の暗礁である。


2022年10月18日(火)

 通院、通院、人間ドックと続いた休日だったが今日からは当分何もない。朝、近くのクリニックに配偶者を送り、駐車場で終わるのを待っていた。すぐに済むだろうと思ったら、1時間以上待つことになった。あとで聞けば先客が20人近くいたという。インフルエンザの予防接種でもやっていたのかしら、と言う。そういう季節なんだろうが、しかし早すぎる。めっきり秋めくこともなく冬がやってくるのだろうか。


2022年10月21日(金)

 内々のことが気になってきたので、とりあえず玄関横の柘植の木の剪定を思い立った。かつて石榴の木があったところに柘植の木が繁茂している。石榴の木は大好きで大いに郷愁を誘われたものだが、引っ越して4、5年目(10数年前)くらいに突然枯れてしまった。以来柘植の木の天下になっているのである。朝7時、先端にノコギリの付いた高切りばさみと剪定ばさみを手に作業を開始した。

 柘植の木は5本くらいに増えたなかで、玄関に一番近い木が親木なのか、二重の塔のようになっている。あまりに高すぎるので上階をバッサリ切り落とそうというのが今回の目標だった。2時間かけて完遂した。

「ここまでやるとは思わなかったわ。見直した」内向きのことを何もしてくれないといつも不平を託っている配偶者はめずらしく褒めた。照れ隠しのつもりで「西日がたっぷり居間に入り込むようになった」というと「夏とちがって冬の西陽は暖かくていい」と応じた。「和解」みたいな一幕であったが、腕が疲れた。



 小室圭氏の司法試験合格が伝えられるとTwitterではあっという間に何万もの「いいね」が行き交った。日本には判官びいきという心情がある。日本人のほとんどは密かに応援していたのだった。ぼくもそのひとりでありその報にぐっとこみあげるモノがあった。自分でもびっくりするほどだった。


2022年10月23日(日)

 いま欲しいものはよく切れるノコギリ、かも知れない。


2022年10月24日(月)
 
 今日、「時給990円」の仕事中にちょっとしたミスを犯し、なんとか時間内に修正して、片付けを急いでいるとき左足首の表側を一緒に転んだテーブルの角にぶつけて痛い思いをした。二週間ほど前とまったく同じシチュエーション、すなわち「テーブルをやや小走りで押していると剥がれて凹んだ床にキャスターがはまって倒れた。勢いで押しているぼくも倒れた。左足の足首と右足の甲をテーブルの角々で強打した」という顛末、今回は足首のみで軽傷だったが、同じあやまちゆえにショックが大きい。

 慌てるとこうなるという見本のようだが、ぼくがダメになるときは、こんな小さな事故がはじまりとなるにちがいない、そんな予感もした。帰宅して、一週間前西の友二人に連名で送ったメールの返事が同時に届いているのを確認してやっと日常が戻ってきた。畏友二人のメールはそれぞれ、古墳探索の近況を語り、過去の日々に思いを馳せている。「懐かしい学生時代!そこに集ったわたしたち。若かった・楽しかった・真面目だった・幸せだった」と書いている。

 補充されたばかりの置き薬の箱から湿布シートを取り出して足首に貼り付けた。このシート、消費税込みで990円だった。治療に全部使い切っても1時間で元が取れるというわけか、などと埒のないことを考えたものだ。これは後日譚めいている。


2022年10月26日(水)

 いっぱいになった買い物カゴを乗せてレジに並ぼうとした寸前「あ、お米を買わなければ」と配偶者は言った。目の前に北海道の「ななつぼし」があったのでカゴに追加した。新米の季節であり、その連想から「ことしはお米が来ないけど、もう作るの止めたのかな」とぼくは言う。家に戻るとポストに小包の不在連絡票が入っていた。その小包こそTさんからのお米だった。

 安曇野のお米、美しいお米、である。同封の手紙に依れば、体力の衰えにより近所の人に助けてもらう量が増えたがなんとか収穫にこぎつけました、とあった。松本近在の多くの人の心がこもったお米でもあるのだ。その味を堪能できるのは光栄なことである。


2022年10月28日(金)

  早朝Tさんに礼状を書く。肉筆の手紙をもらったのでこちらも万年筆とインクを用意して食卓に移動した。黒インクが滲む字を書くのは年に数回あるかないかになってしまった。たとえば安曇野の漢字が書けなくてスマホで調べるようなことが続いたが、5枚の手紙を書き終えた。 





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