日  録 ごめんね、モクレン 


2023年2月3日(金)

 去年の「日録」には、

《節分、アンケート風に言えば「D豆まきはしなかったが恵方巻は食べた」となる。早く行かなくちゃ去年みたいに売り切れてしまうと早々に帰宅する同僚女性に続いて、行き合わせた社員と「お、もうお帰り。さてどちらへ」「北北西へ」などと軽口をたたきながら帰宅の途についた。/ 戻ると配偶者が巻き寿司を作っている。珍しいことであった。北北西を向いて無言で頬張った。/で、いつもの豆まきは? と問えば「あら、すっかり忘れてた」と配偶者。豆まきをしないのは近年ではめずらしい。よって福本家はDであるのだった。》

と書いてあった。

 昼すぎに商業施設の中のスーパーに入ってびっくりした。惣菜コーナーに恵方巻がずらりと並んでいた。それもさまざまな種類がある。和風あり、韓国風あり、とんかつ巻あり。

 十センチくらいの太巻きで最も高いのが韓国風(キンパ)で598、以下498、398と100円きざみである。どれも安くないがこのコーナーは人人でごった返している。カゴの中を見ればどれにも5から6個の恵方巻が入っている。配偶者は数年前からこうだ、というがぼくにははじめての光景だった。縁起モノだから、豪華にして、売らんかな、買おうかな、である。わが家は2パック買った。十センチを半分にしてふたりで南南東を向いて食べた。質素なものである。豆まきは中止となり、福本家はことしもDだった。


2023年2月7日(火)

 夕方暖かさに誘われるように庭に出て、切り落とした枝の整理や楓の枝切りを行っていると、いつも見かける小太りの地域猫が庭に面した道路を全力疾走で駆け抜けていった。20メートルほど先を見れば近所の婦人が2匹のプードルを連れてお散歩中である。いつもはこのプードルが散歩に出るとどこからともなく現れてすぐうしろをのそりのそりとついて行く猫である。

 はじめて見かけたとき「めずらしいですね。どんな気持ちでついて行くんでしょうね」と声をかけると婦人は「わたしに付いてくるのなら人なつっこい、この子たちになら犬なつっこい、ということになるのですかね」と茶目っ気たっぷりに答えてくれた。ぼくは「おそらく両方でしょうね」と正直に感想を言った。

 全力で追い駆ける猫らしくない姿を見て確信した。なつっこさとは寂しがり屋のことであるか、と。


2023年2月10日(金)

 朝から雪が降る。大雪・積雪の予報もあるのでチェーンを着けておこうと思い立った。ひと冬2回の大雪で往生こいた次の年に買ったチェーンだが、その年も含めて何年も着けるほどの雪も降らずトランクに入ったままだった。

 一度着脱を試してみようとしたが地面が平坦でないからむずかしいなどと理由をつけて途中でやめていた。モチーフが弱い、つまり切羽詰まっていなかったのだが、こんどは内外からの圧力が強い。

「コンビニに寄っている間に積もったらどうするの?」「動けなくなったら、ネットで叩かれるよ。いまどきノーマルかよ、信じらんねぇ、などと」ある種の同調圧力ではないかとあやぶむ者であるが、ついに負けて、延々2時間かけて、雪の降りしきるなか、濡れて、泥まみれにもなりながら、なんとか着けることができた。時間はかかったがコツは覚えた。

「さっきテレビで、チェーンを着けてすこし走ると外れたおじさんが話題になっていたよ」配偶者は不吉なニュースを報せるが、まだ雪の積もっていない道路を走ってみた。音がうるさい、スピードが出ない、信号で停止すると静寂が訪れる、など「非日常」そのものだったが、のべ五キロほど走っても無事だった。外れたおじさんよりも意地を張ったおじいさんに軍配があがった。快哉を叫ぶ。こうなるとホンモノの雪道を走ってみたくなる。異常心理だろうか。


2023年2月14日(火)

 午前中の数時間龍眼の木を外に出して陽を浴びてもらった。ずっと中(玄関)に入れておいたので葉の緑がうすくなってきたような気がした。すぐに濃くなって元気を取り戻すとは思えないが人や猫やらと同じように陽射しの暖かさは嬉しいにちがいない。しかし午後になると風が強く吹いた。とても冷たい北西の風だった。今冬いちばんの寒い風を感受するようだった。寒い朝というのは情緒があるものの寒風は身に沁みる。心にも。

 夕方近くなっていたが、ホームセンターでジャガイモの種(キタアカリとトカチコガネ)を買い、そのあと鶏ふんを外のレジに差し出したときレジスターが故障した。ぼくと同じくらいの年格好の女性店員は寒さに震えているふたりを気の毒がり「いまわかる人を呼びましたので待ってください」。100円玉を二つ入れようとしたところ一つしか入らなかった。何度やってももう一つが落ちていかない。落ちないかぎりおつりを出せない、ということだった。何分か後に(意外と早く)うんと若い女子店員が潤滑油の入ったスプレーらしきものを手にやってきた。1分とかからず直った。

