日  録   五月の異変 



2024年5月31日(金)

2017年くらいからホームページのアクセスログが見られるように設定したが、ほとんど意味が分からず、解析などわかってどうするの? という気もするのでもう久しく見ない。代わりにここ数年は毎日の「UU」(ユニークユーザー、サイトを訪問した人、同じ人が何度訪問しても「1」と数えるらしい)と「PV」(ページビュー、ページの閲覧数)だけはチェックするようにしてきた。ここに最近異変が起こっている。今月の中旬以降「UU」はときに70前後から100くらいまで増え「PV」も最高300を超える日もあったのである。

2001年のミレニアムからはじめたホームページだが、いまや日録くらいしか更新しない時代遅れのHPであり、訪れてくれる人は多くても一日10人だろうと公言してきたし、「UU」も10前後、たまに20、で推移してきた。それがいきなり3倍、4倍増だから異変としか言いようがない。単位はちがうがテレビに映し出される円安グラフのような曲線が表示される。何が起こったのか、謎解きする気はないけれど、驚きと喜びが交錯する。そんな5月だった。

2024年5月28日(火)

帰路に就こうと車に乗ってエンジンをかけようとしたがかからない。3回目でやっとかかった。これが前兆だった。深夜と早朝に心配になって試みるとともにわりとすぐにかかった。ところが10時ごろ出かける用事ができていざ動かそうとしたもののエンジンはウンともスンとも言わなくなった。

保険会社に電話すると、20分ほど後にレッカー移動車でやってきたサービスマンはハンディな充電器とバッテリーとをつないで難なくエンジンを始動させた。バッテリーの電圧も調べて「いまのところ問題なく動いていますが、寿命が来ている可能性や他の故障も考えられるので整備工場で見てもらってください」と言い置いて帰った。

このあとの行動はいつものぼくとちがっていた。近くのカー用品専門店に出向きバッテリーの点検を依頼した。「いますぐ要交換」という診断にしたがってバッテリーを新品に変えたのだった。およそ半日でエンジンがかからない悪夢から解放されたことになる。いままではたとえば、ぎりぎりまで乗り回してついには路上で立ち往生するというのがぼくの行動パターンだったのである。臆病になったか、そういう異常事態に遭いたくない気持ちが先に立った。つまりはぼくとしては迅速に動いたということである。

いやぼくとて若いころはなかなか素早かったのかも知れない。小金井のアパートの大家が「なかなか記者的な処理ですな」と褒めて(?)くれたことがあった。25歳の頃だからどんな行動をとった時かは忘れているが現世で生きるすべは知っていたことになる。若さが戻ったか。若くなりたいのか。いずれでもあるのだろう。

2024年5月27日(月)

夕べヤモリ(守宮)を3匹見た。鍵をかけるために南側の窓を少し動かしていると開いた拍子に侵入しベッドの下に潜っていった。素早い動きであった。 ビニール袋を手元に置いて出てくれば捕まえて外に逃がしてやろうと待ち構えていた。家の中にいることはたしかであるが気配は一切ない。ずっと行方不明である。 あとの二匹は南と北のふたつの窓に愛くるしい姿で張り付いていた。

「なぜヤモリは窓にへばりつくのか」で検索すると垂直の壁や窓で静止できる足裏の構造的な説明はあったがその動機には触れられていない。 捕食のためとか火照ったからだを冷やすためとかの解説が欲しかったが、当たり前すぎて疑問にすらならないのだろうか。それとも謎の行動なのだろうか。

以上3匹のヤモリだが実はもう一匹目撃した。窓のレールの端で仰向けになって死んでいた。開け閉めのときに躱せなかったのだと思われた。


2024年5月21日(火)

パソコンとディスプレイの接続を間違えてディスプレイの電源を直接コンセントにつないでいた。パソコンとディスプレイはアナログディスプレイコネクターでつながっていた。そこから情報が送られていたので支障なく使えたのだったが、唯一の欠点はスリープ状態から復帰するときマウスの左クリックだけでは済まなくてディスプレイの電源を手動でオンにしなくてはならないことだった。

