日  録  われは不死身か? 

2023年7月4日(火)

 蒸し暑くて、寝苦しい夜が続く。ときおり目が覚めると首筋にいっぱい汗をかいている。午後10時45分遠くで雷が鳴っている。開けた窓からは冷やっとした風が舞い込み、南部鉄の風鈴が音を立てる。稲光は閃光のようにあたりを照らし雷鳴は激しくとどろいた。

 朝6時、お婆さんは虫除けの長袖シャツと麦わら帽子目深にかぶって畑に出かけ、お爺さんはパソコンの前に坐って考え事を巡らす。アイデアが浮かばないと、ベッドに横になって本を片手にうたた寝を繰り返す。これが休日の始まりである。まだまだたっぷり時間はあるから余裕のいっときである。

 夕闇が迫り、お風呂・夕食、野球観戦とルーティンが終わると今日1日の成果を思いやって、そして明日は仕事だと考えると脳のなかが乱れる。どうするの? どこへ行くの? 構造はあるの? いろんな疑問が押し寄せてくる。


2023年7月7日(金)
 
 暑さ真っ盛りの昼下がり、パソコンを開けて懸案の清掃(ほこり払い、すす払いとも言う)を断行した。こんど開けたときには是非やっておきたいことがあった。ほんの慰み程度の思いつきである。

 それはこのパソコンを改修してくれたとき EIGHT が取り付けてくれた「DVD(CD)ドライブ」の「コンセントをいったん外してまた付ける」という単純作業だった。このところシステムを何度かアップデイトするうちに「DVD」を認識しなくなっていたのである。 EIGHT にも助け船を出しその都度直ったのにこのところは「フロッピーディスクドライブ機器」と勘違いされるようになっていた。

 とりあえずなくても不便はないがもしこの単純作業で直ればと素人なりに考えたのだった。この浅はかな知恵は的中した。早速緊急でもないのにファイルのバックアップをいくつかした。それにしても、かつて時々直ったのはなぜだろう。晴れ時々雨みたいな天候と一緒なのか。

 いや、EIGHT 自作のこのパソコンが「丈夫で長持ち」の証なのだろう。あらためて、EIGHT ありがとう、と言いたくなった。


2023年7月11日(火)

 午後2時過ぎに車で外出。戻ったのが5時前である。いちばん暑い時間を陽射しの下にいたので「猛暑」を実感した。きのうは冷蔵倉庫の中で仕事をしていたので5時に外に出て熱風に驚嘆した。こんな日だったのかと思った。

 この日早朝には福岡に大雨特別警報が出された。その少し前からニュースで線状降水帯があることを知ったので LINE で息子あてに注意を呼びかけていた。とりわけ大雨、雷、強風のなかを登園・登校する孫たちを気遣ったのである。幼稚園は早々に休園となったことを知った。小学校は? その2時間くらいあとに「結局 小学校も休みとなりました」という報告を受けた。「よか判断ばい」と返信したのだった。

 九州北部、一週間にも及ぶ大雨、被害に合われた方々には心よりお見舞い申し上げます。


2023年7月18日(火)

 新宿健診プラザで人間ドック。10時30分に予約していたが早めに終わらせる必要があったので10時前には受付を済ませた。1時間ほどで終わり、急いで家に戻った。先週娘がコロナに罹り、4日後の日曜日に配偶者に感染した。娘は今日から出勤できるようになり、まだ本復していない配偶者を代わりに看なければならないのだった。5類に移行したいまは濃厚接触者という概念はなくなったがぼくはいまだ発症していないように思える。帰ってからも送迎、買い物などで猛暑の一日を過ごした。

 夜になってパルスオキシメーターが届き、早速測ると93しかない。慌てて24時間体制の「県コロナ総合相談センター」に電話する。看護師の女性は配偶者の状態を訊き、落ち着きなさいとでもいうように「もう一度測ってみましょうね。ゆっくりと深呼吸をしながら、はい大きく吸って吐いて、はい、吸って吐いて、」と電話口で言う。ぼくはベッドに横たわっている配偶者に「はい、吸って吐いて、」とオウムのように復唱して伝える。すると96、97、98まで数値が上昇したのだ。「上がりました。いま98です。97、96、また98になりました」と看護師さんに向かって実況していた。

「熱があると数値も低くなります。呼吸がしづらいなどの他の症状やだるい、起き上がれない、顔色が悪い、その上で数値が悪いときは救急搬送の必要がありますが、いまは大丈夫でしょう。もう少し熱は続くかも知れませんが、しばらく自宅静養を続けてください」。数値に一喜一憂するよりも本人の状態をよく見ることだ、と納得。これはそうそう頻繁に測るものではないと共々そういう結論にも達した。

