日  録   春爛漫? 



2024年4月30日(火)

 山本かずこさんの『岡田コーブン―ただ、詩のそばで』(2024年6月2日、ミッドナイト・プレス刊行)を読んだ。五年前の十二月に急逝した岡田幸文さんの「魂の記録の書」である。伴侶である著者はあとがきで「期せずして、岡田との共著のような様相を呈していることに気付いたことは、うれしい発見だった」と書いている。

ぼくはこの本をドキドキして、ハラハラして、一気に読んだ。ぼくの知り得なかった岡田幸文氏の「純情」に何度も襟を正さねばならなかった。やがて悲しみやつらさが横溢して涙が流れた。この本はたくさんの人に迎え入れられるだろう。若い恋人たちにも読まれるだろう。そこには一級の詩人山本かずこさんと幸文さんとのまことの愛があるからだ。

 先週の金曜日(26日)午前、直線距離にして二百メートルほどのところで住宅火災があった。サイレンの音がけたたましく鳴って数台の消防車が市の境界線となる道路上に停まった。窓を開けると机に坐ったまま現場付近を見通すことができた。視界の左端に黒煙が立ち昇っている。消防士のあわただしい動きが始まっている。黒煙は大きな塊となってより高く伸びる。やがてそのなかから紅蓮の炎が飛び出すようになった。数本のホースが懸命に放水を続けるが炎はいっそう大きくなっていった。

 窓際の野次馬はこんなので埒が明くのかと危ぶみながら、右となりの家にも燃え移った火災の一部始終を眺め続けた。約二時間後に火勢が収まった時は思わず快哉を叫んだ。全焼した二軒の住人は誰か知らないが、左となりのパンと雑貨のお店では白髪の上品な奥さんが店を切り盛りしている。次の日現場を見ながら走った時、焼け跡のすさまじさにさぞや怖かっただろうと思いやった。
 
 真近で火事を目撃するのは何年ぶりのことだろうか。初めてかも知れない。50年以上前大学構内の木造の建物が燃え尽きたことがある。一階に売店・本屋、二階にはサークルの部屋があった。当時属していた弁論部の部室から本を数冊持ち出したのは一つ下の女子部員だった。ずっとのちになって彼女からその顛末を聞いて炎に包まれる古びた、頻繁に出入りしたなつかしい建物を想像したことがある。軋む廊下を走って逃げる少女の姿を炎が追いかけている。しかしそれは実際に出くわした火事ではなかった。

2024年4月23日(火)

 庭の大半が野菜畑になって久しいが、いままでは配偶者に任せっきりであった。配偶者は道路ひとつ隔てた畑もこの庭もとなりのTさんに大いに助けられてそれなりに懸命に育ててきた。ぼくはと言えばもっぱら「食べる男」であり、夏も冬も格別の味わいを持つ野菜に恵まれ、体調もすこぶるいい。
 
さて今朝は「庭の畑に支柱を立てたい、いつもいつもTさんの手を煩わせるのは忍びないので手伝ってほしい」と言われ「ならば早くからとりかかろう」と外に出たのが8時前。トマトと茄子あわせて8つの苗に、生育して実が成ったときのために柱の囲いを作るのである。柱は土が硬くてなかなか入っていかない。1,2本をやっと立てたところでTさんが来てくれた。見るに見かねてということだったのかも知れない。
 
何本かを組み合わせ、ひもで縛り、長方形の囲いをアッという間に作る。頭の中に設計図があるのだろうか、手際はいいわ、頑丈だわで感心して、ぼくは「眺める男」と化した。ついでだからと、となりにはトウモロコシの苗を植え、カラス除けのネットを張ってくれた。またしてもおんぶにだっこである。
 
続いて畑に降りてジャガイモに肥料をまき、イモが露呈するのを防ぐための土寄せを教えてもらった。畑作業をするのは珍しいことなので何枚か写真を撮られる。Tさんは「野菜作りに興味を持ち始めましたか」と冗談交じりに言うが、農家の出なのにサマにならないのであった。

2024年4月19日(金)

 市役所の近くに来たので次の日曜日に行われる市長選挙と市議会議員補欠選挙の期日前投票をやってしまおうと思った。受付で「投票所入場券は持ってこなかったのですがなくても大丈夫ですか?」と訊けば「証明できるものがあれば」というのでマイナンバーカードを提示して入場した。
 投票を済ませたあと配偶者が投票した候補者を問わず語りに話すと両方ともぼくの票と一致した。市長候補者は昨日はがきが届いた女性だった。「3人の中からだれを選ぶかとなればつい聞き覚えのある人にしてしまう。あういうはがきも役に立つんだね」と配偶者は感心している。ぼくはそのはがきを読みながら「完全無所属」に注目していた。隠れ○○党ではないわけだ。同志らしい「完全無所属」市議会議員候補の女性のはがきも同時に届いていたがこちらは「立憲民主党の候補」に一票を投じた。

2024年4月12日(金)

