日  録 脳の避暑 


2024年7月30日(火)

読書もままならぬほどの連日の酷暑であるが佐藤正午『鳩の撃退法』(小学館文庫)上下巻・計1100ページ余をやっと読み終えた。かつて直木賞を受けたこともある、いまはうらぶれた作家が現実と創作の間で格闘するという、かなり意識的な小説だった。結末近くにはこんな述懐もある。
 
この小説も終わりが近づいている。  
だが、本当に終わりなのか。  
小説は作家が書き上げた時ではなく読者が読み終えたとき完成するとか、読者の数だけ作品の解釈は存在するとか、(中略)ちょっと文句の言いにくい意見が幅をきかせている模様だが、(中略)だれにも読んでもらえるあてのない小説を書きつづけ、いよいよ書きあげてしまおうという僕などの立場はどうなるのか。読者のつかない小説は、書いても書いても未完成か? この小説の存在は、無か。

 汗だくになりながら大いに楽しんだ。一抹の清涼感はあった。つづいては藤原竜也主演の映画(2021年)を観てみようと思っている。「観てから読むか」ではなく「読んでから観る」の展開である。ちょっとワクワクしている。

2024年7月19日(金)

 思い立ってサイボクハムに寄った。最近発売された地ビールとのコラボ商品「SAIBOKUビール」を買うためである。お世話になっている同郷の人に送りたいと配偶者はずいぶん前から言っていた。300mlの小瓶で一本289円、買い物かごに6本と自分が飲む分1本を入れて、別の棚を見るとシックな箱に入った6本セットがある。あ、これがいい。バラの小瓶6本を元の棚に戻して、1本だけはかごに入れたままにしてレジに向かった、つもりだった。

ところが家に戻ってどこを探してもその1本が見当たらない。レジで袋を買って商品を入れたのはぼくである。そういえば小瓶1本を入れたという記憶はなかった。7本とも棚に戻してしまったとしか考えられない。懸命に探して損をした、楽しみが消えてしまった、配偶者はふたつの悔しさにまみれたように言う。

夕方発送のためにクロネコヤマトに行った。担当の人は中の仕切りがないのでちょっと心配、と一本一本取り出して緩衝用のビニールに包んでくれた。なんとも親切な人である。買いそびれた自分用の1本は明日のお土産にしようかと優しい気持ちになったものである。

近くの本屋さんで『岡田コーブン』の書評が載った「週刊読書人」を手に入れた。正鵠を射る、温かい書評だった。評者は学者で詩人の田中庸介氏。

2024年7月16日(火)

 朝から雨が降り、気温も上がらず数日前の猛暑がウソのようである。畏友からはがきが届いた。先日軽い熱中症にかかったという。それで夏の奈良・紀州への旅を諦め、避暑地・信州へ行くことにしたと書いてあった。昔からの友の前向きな生き方は嬉しいかぎりだったが「一緒にどう?」と誘われて二の足を踏む。読み始めたばかりの佐藤正午『鳩の撃退法』がことに今日は捗り、話も文章も佳境に入ってきた。この涼しさはもう秋までお預けというので当分の間これは「脳の避暑」となりそうである。

2024年7月9日(火)

天津すだれを買った。このところ午前6時にもなると陽射しが居間と寝室に差し込み日中の猛暑を煽るのである。いつも立ち寄る商業施設の中のダイソーにすだれが並べられているのを見ていたので、これなら手が出る、多少は暑さも緩和されるだろう、となった。

とりあえず88×112と88×180のサイズのものをそれぞれ1帳ずつ買った。取り付けてみると幅88センチは「半間」に近いことが分かった。縦というか高さはふつうの障子戸が180センチくらいなので「一間」である。もっとも間は柱と柱の間隔を表すそうだから正確には「6尺」であろう。

居間は外に、寝室は中の障子戸の手前に、それぞれ垂らした。明日になってみないと効果のほどはわからないが、丸一日着放しのTシャツは夕方のこの作業でいっそう汗にまみれたのである。ともあれ、天津すだれとはなつかしいことばだった。大道芸・南京玉すだれというのもあるなぁ。
 

2024年7月5日(金)

