日  録  究極の選択? 

2023年11月1日(水)

 小山田浩子の小説が文庫になるというので7ネットに注文した。「カープ三部作も」などと帯に唄われている。週末名古屋へ行く用事ができたので新幹線のなかの楽しみにもなる。発売前の27日に注文を出したところ翌日には29日に届きますとメールが入っていた。そのことに気付いたのは今日である。5日までに受け取って下さいという催促のメールがきたからだった。

 われの問題は本の題名にあった。ずっと『小鳥』だと思っていたのに本当は『小島』(新潮文庫)だったのである。小鳥の方が題名としては素敵な感じがするのでそんな錯誤を犯したのか。いやちがうだろう。小川洋子の小説に『ことり』というのがあり、いまだ読んでいないが、いつか読もうと思った本のひとつである、その呪縛にちがいない。


2023年11月3日(金)

「庭の白樺の葉が紅葉して散り始めています。震災の前の年に掘り出してきたナンキンハゼの苗木が十三年して、直径三十センチの大木に育っています。」Tさんからの肉筆の手紙の冒頭である。Tさんは今年も安曇野のお米を送ってくれた。都内から居を移して山々を眺め、「首を廻して」野鳥を追いかけ、畑に野菜、水田にお米を作る日々を送っているという。その丹精込めたお米を十年以上送ってくれる。今夜早速炊いてみんなでいただこう。

 お米のほかに剥いたはちや柿(蜂屋柿、平安時代から伝えられる干し柿の王様)がひもを通した状態で同梱されていた。手紙の末尾は「風の通る寒さのある所に吊して、果たして干し柿になるかどうか、しばらく風情を楽しんでくだされば幸いです」とある。配偶者も読んで感銘している。「あなたよりもよっぽど、深い教養だね」。Tさん、重ねてありがとうございます。


2023年11月6日(月)

「12962」というのがスマホの歩数計に記録された4日の数字である。この日昼前に50年来の友人3人と名古屋駅前で合流、熱田神宮を散策してから、近くの白鳥古墳、断夫山古墳を巡り歩いた。時間にして約4時間である。

 その後車で駅近くに戻り居酒屋を2軒。「今日のお墓参りは最高でした」Uさんの総括は冴えていた。「誰が埋葬されているかは知らないが、1600年前に生きていた人に乾杯だね」。3人と逢うのはほぼ4年ぶり、やはり元気なうちは何回も逢わねばならない、とつくづくと思った。逢って生で聞くお互いの話は特効薬のように効く。なによりも愉しい。と、ここまでが12962歩であった。2日経ってやっと、腰とふくらはぎに痛みがやってきた。心地よし、と言うべきだろう。


2023年11月10日(金)

 午後もおそくになって練馬の義妹宅へでかけた。義妹宅には前の晩から配偶者も入れて3人姉妹が久しぶり(?)に揃っている。真ん中の義妹は札幌から上京してきた。忙しい身ながら、ぼくの到着を待っていてくれる。ぼくもせっかくだから逢いたい。およそ10年ぶりである。

 高速を使うことにした。義妹宅へ行くのも7年ぶりくらいになるが、ナビは経験上かえってややこしくなるとわかっていたので事前に地図を見て記憶を頼りとすることにした。約一時間後、近くのスーパーに車を停めて、うなぎ料理店の角を右に曲がって、森に囲まれた坂道を下って、下りきった窪地の住宅の密集した狭い道を縫って歩いた。意外と覚えているものだった。家の前には配偶者が外に出て待っていた。「コーヒー一杯飲んだら、すぐでかけるから」。逢うのはほんとうにひと目だったが、逢えてよかった。


2023年11月14日(火)

早朝、学生時代からの友人ふたりにメールを認める。

《(いまのアルバイト先では)今年の冬十二月で満十三年働いていることになります。人間関係や仕事が気楽であるというのが大きな理由ですが、最近時給が1000円を超え(七十過ぎたら時給ストップの方針から一転)、元気なうちは働いてもらいます、と上司は公言しています。ぼくはいよいよ「体力か仕事か」という究極の選択に向けて走り出すことになります。》

もうひとりには、

《一方で「小説」が書けるようになって自分でも驚いています。ミツドナイトプレスのWEB版に連載中のモノの他に毎朝少しずつ書き進めているモノもあります。働いているといろいろな人間に出逢い、その観察から想念が湧き出るのかも知れません。ぼくの「終活」です。》