中古パソコンに変えて3ヵ月間ずっと不便を感じ不思議にも思っていた。パソコンが起動すれば同時にディスプレイもというのが普通ではないのか。よほどEightに聞いてみようかと思ったがその前にサイトからダウンロードしておいた、同型ESPRIMOの取扱説明書を開いてみた。そこで接続の間違いに気づいたのだった。あらまほしきものは先達ならぬトリセツである、という経験でした。

2024年5月17日(金)

 オイル交換を終えて戻ると置き薬の人が来るから応対してくれるように配偶者に頼まれた。担当Iさんは来る前にきまって電話で訪問の可否を確かめる。携帯にかかってくることもあるが今回は家電だった。鳴っても出ることはめったにない家電だがここだけは出るようにしている。ナンバーディスプレイでは「キー/アイーアイ」と表示されるので置き薬と分かるからである。暗号みたいだけどこれには何の意味もない。登録するときに変換が面倒だったので行き当たりばったりの名前にしただけである。

ともあれ16種の薬のうち今回使ったのはバッファリンとキズテープの二個だけだった。〆て1155円、こんな少額で商売になるのかと心配になるが、Iさんは長くこの仕事を続けているのである。

「旦那さん、調子はどうですか」と訊いてから機関誌を取り出しお勧めの記事を開く。今日はタイトルが「心身の不調につながる「気象病」」という神経内科医の久手堅司さんの記事。話のきっかけは毎回同じで、気圧差や温度差で体調の変化がなぜ起こるか書いてあります、対策もあるようなので読んおいてください、とまあ、このように始まる。40年来変わらないのである。


2024年5月13日(月)

 早朝5時すぎ、あわただしいサイレンの音とともに市の境界線となる道路上に消防車が5,6台集結した。先月26日に住宅2棟が全半焼した場所である。はしご車までやってきたので、すわ何事ぞ、出勤の準備をしながら時折眺めていた。煙の気配はどこにもない。住宅ではなくその向こうにある変電所かも知れないと推察したが、30分ほど経つと、一台を除いてあとは帰っていった。依然道路は通行禁止となっていたので別のルートを使って出かけた。

家に戻ってから配偶者にその後の情報は? と訊くと、ネットニュースには、5時の時点で「特殊建物出火」7時には「特殊建物非出火」とあったと教えてくれた。特殊建物とは変電所のことであろう。誰かが通報したに違いないが、幻の炎を見たのか。そんなのをぼくも見たい気分だが119番まではしないだろう。


2024年5月10日(金)

「てぜん」さんにまた会えるだろうか。その後数回そのコンビニに立ち寄ったが、いずれの日も彼女はいなかった。会えたらさりげなくこう聞いてみようと思っている。ご出身はどちらですか。

かつて娘から「店員さんに対して上から目線。偉そうすぎるよ。ため口もやめたほうがいいよ」と忠告されたことがある。「ため口」かも知れないがそれは親しみを込めているわけで、あとの二つについてはまったく見当はずれである。そんなつもりは微塵もない。

世間ではカスハラが瀰漫しているようだが、あるいはこんなことを聞くことも「いけない」のかもしれない。カスハラというよりもセクハラに近いというのか。

2024年5月2日(木)

 ネットショップで注文しておいた文庫本が届いたので仕事帰りにコンビニに立ち寄った。13桁の払込票番号を告げると女子店員がレジの向こう側で番号を打ち込み、足元の棚から取り出した封筒を見せる。「このお名前で間違いありませんか」。そうです間違いありません、と答えて、ふと店員の名札を見ると「てぜん」とある。はじめて目にする苗字である。どんな漢字を書くの? 教えてもらおうと思ったがすんでのところで遠慮した。

家に戻って配偶者にたずねてみると「聞いたことがない」というのでネットで調べてみた。すると希少な姓名として「手銭」と出てきた。「てぜに」なら、いまいくらか持っている、少ないけど、とか、昔は使う人もいたし、自分でも使ったような気がする。英訳すれば「ポケットマネー」ということだろう。

世間には変わった苗字があるものだが、本人にとってはごく当たり前のことであるのだろう。「てぜんさん」と呼ばれれば異和なく「はーい」と返事するのである。ちなみに急きょ買った本は『戦艦武蔵』である。作者の名前は「吉村昭」。



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