 仕事帰りにスーパー内の床屋さんに寄って数か月ぶりに髪を切ってもらった。このあとも猛暑が続くというのでおそらく耐えられないだろうと思ったからである。仕上がって後頭部に鏡を立て前面の大きな鏡に映し出して「こんなものでいいですか」と問われた。さっぱりしたわけで不服はないが、鏡に天頂の白い部分が一瞬映し出されたのが気になった。

家に戻って「頭のてっぺん禿げてるか」と配偶者に聞けば「随分前にそう言ったでしょ」などと言う。手元に鏡がないのでスマホでてっぺんの写真を撮ってみればたしかに白い。意外感はあった。

「時の流れ」は止められない。そこで、当時中1の生徒から「カッパ」というあだ名を頂戴したことがあったのを思い出した。なぜカッパなのか、ふかく詮索もせず、芥川龍之介を連想した程度で、言われるままにしておいた。もしかして10年以上前のそのときからだったろうか。彼女は禿げてるよとは言えずあだ名で教えてくれたのだろうか。どちらにしても「知らぬは自分ばかりなり」である。

2024年7月2日(火)

夏至から数えて11日目の今日は半夏生である。雑節のひとつといわれるが名前の由来は雑草の半夏生(ドクダミ科)の葉が半分白くなる頃、それがあたかも半分化粧をしたような風情なのでそう呼ばれた。この説が有力であり、興味をそそられる。

サトイモ科のカラスビシャクの塊茎を乾燥したものも半夏と呼ばれるそうである。こちらは漢方薬であり、吐き気、嘔吐、咳、不眠などに効能があるという。

ふたつの半夏はまったく別のものらしいがそんな気もしないのは漢字の妙であろうか。蒸し暑い日だった。

2024年6月22日(土)

  《咲那は諾うでもなく否定するでもなく黙って聞いていた。掌の温もりのむこうで自分の気持ちが通じたようで嬉しかった。不意に思いついたので「ねぇ、生のジャズを聴きたいわ」とねだってみた。
「少し北の方にジャズ喫茶が一軒あったな。そこへ行こう。まだ時間が早いから生演奏は期待できないかも知れないが昔の名残りを感じることができる」
「昔の名残りって?」
 ここらあたりは江戸時代伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったところである。古い町名が次々と味も素っ気もない新表示へと変わっていったのに屋敷跡に由来する百人町という地名が残っているのは僥倖の部類に属する。戦災復興の十年、二十年の間は音楽の街としてライブハウスや音楽喫茶、ジャズ喫茶がひしめきあっていたという。いまは地上の街中にその面影はないが舌を噛みそうなジャズ喫茶パドヴァールは生き残りのひとつである。ここには「砂場」よりももっと悠久な、百年、二百年の時間が堆積しているように思えた。跡地でも格がちがう。》

 これは書きさしの小説の一部である。新宿のはずれ、主人公がかつて馴染んだ蕎麦屋を訪ねたあと新大久保へと足を伸ばすくだりである。これを書いた半年後の今日、家族で百人町のコリアタウンに出向いて韓国料理を食べることになっている。この草稿に関しては「金沢」を書いた何か月かあとに能登地方で大きな地震が起こった。いまや完全に暗礁に乗り上げて結末になかなか届かないが、現実が追いかけてくるような不思議な感覚だけはある。20年ほど前には走行中に鳥がフロントガラスにぶつかってくると書いた。そんなことはあり得ないだろうなぁと思っていると数日後の早朝一羽の小鳥が当たったことがあった。閑話休題。内外の人でごった返す百人町に出向いて「モダン韓食堂」で韓国料理の精髄を味わってきた。
 
2024年6月21日(金)

1月の誕生月を過ぎてアルバイト先の健康保険から後期高齢者保険(国保のひとつ)というものに移行した。その月のみは窓口負担が1割で2月からは2割負担に戻った。当初は1割を楽しみにしていたのにとあちこちで嘆いていたが、そのほとぼりも覚めたつい先ごろ市役所から手紙が届いた。

あなたの3月度の医療費が高額療養費に該当する見込みだから支給申請書を至急(洒落ではない)提出してください、金額はおよそ1,400円になる予定、などと書かれている。3月は一回通院しただけで「高額」を支払った覚えはなかったが還付詐欺などではなくれっきとした公文書である。
 