 いささか悲愴的であるが、目下の現象に「終活」とはうまいことばが出てきたものだとわれながら感心し、このまま埋もれさせる手はないとここに「記録」しておくことにした。

 メールの直後、録画しておいた『ETV特集 個人的な大江健三郎』を観る。こうの史代が『ヒロシマ・ノート』について語り、知的障害の子とともに生きる美容師が『洪水はわが魂に及び』について語る。

 こうの史代は大江健三郎とのはじめて出会ったときのエピソード、この作家が路傍の花を摘んで「妻へのお土産にします」と言う姿を漫画にして見せてくれた。美容師は小説の中のモチーフ「祈り」を自分の身に引き寄せて反芻する。小説家や小説が他人の胸に届くとはこういうことかと知る。自分もそうやって享受してきたんだなぁ、と。


2023年11月21日(火)

 人生初(?)のエッセイの「執筆依頼」が来たので畏友と姉にLINEで報告した。何かとアドバイスやら刺激をくれる畏友、無条件で応援してくれる姉、「それはなにより。よかったな。」「今日は嬉しい一日になりそうです。」とそれぞれに喜んでくれた。

 その関係で古いアルバムを捲っているとき1枚の写真に惹かれた。南天の木のそばで、和服姿の兄と、姉と姉の同級生、それに姉が一緒に連れて帰ってきた「いきちゃん」が写っていた。「いきちゃん」は盆や正月に何度かやってきた。姉になついていた奉公先の子供だった。おかっぱ頭、目がくりっとして可愛らしい。ぼくより二つか三つ歳下の小学生だったろうか。

 これは50年以上前の正月の写真である。ぼくは写っていないのにこの1枚がアルバムに残っている理由は「いきちゃん」にあるのかも知れない。当時都会の元気はつらつな少女は新鮮だった。母親の七回忌のときに若宮神社の前で偶然再会した。それとてもう10年近く前のことになる。華麗な、流れゆく歳月を思わざるを得ない。



龍眼の冬支度のためにホームセンターに立ち寄り「ポップアップ温室」なるモノを買ってきた。組み立ては簡単、折り畳んであるのを伸ばすだけであった。ところが高さ(83センチ)幅(72センチ)ともにやや小さくて龍眼には窮屈すぎるようだった。そこで剪定を思い立った。器に合わせるなどは本末転倒かとも思い、せっかく枝を伸ばしてきた龍眼にも申し訳ない気がしたが、寒い冬を越すためにはやむを得ない。来夏も実は諦めねばならない。背に腹は代えられぬ。(ちがうか?)龍眼よ、堪忍な。温室の中はサマになっているよ。


2023年11月28日(火)

 U-Nextで『月の満ち欠け』を見られることになった。パソコンに入っているアカウントはメインではなかったので「購入」することができなかった。それで娘に頼んでメインの入っているテレビで観られるようにしてもらった。どうせだから多少画面の大きなテレビで観ようと思っている。原作はすでに読んでいる。アルバイト先の同僚にも勧めたことがあった。その同僚はつい先頃映画を観て「よかった。主役の大泉洋がいい演技をしていた」と感想を言っていた。以来これは観ねばなるまいと思っていたのである。

 U-Nextのラインアップには河林満さん原作の『渇水』も並んでいた。最近(2022年)の映画らしい。3年前には全作品集も刊行されている。57歳で死んでしまった心優しい河林満、再評価の気運は嬉しいことである。

2023年11月30日(木)

『月の満ち欠け』(廣木隆一監督)を観た。佐藤正午の原作のテーマ「生まれ変わり」をどんな風にビジュアル化しているかという興味が大きかった。こういうテーマのリアリティを担保するものは言葉の力だと信じているからだった。

 ところが俳優陣(大泉洋、田中圭以外はほとんど初めての人、柴咲コウ、有村架純、目黒蓮など)の演技の強さや、子役らのいたいけなさに「生まれ変わり」のアクチュアリティを感じた。

 見終わったあとに「生まれ変わり」とは「記憶喪失」とよく似ていないだろうかと思わせられた。記憶を辿り直すことは、喪なわれゆく記憶を懸命に思い出す苦痛か喜びかに酷似していないか。生きながら生まれ変わる、小説の魅力にも通じているのではないか、と。

 母が焼かれる直前に叔父は「生まれ変わってこいよ」とひときわ大きな声で叫んだ。はっと振り返ると泣きそうな顔をしていた。その叔父ももうこの世の人ではない。その場面をふと思い出した。



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