日  録   


2024年9月13日(金)

今日から5連休がはじまった。用事を済ませて戻るたびに暑い暑いと嘆いていると配偶者から仕事場では涼しいのでしょうが家の中は毎日がこんな風ですと言い返された。仕事場は冷蔵倉庫なので暑さを感じない。居間のエアコンは20数年も前のもの、年季が入り過ぎている。効きも悪い。嘆くのは毎日酷暑にまみれている配偶者の方であろう。その通りだねと頷くしかなかった。

しかし休みは休みである。最近はとくに嬉しいのである。明日は息子夫婦が孫たちを連れてやってくる。8歳になった長女は「埼玉、楽しみ過ぎるよ」というメールを寄越した。ひと昔前なら「超楽しみ」というところだろうが、次の次の世代は「過ぎる」と表現するのか、と微笑ましくなった。

2024年9月10日(火)
 
朝、近くのクリニックに配偶者を送迎、その1時間後には自分自身K病院へ。聴診器を当てると即座に「心房細動だ」と先生は呟いた。すぐにわかるんだなと感心したので、「何か気を付けることはありますか」と尋ねると「いや、特には。まぁ、無理をしないことですなぁ」。

配偶者を送迎したクリニック近くの薬局へは合わせて3回行くことになった。病院帰りに処方箋を預けておいて夕方近くなって取りに出かけたからだ。6種類の薬・ビタミン剤がそれぞれ91日分、ほかにロキソニンと葛根湯各7日分、食料品の如く袋いっぱいになる。毎回げんなりしないでもないが、このうちの何種類かは止めたら大変なことになるのかも知れないと思えば、無下にはできないわけだった。

2024年9月6日(金)

 JAでお米が買えてちょうど2週間が経った。コープは相変わらず落選が続き、あと数日残りが持つかどうか、などというので買いに走ることした。
 
カインズホームには入っていた、初めて注文をした人が当選したみたいだからコープの抽選はわりと厳格にやっているようだ、などとの情報が耳に届く。ふたつともウソではないだろうが、そこへいざ駆けつけてみても売り切れとなっているにちがいない。政府の担当者は新米が出回る今月中にも解消するだろうと暢気なものだが、生活者はさしあたり今日明日困るわけである。まぁそのわりには世間から大きな悲鳴は聞こえてこない。
 
閑話休題。この間のJA直売所では赤い、大きな字で「お米完売」と書いてあった。レジにて玄米もないのですか、と訊くと今朝は一粒も入らなかった、事前に分かるのですか、とさらに畳み込めば、わかりません、来たり来なかったり、と困惑気味であった。次にその近くの酒屋スーパー・増田屋に寄ってみた。

すると5キログラム入りの新米が10袋ほど積み重なっているではないか。ここのレジの女性は、ほかにはまだないのですか、と澄ました顔で答えた。埼玉県産のシキユタカという銘柄だった。カンが働いたというべきだが、うわさにたがわず高かった。
 
家に戻って、暑いですね、と近所の人にあいさつを交わし、ついでに第2回の米騒動の顛末を話せば、よかったね、うちはもう、もっぱら麺類ですよ、と笑っていた。

2024年9月4日(水)

 東松山にあるピオニウォークへ行った。ピオニとは市の花・牡丹の英名ピオニーから、ウォークは同市がスリーデーマーチで有名なことから、ふたつを合成して名付けたという。運営母体は名古屋に本社を置くユニー。それはともかく、花盛りの5月頃、箭弓神社の近くの牡丹園を見学に行ったことがあった。堂々とした居住まいに感銘したものである。「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」の牡丹である。
 
ぼくは配偶者らが買い物をしている間、本屋をのぞき、飽きると店の前の椅子に坐った。スマホを取り出してみるも、それもすぐに飽きて椅子に凭れるようにして目をつむった。背骨も砕け散るような、体たらくである。一週間にも及んだ台風窶れか、残暑バテか。配偶者らは目当てのものが見つかり、いっそう元気になっていた。昔はともかく、いまやそのことわざのように形容されるはずもないのだが。

2024年8月23日(金)

 スーパーなどの店頭からお米が消えている。わが家に関してはコープのデリバリーサービスで定期的に購入してるから大丈夫だろうと高をくくっていたところ、「米供給不足のために次週配達のお米は急遽抽選商品とさせていただきました。あなたは落選です。」という「お知らせ」が入っていた。それに気づいたのが昨夜のことであった。風雲急を告げるとはこのことである。

コープに対してはひと言苦情を言わねばならない。「頼り切って、安心しきっていたのに、定期的に購買している人を優先すべきではないか、俄か発注者(たぶん?)とともにひとし並みに抽選とは何事だ」とは書かなかったが、似たようなメールを送ったあと、次の日、つまり今日、近所のスーパーと5キロほど離れたJA直売所を訪ねた。スーパーではお米の代わりに「さとうのごはん」がずらりと並んでいた。数パック買った。次の直売所では一日一家族5キロまでという制限付きだがここでは新米らしいお米が買えたのである。さすがJAである。

精米したてのまだ温かいお米抱いて家に戻るとコープからの返事が届いていた。
 
《この度は、お米の抽選につきまして、ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。  2023年度米につきまして、想定をはるかに超えるご利用をいただき、在庫がひっ迫しているため、急遽抽選となりました。2024年度の新米が出そろうまでの間、抽選でのお届けを予定しております。  生活に欠かせないお米につきまして、お届けできないことにより多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。24年度の新米が出そろうまでの間、なにとぞご理解のほど申し上げます。》