調べてみると制度の見直しで自己負担額が1割から2割になった人を対象にその月に支払った医療費の半分が限度額3,000円を超えたとき超過分をあとから指定口座に戻してくれるというものだった。ぼくの場合、診療費、薬代合わせて8,800円ほどだったので、その半分4,400円(1割ならこれで済む)は限度額を超えていた、ということらしい。

何回も読んでその仕組みがやっとわかった次第である。こんな辛気くさいことを考える人がいるものだと感心する。当事者としてはきめ細かいご配慮と感謝すべきところだが、2年間ほどの経過措置だというから高齢者誑し込み、政治資金規正法の改正同様のお為ごかしと思えなくもない。もちろん断る理由はないので早速今日申請書を届けたのだった。

2024年6月18日(火)

 明け方から夜まで雨が降っていた。最高気温も20℃くらいだというからびっくりする。先週は山本かずこさんとお逢いすることができた。後期高齢者&半肉体労働者としては7か月ぶりのプライベートな「外出」となり、敬愛するこの詩人とはおよそ七年ぶりくらいの再会だった。彼女は五年前の冬に急逝した伴侶の岡田幸文氏との出逢いと別れを辿る『岡田コーブン ただ、詩のそばで』(ミッドナイトプレス刊)を上梓している。巻末には二人の詩がならぶ。

ほら あの人が帰ってくる
あの人は私に何でも教えてくれるでしょう
鳥の名や花の名を
そして私がもうひとりではないことを
(岡田幸文「無題のアリア」)

一年を経て とむらいは
花も鳥も風も月も
終わらせることはできないことを知った
しらこ川沿いにも
また 春になったら
桜の花は咲くでしょう
夏になったら
あなたが暑いという ほんとうに
いつまでも暑いわね と
わたしが答えて
夏の終わりに たえきれず
髪を 短く切りました
いつのまにか 秋がやってきて
なります橋を ゆっくりとあるいてゆく
あなたの
うしろ姿をみかけたような気がした
(山本かずこ「花も鳥も風も月も」)

「わたし」と「私」の純情無垢の関係性を描き切ったとぼくは思った。つくづくいい本であると何度でも言いたい。岡田さんが向こうで照れくさそうに笑う顔が見える気がする。


2024年6月11日(火)

通院日だった。血液検査などの結果表を見ながら先生は「APTT(血液サラサラ薬の効き具合を示す値)も高目になりましたが、まぁいいでしょう。いま150mgを二回に分けて飲んでいますがたまに一回にするとかの方法もあります。血栓リスクが高くなるので、あまり勧められませんが」と言う。

貧血の度合いはどこを見ればいいのですかと訊けば「あなたの場合は慢性的なんでしたね」と過去の結果をパソコン画面に呼び出した。「アルブミンの値がここまで低いのは気になりますね。口はばったい言い方ですが栄養が足りていないのかも知れません」。おや、と思った。3度の食事はきっちり摂るし中身も悪くないと思っていたからだ。ただ食は細くなっている。そのことを言うと「高齢になるとみんなそうなりますが、前にも言ったように肉類を多く食べるようにしてください」とアドバイスしてくれた。「野菜はふんだんに食べるのですが」と切り返した。まぁ、あまり深い意味はないが、そのあと買い物に付き合っていると配偶者は「今夜は焼き肉」と決めたようだった。栄養云々の話はあえて話さなかったが、通じたのか。


2024年6月7日(金)

クラウドハウス労務より給与明細が届いたので早速開けてみた。お目当ての項目は「定額減税−2500円」。3万円に達するまでには12回、ざっと一年かかる。配偶者の分を含めればさらに一年。定額減税は所得の多寡にかかわらず平等といわれるがわれにはきわめて実感の乏しい制度である。年齢に関係なくと謳われているがあと何年所得税を払える「身分」でいられるかどうか、これもきわめて不透明である。後期高齢者となって保険の自己負担が1割になると待ちに待っていたときも、なぜか2割のままにとどまった。大きなショックだったが、お金にまつわる制度というやつにはつくづく付いていない。宿命(さだめ)なのだろうか。


2024年6月3日(月)

韓国語でサツマイモのことをコグマというらしいがわが家の台所のコグマからはが出てきて日ごとに大きくなっていく。雨もよいの日、天井越しに雷鳴もあり、梅雨が近いのか。


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