日  録 跡地めぐり 

2023年9月1日(金)

 もう9月である。予報によればこのあとも35℃前後の日々が続くようだから猛暑のまま突入するという感じがする。処暑などとは烏滸がましいかぎりだが、数日前の早朝、風の中に涼やかさを感じたことがあった。あれは希望としての秋、だったろうか。

 畏友から同窓で十年ほど後輩が主宰している出版社「南船北馬舎」の存在を教えてもらった。早速覗いてみればトップページに中野剛志、鶴見良行、小室直樹それに高橋和巳などの名前が並び、本の題名もスリランカ、ブータン、インドに関わるものが紹介されている。これは独特の風合いを持つ出版社で、いまや古典的となったホームページの体裁を保っているのにも好感が持てた。

 しばらくして南船北馬? かつて聞いたことがある四字熟語だがさてどんな意味だったか、と疑問が湧いた。淮南子(えなんじ、前漢武帝の時代に編纂された思想書)の一句「胡人は馬を便とし、越人は舟を便とす」を語源とし、いまは「あちこちを絶え間なく旅すること。忙しい様」の意味で使われるという。秋には読書、これも心の南船北馬、実際の旅に誘われるのもまた、物寂しい秋の心である、と云々。


2023年9月8日(金)

 数日前スーパーで、職場体験をするふたりの中学生に出会った。自分の上半身ほどもある段ボール箱を抱えていた。品出しを手伝っているという感じだった。箱は紙の商品が入っているらしく見かけほど重くなさそうだったが、顔を真っ赤にして懸命に運んでいる。出会い頭に「お、ご苦労さん。大変だね」とねぎらって(そのつもりだった)ちょいと名札を手に取って覗いてみた。

 中学生は笑うかと思ったら、唇をきっと固く結んでいる。親愛の情は通じなかったようだ。あとに付いていた配偶者が、「何してるの? ごめんね。怖かったでしょ」などと言っている。配偶者はこのあとも「なんであんなことをするのよ」とぼくを難詰した。「スーパーの店長に電話して、謝っておこうか。中学生の名札を手に取って見たのはこの人です。びっくりさせてごめんなさい、と」。「体験レポートに書く材料ができて喜んでいるかもよ。ヘンなおじいさんに名札を見られてしまいました。世の中にはいろんな人がいます、なんて」とぼくは韜晦した。名前を知りたかったのではなくどこの中学かを確かめたかったのだが、手に取るなどは行き過ぎだったかも知れない。

  高校生のインターンシップならともかく、中学生の職場体験にはぼくは反対である。文部科学省のホームページには例によってもっともらしく「望ましい勤労観・職業観の育成、人と出会いふれあいを大切にしよう、社会のよろこびや厳しさを実感しよう、将来について考えよう」などといくつものねらいが列挙されている。どれも馬鹿げている(事々しく書くこと自体が)。2005年に始まり、いまや90パーセントの中学で実施されているという。背景には「非行阻止」という考えが潜んでいる。大人はどこまでも子供を管理したいのである。もちろん中学生に罪はない。件の中学生ももちろんだ。まだあどけない顔をしていた。この時間ほかのことに熱中している方がよほど自分の将来に役立ったろうにと思いやった。



 水曜日と木曜日の連日通勤中に居眠りによって前の車に追突しそうになった。すんでのところでブレーキを踏んで事なきを得たが、その日から新しく飲み始めた血圧の薬が影響しているのではないかと思った。これはまっさんに聞いてみるべきだ。まっさんは卒業生で、薬剤師で、いまは夫とともに薬局を経営している。飲み合わせもあるかと朝飲む薬などを列挙して問い合わせた。ほどなく返事がきて、それはあたらしい薬特有の副作用である「低血圧」により眠気を催したのでしょう、とある。その状態での運転は危険なので主治医に相談なさってください、と忠告してくれた。納得した。専門家というものはありがたい。


2023年9月12日(火)

 西新宿に勤め先があった頃のことを思い出しながら書いていると(小説の)新しい展開が生まれて来るような気がする。一度実際に行ってみようか、などとも考えているが半世紀近く経っているわけであの辺はまったくちがった街になっているだろう。当時は地名こそ柏木から西新宿に変わっていたが、うんと場末だという感覚しかなかった。それが、地図を見たりネットの解説読んでいるといまはコリアタウンにつながる新宿都心の扱いである。

 「跡地」なんて呼ぶほど悠長なものではない。それでも行ってみたいと思うのはよく通った近くのそば屋「砂場」が健在だと知ったからである。ぼくよりも年上の姉妹がちゃきちゃきとしゃべりながら働いていた。喧嘩のように聞こえるが喧嘩じゃない。ままごと遊びの続きのような掛け合いである。店主の娘たち、仲良し姉妹だった。顔は似ていなかったが、性格はよく似ていた。いま老齢になった彼女たちかその次の世代が店を継いでいると想像するとそこだけは「跡地」などとは言えないわけで、心が浮き立つのだった。