 吹きさらしの場所だったので待つ間寒風が肌を刺した。とんだハプニングに遭遇したと思う一方で、レジに立つ老婦人にも思いは及ぶ。そこは一番はずれのレジであった。いつ来るかも知れないお客さんを待ちながら何時間も立ったまま風に吹かれている。仕事だから寒いよぉなど弱音は吐けない。自分のことのように悲しくなった。

 寒風とはそんな奴である。


2023年2月16日(木)

「現在(いま)の端っこから端っこに架けて四〇年の歳月が横たわっていた。」

 この一行は実際に本文に書いたものであるが分かってもらえるかどうか。現在(いま)とは主人公40歳の頃であり、過去と未来のそれぞれ20年前20年後のことを書いておこうという目論見である。小説のモチーフといってもよいのだろうが、あれこれ説明をするとかえってわかりづらくなるかも知れない。

 各章に見出しをつけてようやく9章まできた。これは「希望」の章だったのでそこで終わってもいいのだろうが、20年後の、いまひとつの現在についての「希望」を書きたくなった。しかしアイデアが浮かばない。枯れた泉を掘る思いで呻吟する。つらいが、たのしい時間を過ごすことができる。思えば、全編、そんな小説修行の一生なわけだ、と自嘲する。



Instagram 経由で“大きなニュース”が飛び込んできた。7年ほど前に松山に移住した新人が塾をはじめるというのだ。その名も『加藤進学アカデミー』。人柄が人を呼び、すぐにも近隣生徒たちの人気を博するにちがいない。明日17日に開校するという。嬉しいことだ。


2023年2月21日(火)

最後の章をどうするか、思い悩む日々が続く。画面を眺めていても、前章を読み直してみてもアイデアは浮かばない。当然寝付きも、目覚めもよくない。柳広司の『太平洋食堂』(小学館文庫)に逃げる。明治後期の社会主義運動の歴史を勉強するような気持ちになる。大石誠之助の半生を描いているが、なかなか啓蒙的な本でもある。

所用の済ませて家に戻ったときは午後4時、まだ陽射しはあったが、気温は低く、風は冷たい。木蓮の枝を見上げながら、寒さを凌ぐ猫毛の冬芽のために、伐り落とすのがためらわれるのだと思った。4日前には道にはみ出した枝を五本ばかり伐ったが、そのための後ろめたさがなきにしもあらず。このまま天までに伸びろ、何の不都合があるものか、と。

今日一日それでも10行書けた。あとは根を詰め、手先の赴くままに、ウソを重ねるだけだ。矛盾はあとで直せばいい。

2023年2月24日(金)

  一ヵ月以上にも及ぶ庭の大木の枝の伐採作業、残すところ木蓮のみとなっていた。朝9時に借りっ放しの脚立を取り出して、とりあえず手の届く範囲から枝を切り始めた。天に向かって伸びているときはそんなに大きく感じないが、切り離されて地上に落ちてくると予想以上に嵩があるものだ。一本切り終えたところで車を停めて声をかけてくれた人こそが「応援しますよ。遠慮せず言ってください」とかねてより言ってくれている近所の人であった。「15分くらい後に応援にきますよ」。10メートル以上はある高い枝をどう伐るか思案しているときに渡りに舟であった。

 という次第で、太くて、高い枝はその人が持参のチェーンソーで伐ってくれ懸案の枝切りは終わった。たくさんの冬芽がともに消えたのはつらい。ごめんね、モクレン(これがアフター。ビフォアーはないけど)。


2023年2月27日(月)

 車検のためにディーラーが用意してくれた代車にて出勤。車通勤は許可制なので朝所属長に「代車なので今日はいつもとちがう車です」と報告した。即座に「高級車、ね」とからかわれる。その当位即妙ぶりに「そう、ぼくには超がつくほどの高級車です」と応えた。

 ディ−ラーの代車はいつも最新の機器を搭載した新車同然のものである。一日では覚えきれないほどいろんな機能がついている。使い方が分からなくて困ることもある。だから走行中も気になってしょうがない。走る機能だけあればいいと思うがディーラーの考え方はちがうようだ。「もちろんPRもありますが、もっとも大きな理由は最新の車でないとお客さん自身が納得してくれないことです」。

 いつぞやは赤いスポーツカーをあてがわれたことがあった。「年寄りふたりがこれで買い物に行くの?」と配偶者などは呆れ返っていたが、運転している身には慣れてくると快適なのであった。こんども走行中にあれこれいじると危ないと畏れたのか「高齢者には年代物の代車を、とお願いしてみたら」と言っていた。

 傷つけたりしないように神経も使うから「高級車」は疲れるばかりだったが、非日常的な楽しみはあった。それしも錯覚に過ぎないが。


2023年2月28日(火)

 春本番の陽気、冬仕様の厚着のせいもあって汗ばむほどだった。しかし夕方からは一気に冷えてストーブを点けねばならなかった。深夜、北寄りの西の空には上弦の月が浮かんでいた。2月が早々に終わった。



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