日  録  宿痾の痛み

2023年6月2日(金)

 終日雨。午後になって車で外出中に土砂降りに遭遇した。久しぶりのことでちょっとワクワクしたが、線状降水帯が居座っている地域ではドキドキ、ヒヤヒヤだろうと案じる。ここらあたりまで東上するかも知れないので他人事ではないわけである。

 ワクワクついでにあえて言えば、雨音を聞きながら机とベッドを往き来して1日を過ごすことができるので嬉しいのである。机の上ではほとんどアイデアが浮かばなかったがそれでも数行つまり数ミリは動いた。ベッドではドスト氏の『地下室の手記』(新潮文庫、江川卓の新訳)、終盤を興奮しながら読んだ。これが1864年(作者42歳のとき)、160年前に書かれていたというのに改めて驚かされる。自意識の極北としての他人への愛を思った。


2023年6月6日(火)
 
 畏友O君から葉書が来た。異常気象に閉口し、コロナへの警戒心をここまで緩めて大丈夫なのかと不安がり、最近DVDで『華麗なる賭け』を観たがこれは学生時代にY君と一緒に観た、と近況やら懐旧やらが肉筆で綴られていた。

 当時はいい映画がたくさんあったが「最近はないね」と嘆く。そういえば君とは『ブーベの恋人』をテレビで見たねとも書いてあるがこの記憶はぼくにはなかった。O君と観たのは『冒険者たち』で新天地の映画館だった。これはくっきりと思い出せる。その後何度も見て、観る度に感動している。
 
 返信メールには「忘れてしまって、ごめん」と書き、代わりに『冒険者たち』のことに触れた。記憶力のよいO君は覚えているだろう。青春のエキスを詰め込んだこの名作『冒険者たち』への感動、その中身には50年前の自分たちもいるからだろう。

           ※

 自意識について書き始めた小説が全体で30枚を越えたので、今日は数センチくらいは動いた。明日読み直せばよくないところ(凡庸、月並み、紋切り)が出てくるだろうが、恐れずに書いておくことも大事であろう、と云々。


2023年6月9日(金)

 大器晩成なんていう言葉があったなぁ、となんとなく考えていた。この歳になって書くことが湧き出しアイデアも浮かび早朝何時間か机に向かう。体調も悪くない、いや青年・壮年期よりよいではないか。もっと早くこんな生活を送っておればどうにかなったかも知れないと合間にナルシストよろしく思うわけである。するとこの言葉が連想されたのである。

 もし大器(潜在的、希望的な意味で)だったとしてこの場合の晩成とは後期高齢者の目前になるの? これはちょっとしたブラックユーモア(悪い冗談)である。もう誰も振り返らず、当然注目も期待もしなくなってからはさすがに滑稽であるからだ。としても「文に年齢は関係ない」という言葉を信じて大器であれ、凡才であれ、生き進むのみである。ちょっとパセティックになった。ちなみに「負け犬の遠吠え」とか「ごまめの歯ぎしり」とかも思い浮かび改めて意味や語源を調べてみたのだった。

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 眠っているときに蹴破った障子紙を補修した。補修用5枚入り百円、ダイソーである。先回の休日にはお風呂の剥がれたタイルを貼り付けた。強力な万能接着剤百円、これもダイソー。我がDIY(Do It Yourself)はお手軽である。器量が小さい。ダイソーは広島発祥、この業界のさきがけ企業であるという。いまや全国どこにでもある。

 カープが3連勝した日本ハムの新本拠地・北広島市の「エスコンフィールドHOKKAIDO」にも広告看板が出ている。試合中継のとき何度もカメラが写していた。これは大器であり、広島に縁のある人が自慢するのも納得がいく。


2023年6月15日(木)

 靴を二足買った。ひとつは仕事用、もう一つは普段履きのもの、いま人気の「ワークマン」だからともに安全靴(つま先が硬い。鉄心が入っている)となった。仕事用は底のゴムが切れ上面に穴が開いた状態である。何年履いただろうか。

 普段用は10年くらいは経っているのではないかと思われる。どこかに行く予定があってそのために急遽探し求めた。買った場所はよく覚えているが、何のためだったかは忘れている。それほど遠い昔のことで穴こそ開いていないがもはやボロ靴になってしまった。