2023年9月17日(日)
 
 16日孫娘ふたりを連れて智光山公園内の「こども動物園」に行った。3時間くらいともに遊んで駐車場に戻るとハザードランプが点きっぱなしになっていた。嫌な予感が的中した。エンジンがかからない。自動車保険の事故センターに連絡して、居場所を教えて、再度の連絡を待っていると隣に駐車している人が「バッテリーあがり?」と聞いてきた。

「ブースターケーブル持っているので、やりましょうか」と言ってくれる。迷わずロードサービスを断りその人に頼むと5分とかからずに解決した。助手席にいた奥さんも降りてきて「暑いので直るまでこっちの車に乗っていてください」と配偶者に勧めてくれる。親切な夫妻(40代前半くらいの人だった)のありがたい申し出が嬉しかった。

  偶然が重なってよい結果になった。つ(憑)いているというのはこういうことか。その前日はぼくの誘導ミスで羽田から孫娘たちを乗せてきたレンタカーのバンパーが縁石に当たって一部壊れてしまった。車を巡る小さな事故が続いたわけである。事前の電話では修理費の負担が発生するかも知れないと言われていたが今日返すときに「負担なし、保険でまかなえる」と査定されたようだった。これも憑きのうちであったか。


2023年9月20日(水)

 次の免許更新時には75歳になるので「認知機能検査」なるものを受けてきた。 記憶力・判断力を調べるのが目的であり、タブレットを使ったテスト内容は
16枚の絵を4枚ずつ4回に分けて見せ、
数分後(特定の数字を消すテストを挟んで)さっき出てきた絵の名前を全部書いてください、というものだった。戦車、太鼓、トマト、レモン、ペンギン、万年筆、
机、コート、くらいまでは思い出せたが(ちょうど半分)後は駄目だった。次にヒント付きの頁に移ると「動物は?」「台所用品は?」以外は思い出せた。

 すると「基準点に達したので終了です」となった。「あなたは認知症のおそれなし」というお墨付きの紙をもらって、帰りがけにとても後期高齢者とは思えないほど若々しくてきれいな婦人と一緒になったので「動物ってなんでした?」と話しかけてみた。

「ペンギン」「それは鳥ですよ」「じゃあ、思い出せないわ。難しいですね。最後に、いま何時頃だと思いますか、と訊かれたので1時30分と答えたら、ぴったり合っていました」「すごいですね。その質問ぼくにはなかったな。いやな検査でしたね」「ほんとに、ほんとに」と言い合って別れた。

 会場は川越市南文化会館、始まる前に飲み物の自販機がある休憩所に三段の低い本棚があったので近寄ってみた。半分は子供向けの童話本、あとの半分は一般の本だった。著者名を追っていると「中川剛」がある。まさかと思って取り出してみるとその人の『ガリバーの贈り物』だった。その人は少し前に同窓の者たちの間で話題になった大学の先生である。発端は中川剛『町内会 日本人の自治感覚』(中公新書、1980)が古本価格6万円となっているという10年後輩の発見であった。

 在学中に憲法学か何かの講義をとった気がしないでもないがで劣等生には思い出せない。30過ぎてから「中川剛って知ってるか」と寺田博さんに訊かれた。寺田さんは割り箸の袋に中川剛のペンネームを太い字で「中川裕朗」と書いて教えてくれた。それで知っていると言えば知っていると、その時の話題に参入したのだった。中川先生は1995年に60の若さで亡くなっている。その早すぎる死にもみなで驚いたものだった。認知症検査の会場で思いがけず晩年の本に出合うなんていうのも「いつまでも忘れてくれるな」という呼びかけであろうか。余談ながらその箸袋は長い間、大事に、机の中に仕舞っておいた。いまは、もうないはずだが、捨てた記憶(ゼロに近い)はないから、探してみようか。


2023年9月26日(火)

 夕方になって車を洗おうと思った。もう何ヵ月も洗っていない。そのわりには汚れていない。つい先送りしていたがついに決断、まず中をきれいしよう。掃除機を持ち出し、いざドアを開けるとわっとヨコバイが入っていった。小さなセミと言われる5ミリほどの昆虫である。群棲するコスモスに大量にたかっていたのだ。車内のどこがいいのか、なかで暴れ狂っている。

 中は早々に終え、外回りを拭きにかかった。するとヤブ蚊がやってきて眉間のど真ん中を刺した。二の腕にも2、3箇所。洗車は秋晴れの日の、まだ陽が高いうちにやるべきだと思い知った。


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