日  録  夢の中でも夢うつつ

2022年12月2日(金)

 3時半頃目が覚めたのでサッカーW杯「日本−スペイン」を観戦した。試合を楽しもうというコンセプトでテレビの前にいた。というのは勝った負けたと世情が喧しすぎると思うからだ。負けたときの「戦犯探し」は見聞きしていると反吐が出る。勝ったときの「おっさんの涙」にはオーイしっかりしろよ、涙はほかに取っておけ、と声をかけたくなる。これらの余計なお世話は所詮同じ穴の狢の発言かも知れない。堂安の同点シュートにぼくも感動した口であるのだから。

 全国大会に出場した母校の試合を観戦するために西ヶ丘サッカー場に出かけたことを不意に思い出した。恩師ナベさんが上京して来るというのでふたりの子供を連れて行った。義弟も付いてきてくれた。

 終わったあと近くの恩師の兄の家に招ばれた。下の子を義弟に預け、上の娘だけを連れて行った。人見知りをする娘を庇うように「純粋培養してきましたので」というとナベさんは面白いことを言うとでも思ったのか「純粋培養か」と笑って復唱した。甘やかして育てているというのが真意だったが植物遺伝の研究者でもあったナベさんには別の感慨があったのかも知れない。もはや聞くすべはない。

 四十年以上前のことであるのに、対戦した高校名も試合の結果も忘れているのに、それらのことだけは覚えている。恩師もそのお兄さんも、若い義弟までも逝ってしまった。思い出すことができるのはこの世にとどまっているぼくだけである。


2022年12月6日(火)

 夜来の雨。パソコンに向かって字を書いていると「入力時間が長くなっています。そろそろ休憩しませんか」というポップボードが飛び出すことが多くなった。続いて湯けむりを上げるコーヒーカップである。

 だいたい一時間ぐらい経つと右下の隅っこに出てくる。するとちょっと誇らしい気になる。まだいけるぞと思うのである。一方でいまは1時間が集中力の限界ということかと口惜しくなる。主に体力の問題と自分では思っているが、昔は時を忘れて書き続けたこともあったような気がするのに。

 ともあれ Windows も親切になったものである。ついこの間にはポップボードをよく見ると「入力ミスが多くなっています。そろそろ休憩してください」と書いてあった。身に覚えがないので考え込んだ。消したり付け加えたりの「推敲」をミスと呼ぶのだろうか。それとも本当に打ち間違い、つまり変換ミスが続いたのだろうか。AIに聞いてみないとわからない。謎となった。


2022年12月7日(水)

「広島高師の山男」は学生時代みんなでよく歌ったことをなつかしく思い出した。その後(80年ごろか)芹洋子か゛「坊がつる讃歌」と題名だけを変えて歌った。これが大ヒットしたので全国の人に知れわたるようになったがもともとは広島高等師範の山岳部の歌で、戦中戦後を通じて学生に歌い継がれてきたのだった。ぼくは寮生活をしたので酒盛りの時は必ずこの歌が飛び出した。ストームといって近くの女子大の寮に押しかけるときも走りながら歌った。

 6番まである歌詞のうちの2番と4番はこうである。

 2.人皆花に 酔う(よう)ときも 残雪恋(こ)いて 山に入(い)り  涙を流す 山男 雪解(ゆきげ)の水に 春を知る

 4.深山(みやま)紅葉(もみじ)に 肩時雨(かたしぐれ) テント濡(ぬ)らして 暮れてゆく  心なき身ぞ 山男 ものの哀れ(あわれ)を  知るころぞ

 哲学調でストームの景気づけになるとはとても思えないがそれでも歌った。深夜近いのに通りの住人から苦情を言われたり怒られたことは一度もなかった。あいつらならしようがないのー、ある意味で特権的に大事にされていたのだろう。

 しかしそんな蜜月は長く続かなかった。「山男」の歌が「インターナショナル」に代わっていくと、ゲバ棒や石が街路を飛び交う。機動隊もがなり立てる。あんたらよ、幾世代もの先輩を見習って勉強しんさい、と口に出さずとも、街の人はそんな目で見守ってくれるが、山男の時代には戻れなかった。


2022年12月13日(火)

 先日のキャベツは美味しかった。千切りにしてマヨネーズをかけただけだったが、サクサク噛んでいると甘みと旨みがでてくる。食べても食べてもまた食べたくなってあっという間になくなった。夕べのおでんの大根もまた美味しかった。うんうんと頷きながら食べていると「お代わりあるよ」と配偶者が言う。すかさず「もらうよ」と皿を差し出した。

 キャベツも大根も借りている菜園で作ったものである。ぼくはタッチしないがとなりのTさんの指導を仰いで配偶者が丹精こめる。Tさんや近所のKさんからめずらしい野菜(ともに無農薬)をいただくこともある。そんなこんなでいまや野菜大好き人間となった。


2022年12月16日(金)

 福岡に住む畏友から「喪中葉書」が届いた。今年1月に新年の挨拶をメールで取り交わして以来ずっとご無沙汰していたので急いでお悔やみを兼ねてこちらの様子などを書き送った。それが3日前のことである。

