日 録 事実は小説より…
2024年10月29日(火)
15時前後から雨、気温も下がって15℃、冬隣りを目前にして寒い。今回の総選挙についてドイツ(?)のジャーナリストはどこかのテレビで「石破内閣の敗因はオウンゴールにあり」と言っていた。うまいことをいうもので、はげしく同意するが、さらに、石破氏はこの結果を予見(透視?)していたのではないかとすらぼくには思えた。「立憲民主党も決して勝ったわけではない」とは日本人政治評論家の言だった。事実石破氏も負けたという感じはしないだろう。党内の反対勢力へしっぺ返しをしてやったくらいの気持ちでいるのではないかと推量する。腹の内は測り知れないが。
前置きが長くなったが、いま胎内記憶というものに突き当たっている。研究機関もあるようだがネットに公開されている経験談を読んでいると「おなかを蹴っていた」「泳いでいた」「子宮のなかはだいだい色だった」などはありきたりだが、それを覚えていて言葉にできるのはすごいことだと思う。
とびっきり驚くのは「そのオルゴールの音色、聞いたことがある」とか「この人おじいちゃんだよね。会ったことがあるよ(その人はこの子が生まれる2か月ほど前に亡くなっている)」という体験であった。このエピソードは自分の文章の中に似たようなことを書いたあとで見つけたものである。二重の意味でびっくりした。
奇想天外の展開だと思っていることも、実際にはあり得るわけだ。「事実は小説より奇なり」という格言が思い出される。「腹黒い政治家たち」よりは素敵な想像だと思っている。
2024年10月25日(金)
期日前投票のために市役所に行った。他にマイナンバーカードの更新手続き(電子証明)もあったのでこれも済ませた。われらはふたつの用事で訪れたわけだったが、市役所のなかは朝から人でいっぱいだった。窓口で対応する人もいつもよりも多い。役所の人も大変だなぁと思いながら順番を待っていた。
さて、本編の投票、小選挙区は記載台の張り紙を眺めて、立憲民主党か日本共産党かで迷った末、後者の候補者名を書いた。比例区は迷うことなく社会民主党だった。福島党首の(政策・選挙運動両面の)孤軍奮闘、その姿勢に敬意を表する。世論調査では「議席獲得が見込まれる」というので楽しみである。旗幟(きし)鮮明にしておこうと思う所以である。
2024年10月18日(金)
承前:新米などが送られてきた段ボール箱の底に敷いてあったのは信濃毎日新聞(通称;信毎)だった。日付は9月23日とやや古いが、Tさんはぼくがそうするだろうと予想して欠けている紙面がないサラの状態のまま入れてくれたにちがいない。2日遅れで気付くという「失態」を犯したが、早速取り出して読み始めた。
記事の見出しをなぞりながら1か月ほどの前の出来事なのに意外と記憶に残っていないものだと思った。全頁をさっと覗いたあとクイズに挑戦しながら余禄を愉しんでいると今日書く予定のお礼の手紙をまだ書いていないことに気付いた。便箋を買い忘れたと配偶者に言うと「まだ書いてないの」と𠮟られた。
2024年10月16日(水)
今年も安曇野のお米が届いた。松本在住のTさんは毎年自分で作ったお米を送ってくれる。もう15年以上にもなる、ありがたい贈り物である。身も心も洗われる心地がして家族みんなでいただいてきた。数年前からはお米のほかにやはり自分で育てた野菜なども送ってくれるようになった。ことしはサツマイモや人参、ネギが入っていた。本場信州のリンゴも入っていて感激した。
同梱されている自筆の手紙もまた楽しみである。お互い歳をとって年に一度の音沙汰になってしまっただけにどんなことが書いてあるのだろうとワクワクしながら読む。ことしは「天候の異変はありながらも、米だけは太陽と水に恵まれ例年通りの収穫となりました。」いっとき米不足だったことにも触れ「来年は(米や野菜を)3倍の量作る話が出ています。さて、体力が続くか、耕運機が使えず鍬一本でやっている身にとってむずかしいことです。」とあった。
精神のエネルギーについても触れていて「かつて読んだもので全人生にかかわりのあるものを引っ張り出して読み直しています」「今、目の前にあるのは福永光司の『荘子』(中公新書)です。フランス語は水林章の『UNE LANGUE VENUE D’AILLEURS (Gallimard, 2011) 』。言葉と自由は墓場まで持っていくテーマですかね……」と結ばれていた。常に書を手元に置いて大地に鍬をふるう姿勢は見習わねばならない。
2024年10月8日(火)
ここはS市のはずれ、線路をくぐる地下道の手前である。近くには商店も住宅も見当たらない。歩車分離の信号、まさかこんなところででくわすとは思わなかった。
信号が青に変わるのをぼくは待っていた。歩道の向こう側では高齢の男性が待っていた。左折するのでこの歩行者に注意しなければならないと考えていた。歩行者の信号が青になったのでぼくは発進した。歩道のはるか手前で止まって男が通り過ぎるのを待っていた。すると男は歩道を離れて車に近づき両手を振りはじめた。しっしっ、あっちへ行け、という風である。正面の車用の信号を見上げるとまだ赤のままである。「歩車分離式」という補助板も目に入った。
ネットにはこの方式のメリット・デメリットを並べたてながら「同じ進行方向の歩行者用信号が青になったタイミングで、車両が「見切り発進」する可能性があります。」などと注意を喚起していた。大失態であったが、なぜこんなところにあるの、という疑問も消えなかった。
2024年10月5日(土)
思いがけず連休がとれて、かといって筆も進まず想も湧かず、U-NEXTを開いた。アランドロンでも見るかと思った。『太陽がいっぱい』とか『太陽はひとりぼっち』、『冒険者たち』『地下室のメロディ』『友よさらば』『仁義』など十数篇のラインナップから『黒いチューリップ』を選んだ。黒いチューリップとはフランス革命勃発前夜の「義賊」の通称で絶体絶命のピンチに陥った彼のもとにそっくりの弟が連れてこられ「代役」を務めながら旧体制を壊していくという筋であった。
瓜ふたつの弟が出現したとき『ウィリアム・ウィルソン』をぼくは想起した。ポーの原作も読んだし、映画(3部構成のオムニバス『世にも怪奇な物語』の第2話ルイ・マル監督の『影を殺した男』)を観たこともあった。こちらはドッペルゲンガーの悲愁が描かれていたように思う。原作はもちろん、映画もなかなか面白かった。
ふたつの映画の共通点はアランドロンが二役ということだけであり、ともに対照的な人物として登場するものの、内容は全然ちがった。前者がエンタメなら、後者は倫理哲学、歳を取ると、どちらにも組してみたくなるということだろうか。
2024年10月1日(火)
文字化けを経験した。HTMLで日録などを作成してHPにアップし始めて7か月ほどが経っているがこれははじめてのことだった。かつてHPソフトで作ったHTML言語をコピペしたり、先達に聞いたり、して何とか凌いできたが、今回まったく同じように真似して更新したのに何回やってもヘンな文字が出るのであった。
格闘すること2時間、とほほのWWW入門などを見て、次の二行を冒頭に置いてみると文字化けは直ったのである。
meta charset="UTF-8"
meta charset="shift_jis"
格闘などと言ってみたが「理も知も感性もなく」いじっていただけである。したがってなぜ直ったのかもわからない。ただひとつ残っているのは前はよかったのに今度だけなぜ、という疑問だった。もう10月、やっと短い秋を迎えたというのに、感性の残り滓とはいえ、いかにも貧弱なものである。