「熱中症にご注意を」天気予報でそんなことが言われていたので、なんと気の早いことか、と思ったがこれはまっとうな注意喚起であるらしい。向こう一週間は連日気温が25℃前後まで上がり、湿度も60パーセントを越える、慣れていない体は異常をきたすというのだ。今日などは夏日とはならなかったのに外出したわれらふたりは「暑くて気持ち悪い」とこもごもに漏らした。冬の延長で厚着で出てきたせいもあるのだろう、倦怠感を覚えた。数軒のお店によって買い物をして、実はもう一つ野菜や果物の肥料を買わねばならなかったが「急ぐの?」と訊くと「今度でいいよ」と配偶者が言うので早々に帰宅した。両足の指先のしもやけがまだかゆいのにもう夏なのか、と恨めしく思う。

2024年4月8日(月)
 
何日か前のこと、配偶者が昼食のうどんに入れる天ぷらを何種類か買ったとき、338円のレシートに連なるようにして500円の「買物券」が5枚出てきた。そのスーパーにはポイントカードというのがあってある程度たまると「買物券」が出てくる仕組みである。これまでは忘れたころに1枚か、せいぜい2枚であった。それでもありがたいものである。

今回はレジの店員が何枚か出てきますよ、と予告してくれたらしいが、まさかこんなに出てくるとは思いもしなかったと配偶者は言う。外で待っていたぼくは「レジがまるで打ち出の小槌じゃないか」と論評した。素直によろこぶためには「一気に5倍」の謎が解明されなければならない。今日は特別の記念日? 広告チラシに載っているのか、などと考えた。まさかすべてお客さんに大判振る舞い? そんなこともあるまい。すると配偶者の何が「当たり」だったのか。いまはもう解けないし、解く気もしなくなった。ありがたく使わせてもらいます、ヤオコーさん。

2024年4月5日(金)

 自民党派閥の「裏金問題」のことがトップニュースとして報じられるたびに「小さいなぁ」と思ってしまう。離党勧告だ、党員資格停止だ、戒告だなどの対応を見ていてもなんかちがうなぁと異和を覚えてきた。これは結局なにに起因するのだろうか、つらつら考えてみるに「小ささ」に行きつくような気がする。時の権力や政治そのものが「小さい」。小説も小という字が冠せられるわけで「小」がすべて悪いわけではない。
 
三か月ほど前には、「まるでHR(ホームルーム)のようである。学級委員長が菅何某、副委員長が麻生何某、岸田はさしずめ「担任」であろうか。自民党の「政治刷新本部」のことである。どんなに大真面目に言い繕ったところでHR外の人、つまり国民大衆には届かない。それがわかっていないところがこの政権の致命傷である。いかに政治への志が低いかが現れたともいえる。岸田政権は能登地震で被災した人たちを必死で支えようとしている医療関係者、自治体、ボランティア、自衛隊の志に学ぶべきではないか。」別名、コップの中のあらそい。コップは世界を入れる器ではない。


2024年4月2日(火)

『図書』4月号に五木寛之が巻頭エッセー「モダンジャズの『花伝書』」を寄稿している。お、めずらしいと思った。いの一番に読んだ。マイク・モラスキー著の『ジャズピアノ―その歴史から聴き方まで』について「理論書でもあり、同時に文字によるライブ演奏でもあるこの本に出会ったことで、私の音楽観は確実に変わった。」と絶賛している。

さらに「日本語の文章が、ジャズのライブ演奏を聴いているような感覚を与える可能性を持つことを、私ははじめて体験した。」とも。短い文章ながら五木節健在なりと感じ嬉しかった。

HTMLについての疑問をホスティングサービスの会社に問い合わせると回答メールに「以下、インラインにて失礼します」とある。インラインとは何か? はじめて聞く言葉であった。早速調べてみると「相手のメールをぶつ切り(とは書いていなかったが)にしてそれぞれに応じた返事を書き連ねていくこと。相手によっては不快感を覚える人がいるかも知れないので先に断ることが多い。」とある。これならわかる。書いたことも受けたこともある当方に不快感などはない。

ネットには「そんなことばは知りません。オンラインのまちがいじゃないの。キーボードの「I」の右となりが「O」だしね」などとトンチンカンな回答もあった。サービス会社へのお礼の返信メールには「ひとつ物知りになりました。」と書いた。

それにしてもHTMLとは門外漢には辛気くさい「言語」である。体裁がリアルタイムでイメージできない。想像力も届かないシュールさがある。その都度サイトにアクセスして確かめねばならない。専門の人はあの「言語」でイメージできるんだろうと思うと尊敬の念がやまない。それを画像や文字に変換していくコンピュータにも同じ思いが湧く。

2024年4月1日(月)
 
 4月になった。今日も春本番の気候だった。玄関先の龍眼の木を温室(植木鉢全体にビニールのおおいをかぶせたもの)から解放してあげた。温室の中だったとはいえ寒さで一部枯れた葉を落として土の上に敷き詰め、緑の葉だけにした。まだ弱々しい緑だが、かき分けて幹の根元 を見ると新しい芽吹きもあった。これからまた大きくなっていくにちがいない。数日前通りかかったふたりの婦人から「それは何の木ですか」と聞かれた。南方の木で実は高い薬効があるようですがもっともっと大きくならないと実が成らないようです。来歴までは話せなかったがふたりの うちの一人は、ああその龍眼と頷いた。知っているようだった。

実が成ったのは何年前だろうか。その年だけで毎年というわけにいかなかった。寒さにいったん枯れて、また復活するということを繰り返していたからだろうか。薬局を経営している教え子には「こんど成ったら送るよ」と約束しているがなかなか果たせない。
 



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