 葉書には近況めいたことは1行も書かれていない。いっそう返事が待ち遠しかった。一昨日と昨日は家に戻るとすぐにメールをチェックした。今日は休日なので早朝からメーラーをあけっぱなしにして受信を待った。すると午後2時過ぎになってついにメールが届いたのである。

 こちらは学生の頃の思い出などを「過去が近づいてくる」然と暢気に綴ったのだが、彼の返信は現実感溢れる、日常との闘いが縷々書き込まれていた。大略、わたしの老後は義母の介護、急速に回復してきた妻の鬱に寄り添うことのようです、と書いてきた。

 彼はずっと誠実でずっと正義漢であった。現実から逃げたりしない。福岡で一緒に寿司を食べたのはもう4、5年も前のことである。見習いたいぼくは来年こそは逢おう、と思うのである。

 
2022年12月20日(火)

 昨日はスマホに仕込んでいる歩数計が久しぶりに1万歩を超えた。仕事中の歩数ということだが、いつもは8000〜9000である。なかなか大台に届かない。ちなみに休日などは買い物に出かけてスーパーなどを歩き回る程度なので2000歩前後である。

 1万との境界は奈辺に有りや? ヒマな男は考えた。無駄に歩くことではないか。用がなくても歩くことではないか。ここでじっとしているか動くかで悩むときは迷わずに動くことである。これはまさに犬を連れての散歩またはジョギングそのものである。仕事中も歩け歩けと自分を奮い立たせよう。歩みが昂じてジョギングもどきになればたまに転けることもある。それでも起き上がって歩いて行こう。そうすれば月何回かは1万歩を超えるだろう。

 今日は1810歩しか歩かなかった休日だが、「551蓬莱の豚饅」が届いた。「これは絶対旨いですよ。一度食べてみてください」と贈り主のSさんは言った。Sさんは大阪で生まれ育った人だからこの大阪の名物をよく知っているのである。ぼくは初めてである。

 これはやばい、旨すぎる。甘さもほどほどに効いてまた食べたくなる味であった。ありがとう、Sさん。


2022年12月23日(金)

 孫たちへのクリスマスプレゼントを発送。10日ほど前から配偶者と娘があれこれ買い集めてきたものをぎっしり詰めた箱になった。

 ぼくは蚊帳の外だったが、夕べ届いたクマのぬいぐるみをひと目見て驚嘆した。配偶者は「注文まちがいだったかも、これは極大サイズだわ」としきりに後悔するがぼくの感想はちがう。よろこびの声をあげ、満面の笑みでクマさんを抱きしめる顔が思い浮かんだからだ。「いいね。いいね。」である。

 そのぬいぐるみを運ぶ箱だから巨大となった。孫らの第一声を「あ。デカ」とぼくは予想している。


2022年12月29日(木)

 どうしてそんなにしよっちゅう転ぶの? 報告するとこれが配偶者の返答であった。今回は10キロの箱を持ち上げたままパレットに蹴躓いた。箱を手から離してパレットの上に置いたあと横向きにひっくり返った。ゆっくりとした動きだったので大けがにはならなかった。右足の膝の側面をいちばん強く打ったように思ったが痛みはすぐに已んだ。

 靴の裏が剥がれていたのが原因だったのかも知れない。これが「どうして」の答えだが、「しよっちゅう」については異議があった。前回が2ヵ月ほど前で、その前はもう思い出せないほど遠い昔であるからだ。それはもう「しょっちゅう」とは呼んでほしくないがさらに歳を重ねればリスクは高まっていくわけだから、注意喚起のことばと受け止める。

 この一日前の27日は通院日だった。診察室に入って先生が来るまでの間に血液の検査結果表を見ていた。するとBNPの値が異様に高い。スマホを取り出して調べると(この値ならば)心不全の可能性がかなり高いとある。訃報記事を読むとかつては心不全がもっとも多かったような気がする。その心不全?

 まもなくやってきた先生も真っ先にそこにチェックを入れた。「あなたの場合はほかの原因でこの値になっていることも考えられます」「心房細動とかですか」「そうそう」とあまり深刻な様子ではない。仕事中に息切れがするとかの自覚症状もない。次の通院時(来春)に「心電図」などで調べようということになった。

 ことほど左様にいくつかの問題を抱えたまま年を越すことになる。このふたつは解決がもっと遠く、もっと遅くなる可能性がある。ちなみにBNP検査は今回初めてだったし、肩に痛みが来たのは転んでから12時間後だった。

 そんななかでいまぼくには書き継ぐことへの情熱が湧いている。一刻も早く完成させて自分自身と待ってくれている何人かを喜ばせたい。あれこれ考えていると夢の中でも夢うつつである。苦しいが愉しくないこともない。老いらくの恋みたいなものであり、これはもう新年の抱負に近い。

 
2022年12月31日(土)

 ことし一年ご愛読ありがとうございました。
 ここしばらくは「老いらくの恋」の成就にむけて身も心も捧げる覚悟でおります。


 どうかよい年をお迎えください。


過去の「日録」へ