日  録  心エコー&寺田さんの声

2023年8月1日(火)

 昼すぎに雷雨。雷鳴はとても大きかった。ちょうど買い物に出かけているときだったが建物の中まで聞こえてきた。「しばらくここにいようね」雷の怖い配偶者はそう言った。市役所が停電、と隣の市の広報がニュースを流したのもその頃である。雷雨はほんのいっときだったが、家に戻ってテレビを見ていると近辺には竜巻や雹・あられの注意報がでているという。まだまだ大気は不安定らしい。夕方になって遠くで雷鳴。立松和平は2010年62歳の若さで亡くなったが『遠雷』はよい小説だった。これを聞く度に思い出す。

 
2023年8月4日(金)

 隣のとなりの鳩山町では39.6℃を記録したという。いつまで続くのか、果てしない猛暑。そんな最中に「551のアイスキャンディー」がクール宅急便で届いた。父が仕事帰りに買ってきてくれるここのアイスキャンデーが楽しみだった、食べたあとはドライアイスで遊んだ、と小さな頃の思い出を話ながら、送っておきましたよとSさんは言った。

 いろんなテイストのアイスキャンデーがたくさん入っていた。配偶者もぼくもすぐに手を出して一本ずつ取った。「自転車で鐘を鳴らし、キャンデー、キャンデー、と小さな抑揚を付けて呼びかけながら売り歩いているおじさんがいたな」。10円出して買うのが夏の楽しみだった。あんな田舎にまで来てくれていたんだなぁ、と自身の思い出を探りだしていた。

 都会で育った配偶者もアイスキャンデー売りと遭遇しているが「わたしは買ってもらえなかった。ともだちが羨ましかったわ」という。実家が病院だったので厳格だったらしい。しかしこんどの「551」はあっという間に平らげて「美味しかったわ。Sさんにもしっかりお礼を伝えておいて」。

2023年8月8日(火)
 

 NHKFMの「歌謡スクランブル」は「昭和歌謡集」だった。自宅まであと十分ほどのところで番組が始まった。なじみの声のアナウンサーが3曲目が「絶唱」4曲目が「霧氷」と告げている。郷愁から言ってもこれはともに聞きたいがその前に家に着いてしまうなぁと思う。家にはラジオが「ない」のである。

「防災の観点からも一台いるよな」となりの配偶者に言えば「知らぬ存ぜぬだったのに、50年経ってはじめて防災に目覚めた? 古いラジオ、ステレオ、ラジカセなら押し入れでほこりをかぶっているわ」「出して試してみるか」その気もないのに生返事をしておいた。案の定車を降りようとしたとき「絶唱」が始まった。無念。

 机の前に坐ってからパソコンでラジオが聞けることを思い出した。「らじるらじる」を開くとまだ番組をやっていた。表示されたこのあとの曲名(ほとんど演歌である)を見ながら、聞きたいのは小林旭の「昔の名前で出ています」と藤圭子の「新宿の女」くらいだなぁ、と思った。それでも蒸し暑い部屋でラジオをかけっぱなしにして小説の「次の展開」を考えていた。こちらはなかなか進むものではなかった。演歌は総じて単純で暑苦しいが、この二曲だけは「人間の構造」が感じられるのでいい。流れてきたときには耳を澄ました。


2023年8月11日(金)

 数日前の夜台湾映画「一秒先の彼女」(英題:My Missing Valentine /原題:消失的情人節)を観た。

 情人節とは七夕バレンタインのことで、男と女の出逢い(年に一度の?)を祝って台湾では大いに盛り上がるという。主人公の30歳の女性にはとても大切だったその1日が「消失」してしまうのである。しかしそのことで主人公は新たな出逢い、新しい出立を獲得するという、心洗われるようなストーリーである。

(24時間時間が止まってしまうという)嘘を嘘と感じさせないリアリティがあった。思わず涙がこぼれたのも不幸な少年時代を経て二十数年ぶりに主人公に「再会」する幼なじみの一途さに現実感があるからだろうか。いい映画を観た。


2023年8月18日(金)

 心臓超音波検査というのを受けてきた。5月末のレントゲン検査の結果、「心臓が肥大しています。心エコーやりましょう」とお医者さんに言われて予約を入れておいたのだった。あれから80日近くが経ったわけである。以来それまで同様特別の自覚症状もなく元気に過ごしてきたが、これは「胸部に超音波を当てて、心臓の様子(大きさや壁の動き、弁の状態等)を調べる検査」と予約書に書いてある。腹部のエコーは年一回の健診の度にやっているので、まぁ似たようなものかと思って臨んだ。たいして緊張もしなかったわけである。

ぼくは左手を頭の下にいれ右手を腰に当ててベッドに横向きに寝た。はじめは若い女性技師が背後から左胸のあちこちに超音波を当てていった。奥にあるモニターの前では年配の男性技師が画像を保存(おそらく)していた。女性技師は男性技師をときおり見やりながらぼくの背中に密着して超音波を当て続ける。もう目をつぶらないでぼくも画像を見ていた。何も分かるわけはないのに見ていた。

次に女性技師に代わって男性技師が超音波を当てるようになった。女性技師はベッドの足元近くの椅子に座って音波を直接映し出すモニターをみつめている。頭を捻ればぼくも見ることができる画像である。男性技師は「これが左心房、右心室はこの動き、心房細動は、」などと小声で女性技師に教えている。研修を受けているのである。ぼくは画像の中でときおり赤く染まるのは何? などと思いながらそれは赤いからといってまさか血であるまい、と苦笑する。

検査結果は3週間後の診察時にお医者さんから言い渡されるがベテラン技師は「先生に常に様子を聞いて、用心なさった方がいい」とアドバイスしてくれた。女性技師に見送られて部屋を出るとき、思ったより長かったなぁ、と時計を見ると20分くらいしか経っていないのだった。なぜ長く感じたのだろう。


2023年8月25日(金)

 休みの日、パソコンの前に坐っていると身体が火照って、汗がだらだら吹き出してくる。ついに上半身はだかという仕儀に至る。仕事のある日は冷蔵倉庫なので暑さを感じることはほとんどない。仕事が終わって外に出た途端に襲ってくる熱風によって「猛暑」を実感する。このときはすでに今日という日は過去の日になっている。休みの日はちがう。昨日熱風を感じた同じ時刻なのに、これからまだ休日の暑い1日は続くのである。

 モデルとなった人や物事から早く脱け出して想像力を全開にしていかねばならないときに夕凪のようにアイデアが停まってしまう。これは暑さのせいとはいえない。「君の書くものは何かが足りないんだよな」という寺田さんのことばが、こんな時に、40年後のこんな歳になって思い出されるなんて。ぼくの脳も気象みたいに異常を来しているのか。 

 


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