 ともに替え時であるのだった。ただ、素足で試着して驚いたことは、長年25センチのサイズだったのにもはやこれだと窮屈であることだった。少し大きい25.5センチにせざるを得なかった。身長は年々縮んでいるのに足は伸びているのか。自分のからだほど不可知なものはない。
 


2023年6月16日(金)

 昨日今日と二連休だった。肩は痛む、お腹の調子がイマイチ、とさながら二重苦であったが、創作の方は進んだように思う。結末のアイデアが浮かんだからだ。忘れないうちにメモをしておいた。まだ40枚くらいなので遙か先のことだが、元気は湧いてくる。二連休はやはりいいものである。

 元カープの北別府投手が亡くなった。六五歳だという。活躍していた頃よく見ていたが堂々としていた。風格があった。うんと年上かと思っていたがぼくより九歳も若かったんだ。無念であったろう。


2023年6月20日(火)     
                           
 Sさんからトルコ石のキーホルダーをもらった。トルコ石は言わずと知れたパワーストーンで「心身の疲れを解きほぐし、ストレスを開放するヒーリング効果」があるとされている。これに大切な鍵をつけて常時身につけておれば、気持ちも明るくなるでしょうというのがSさんの粋な計らいであった。ありがたい。

 家に戻ると、教え子のT女史がトルコ旅行のお土産にくれた「鳥の目の魔除け? トルコ石のストラップ」が鴨居に吊り下げられているのを発見した。これは2005年のことだったからもう18年経っているわけである。おかげで大過なく過ぎこれからはふたつのトルコ石に見守られて是非いい仕事をしてみたいと殊勝にも思うのである。



2023年6月29日(木)

 肩の、骨の、こんどばかりはその痛みに参った。昨日あたりからやっと我慢できるようになったがこの2週間ほどは痛み止め(病院で処方されたロキソプロフェンというジェネリック薬品)を飲まないと動けないのだった。2錠を胃粘膜を保護・修復するレバミピド錠と一緒に服用して何とか普通の生活を送れる状態だった。しかし24時間経つとまた痛みがぶり返してくる。この瞬間がとても辛くてまた薬に手を出してしまう。その繰り返しだった。

 痛みは間欠的なものなのでしばらく我慢すれば遠のく。かつてはそうやって遣り過ごし薬で痛みを止めるという発想はなかった。ひたすら我慢であった。いまは辛抱できない。こらえ性がなくなったのか。それとも骨の変形が異常さを増しているのか。

 40年近くに及ぶ宿痾・掌蹠膿疱症のせいである。自己免疫疾患、原因不明と言われたが、はじめの頃は懸命に直そうとした。大学病院で原因を突きとめるための過酷な検査も何度かやった。歯かそれとも扁桃腺か。いずれも白黒はつけられなかったように思う。その後長く皮膚科を併設している整形外科医院に通った。処方される大量の抗生物質に辟易して通院を止め、いっときを怺えれば痛みは去る、自分の力で直すか、直らなければ飼い馴らしていこう、と決意した。

 それから30年が経って何かのきっかけがあっていま通院する先生にカミングアウトするとビタミン剤などと一緒に痛み止めを処方してくれたのだった。痛いままじゃ眠ることもできない、飲もう、飲んでラクになろうとするのだった。残っていた2年前の薬がほとんどなくなるまで飲んだ。痛みが長かったのは薬を飲み続けたせいかも知れない。結果的には飲むがここまでは我慢できるがここからは無理だという分岐点を必死に模索していた。痛みには、そんな境界線が確かに存在する。それがわかったのはただひとつの収穫であるか。

2023年6月30日(金)
                                                                                                                        庭にコスモスの花が咲いている。毎年9月頃一面に咲き誇るのだが今年は三ヵ月以上早く何本かが花を付けている。短日植物のはずだが夏至の前に咲いている一本もあった。異常気象でコスモスの体内時計も狂ってきたのか。蒸し暑い1日、人も狂う。えげつない事件が多すぎる。    
                                                        


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