疑問をほどくにはほど遠い回答だった。

2024年8月16日(金)

 午後2時ごろ台風無縁と思い込んでいたこの地にも暴風雨はやってきた。だが一刻で止み、4時前には晴れ間も覗いた。
 
新幹線が全面運休、空の便も羽田・成田発着便が全部欠航となっていたのでこれは大変な事態だと身構えていただけに完全な肩すかしだったが、自然災害に際してはこれくらいの心構えが必要なのだろう。
 
石牟礼道子の『苦海浄土』を読みたくなった。ネットショップに第一部新装版文庫があったので注文を出した。大宅壮一ノンフィクション賞を辞退した理由について後年作者はこんな風に答えている。「(『苦海浄土』を書いているとき)荘厳(しょうごん)されているように感じました。現代詩を超える「詩作品」のつもりで書いた。ノンフィクションでもフィクションでもありません」。ここで荘厳とは仏像を照らし、輝かせる光りのことをいうらしい。
   
20数年も前に石牟礼道子を読み継いでいると言っていた古くからの友人のH氏に久々のメールでそんなことを知らせると「実は『苦海浄土』はまだ読んでいなくて4,5日前にようやく全3話を読み終えたばかりでした。奇遇に驚いております これはお盆の引き合わせですね」という返事が届いた。

2024年8月9日(金)

 17時になって風・雨・雷。いずれも激しい。「ゲリラ豪雨」かと思われた。先週にはこの地域に1時間に100ミリを超える雨が降り道路が冠水、時間はちょうどいま頃で、ぼくは車を走らせて家路に就いていたがワイパーを全速で動かしても前が見えない。路上の水の深さも測れない。やっとの思いで家に着いた頃にこのあたり一帯に大雨注意報や、洪水警報が発令されたというニュースに接した。それからしばらくの間大雨は降り続いた。交通機関の運転見合わせ、停電、河川が氾濫危険水域を超えたり、一部地域では床上浸水もあった。天地異変から遠い場所だと思っていたのに、これはどこでも起こりうる、例外はないと思い知ったものだ。
 
昨日の夕方、日向灘でマグニチュード7.1、震度6弱の地震があった。南海トラフ地震との関連が指摘されており、不謹慎を承知で言えばいよいよ「真打ち」の登場である。福岡に住む息子からみな無事というメールが入った。こちらはそれで地震の発生知ったのである。息子は心配性の配偶者の心を静めるつもりで揺れが収まるとすぐ書き送ったのだろう。

しばらく経って日向市に住む畏友にぼくはお見舞いメールを送った。大丈夫です。2信、3信とやり取りを重ねるうち「焼酎で晩酌中。暑くて、飲まずにはいられません。明日を頑張らなきゃ」とあった。いずこも同じである。

2024年8月6日(火)

 8時からの平和記念式典の中継を見た。こども代表の「平和への誓い」はこんな出だしではじまった。
《目を閉じて想像してください。緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。》
さらに続けて、
《被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。(中略) 今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。(中略)さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。 世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。》

こども代表のことばには毎年心を動かされる。未来は彼らの肩にかかっている、と思うからだ。ことしもちがわないが、他の感慨もある。生まれる4年前に原爆が投下されその22年後にぼくは広島の街に行って学生生活を送った。79年というのは現在の自分年齢と変わらないんだなぁ、なぜかそんなことを感じたのだった。望郷の念に近いのかも知れない。

2024年8月2日(金)

早朝車を走らせながら、朔日というのは月のはじまりのことで晦日と対をなすのではないか、では柑橘類の、因島原産の八朔はなぜその名前がついたのだろうか、などと考えていた。 8月1日、つまり昨日そんなことを書いたところ、2016年の同じ日にも、

《はっさくのついたち、などという言い回しがあったかどうか。 成句のように口を衝いて出てきた。八朔とは「旧暦8月朔日(ついたち)のこと」と広辞苑にはあるから同語反復、使い方はまちがっているだろう。広辞苑には続けて「この日、贈答をして祝う習俗がある」と書いてある。ところで、はっさくといえば「ミカンの一種」でもある。あの酸味がなつかしい。食べたい。というので、暗くなる少し前に近くのスーパーに行ってみた。グレープフルーツはあったが探し物はなかった。》

などと書いていた。贈答をして祝う習俗を調べた形跡もない。今回こんなことがわかった。旧暦の8月1日頃初穂が実るのでそれを恩人に送る風習が鎌倉時代からあり、熊本や福井では「八朔祭」、全国各地でもさまざまな行事がいまも行われている。おもに五穀豊穣・子孫繁栄を祈るという。われの魂は、八年一日の如し、か。

2024年8月1日(木)
 
 8月になった。早朝車を走らせながら、朔日(ついたち、または、さくじつ)というのは月のはじまりのことで晦日と対をなすのではないか、では柑橘類の、因島原産の八朔はなぜその名前がついたのだろうか、などと考えていた。調べてみると八朔とは八月朔日の略、旧暦の八月一日のことである、新暦では8月25日頃から9月23日頃までのいつかとなる、などと書いてある。堂々巡りに似て八朔のいわれはついにわからぬままである。年を取るとしょうもないことを考えるものである。


過去の「日録」へ