 深夜近くなってぼく自身の熱を計ると37.0度だった。「これから上がるかも知れない。罹っているんだよ」と娘らは脅すがそんな気がしない。掌を額に当ててみても熱だってないに等しいのである。日中太陽の熱射を受けたなごりのような気がしていた。汗もかいて浅い眠りを繰り返し、起きる度に看護師さん推奨の「ポカリ」をがぶがぶと飲んだ。念のために葛根湯も飲んだ。明日にはどうなっているか。注目される。


2023年7月19日(水)

(承前)今日1日発熱はなし。汗だらだらの日中も36.6℃くらいだった。わが家には4つの体温計があり、3つがデジタル、残りひとつは昔ながらの水銀体温計。試しに全部にて測ってみたがコンマ2、3度の差があった。発熱とは何度以上のことか、という疑問が湧いてきたので調べてみると感染症法の届け出基準に「発熱とは体温が37.5℃以上を呈した状態をいい、高熱とは体温が38.0℃以上を呈した状態をいう」と定義されているようだった。

 平熱とは? 体温には個人差があるので平熱も人によってちがうことになる。3000人規模の人を調査して平均36.89℃という報告があるので、平熱と言えば36.5℃と理解しわれわれもそれに従っている。36.8℃となれば「すわ発熱か」と浮き足立つ道理である。が、基準の37.5℃よりはかなり低い。よってぼくは発熱なしと断じるのである。

 配偶者も36.6℃と1日中安定していた。夕方になった突然「にぎり寿司を食べたい」と言い出すのでかなり回復してきたように思われる。


2023年7月22日(土)
 
(続・承前)昨日夕方に体温が「37.5℃」となった。一回だけであと何回かは37.0℃を越えることはなく手前の36℃台後半を往き来している。しかし一回きりだったとはいえ「37.5℃」は衝撃である。ついに感染か、と思うのだった。LINEで息子らに「父だけはなぜか不死身だよ」と書き送った直後だったので、過信の罰が下ったのかも知れないとも思った。

 近くの病院何軒かに問い合わせるがすでに診察時間は終わっていた。県のコロナ相談センターでいくつかアドバイスをもらい明日、5日前の日曜日に配偶者が診てもらったクリニックに行くことにして「デジスマ」で予約を入れた。どっちにしても白黒を付けなければ身動きができないのだった。

 というわけで朝一番、熱は36.7℃になっていたが「37.5℃」の数字を掲げてクリニックに出かけた。発熱外来はクリニック前の駐車場である。先生と看護師が代わる代わる来て窓越しに診療してくれる。抗原検査はコロナ・インフルエンザともに陰性だった。「何の熱だったのでしょうかね」と逆に訊ねられた。罹っているかも知れないという怖れからくる自己暗示熱か。すると知恵熱の一種? と自嘲、云々。


2023年7月25日(火)

 今日も猛暑日だという。朝7時、道路を隔てた先の畑に鋏とカゴを手に降りていった。スイカを収穫するためである。一週間ほど前に「これはもう大丈夫です」隣のTさんが採ってきてくれたスイカは今まででいちばん甘くて感動したのだった。もう一度それを、と思い立ったわけである。

 食べ頃かどうかの判断は、茎の枯れ具合と音である。キーンという高い音か鈍く響く音か自分で判断しなければならない。5、6個を調べてみたが判断できなかった。収穫せずに戻り、庭に水を撒き、車にジェット噴射をかけ、道路に打ち水をしていると畑にT夫妻の姿が見えた。指南を仰ぐために再びカゴを手に降りていった。「これとあれのふたつ、叩いて比べてごらん。食べてみないと分からないけど、ふたつはいいでょう」夫人も「同じなら、大きい方が甘いですよ」。

 かくて所期の目的を達成した。


2023年7月28日(金)

  朝早くトウモロコシの植わっていた庭の一角を片付けるよう配偶者は命じた。カラス除けの網を取り外し、まわりを囲っている支柱を抜き、最後に枯れたトウモロコシの茎を除去する。そんなの朝飯前だ、とばかりに長袖のシャツに長ズボン、帽子をかぶって外に出た。それが7時前であった。網の取り外しはけっこう大変だった。次にまた使えるようにキレイに折りたたんでおかなくてはいけない。カラス以上の知恵が要った。

 この時間でこの暑さ、作業は1時間ほどで切り上げる。今日もまた凄い暑さで午後は居間で汗だらだらになっていた。

 ミッドナイトプレスに連載中の小説「神の餅」は昨日第四章「酸化と還元」がUPされた。山本かずこさんはその都度創作生け花を表紙代わりに飾ってくれる。今回は赤いバラの花のつぼみとドウダンツツジ、木イチゴなどの緑である。絶品である。長い時間みとれていた。バラの花が屹立している。しっかり書かなきゃ、と思った。


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