日 録 清須会議
2025年11月22日(土)
昨21日は名古屋で旧友たちと逢った。アルバイト先には「同窓会」という理由で有給休暇をとった。集まるのはたった4人である。名古屋サミットなどとしゃれて集まり始めてもう3回目である。
酒の席がはじまるまでの間ことしは清須城を訪れた。天守閣の天辺の展望回廊まで91あるという階段を登っていった。手すりをたよってそろりそろりであってもすぐに息切れがしてくる。降りているとき男の子が軽々と抜いていくので「今日は学校お休みなの?」と訊いてみた。
「ぼく、保育園」。続いてきた母親が「今日は愛知県民の日なんですよ」と教えてくれた。「こいつの保育園は休みじゃないのに勝手に休んたんだよ」母親の影から兄が飛び出してきて言う。「そうか。お兄ちゃんだけ休みだなんて許せないよな」
年に一度の記念日に偶然あたったわけである。おかげで入館料がただであった。われらの清須会議(なにも決めない、元気であることを確かめ合って、老いのいまを語り合う)もなかなか乙なものとなった。
2025年11月19日(水)
仕事帰りに自宅近くのJRの駅に立ち寄って21日の名古屋行きの往復切符を買った。「みどりの窓口」が機械に変容していて
とても扱いづらいうえに自分の操作に自信が持てない。これでいいのかと疑心暗鬼になってしまう。つまるところ、機械を信じて
いないということかも知れない。
はじめは自由席の切符を思い画面をいじっていると発車時刻や便名が出てこないままに料金を払う段階になってしまった。
いよいよ不安なって駅員を呼んで聞いてみた。すると「自由席の車両がない新幹線もありますのであとは自分で調べてください」という返事だった。
「どれに乗ってもいいんですか」と訊くと「自由席のないのもありますよ」とまた言う。「指定席なら便も席も決められますよ」とも。
こうなれば指定席にするのがやはりいいかと思い直した。はじめから操作をやり直して往復の切符を購入することができた。窓側の席も確保できた。
すぐにこの日、この時刻で本当にいいのか、という不安が襲ってきた。これはもう機械への不信なんかではない。一年に一度しか旅をしない心配性の自分を憂えるのみだった。
2025年11月18日(火)
肩の痛みを薬なしで約60時間我慢してきたが、朝食後ついにロキソニン最後の一錠を飲んだ。痛みはなんとか終息しているように思われるが、もしもの再発に備えておかなくては不安だ。そこで朝一番に病院に駆け込んだ。薬のみの処方があることを知っていたからだ。
ところが「3ヵ月以内に処方されたのと同じ薬なら可能ですがそうでないと診察が必要になります」と言われてしまった。こんな決まりは知らなかった。迂闊だった。甘かった。ロキソニンは2か月半前の9月には出してもらわず直近は5か月半前の3月だった。何か月かおきに訪れる宿痾からくる関節痛なので診察してもらうとしても形だけのものになり、そのために長い時間待つ余裕はなかった。
仕方ないので先回処方があり、残り少なくなっている葛根湯をお願いした。その処方箋を手に薬局を訪れた。そこではロキソニンがOTC薬品のひとつとして置いてあったのでそれを買った。
2025年11月11日(火)
給与明細などがペーパーレスになってもう何年か経った。それにともなってパソコンで年末調整を済ますことができる。慣れてくるとこれは大変便利である。昨日要請メールが入っていたので早速今日済ませた。
何年か前からパート・アルバイトにも賞与が支給されるようになった。これには「査定」が存在し、ABCの3ランクで上下10パーセントの増減がある。年末調整を済ませたあとあらためて支給履歴をのぞいて見るとしばらくB評価が続いたあとここ数回は連続してC 評価である。
逆消費税の10パーセントはせいぜい1000円に満たない額である。とはいえ負けん気の強いぼくは査定を担当するであろう上司にかつて訊いてみずにはいられなかった。「年寄りだからCなのか」「これは相対評価なのか」と。
「若者でもBの人はいる。Aが何人かありその影響でCが出るかも。そういう意味では相対評価かな」と答えてくれた。そこまでが質疑応答の限界でありどちらも当てはまるにちがいない。
配偶者に評価のことを告げると「ちゃんと仕事してないんじゃない」と叱られたものだった。せこい仕業だと思わないでもないが、「年寄りはつらい」というのが実は「本音」である。
2025年11月7日(金)
岩波文庫から莫言の『赤い高粱』(上下2冊)が近く発売されるそうである。そこで夕方になって映画『紅いコーリャン』をU-NEXTで見た。冒頭の輿に担がれて嫁入りするシーンは覚えていたがあとはほとんどはじめてのような気がした。意外と覚えていないものであり、他のコン・リーの作品と入り混じって記憶している節がなきにしもあらずである。ともあれ赤の色彩に溢れた清新かつ壮絶な映画であった。ここはぜひ原作を読んでみたくなった。今月中旬に名古屋行きを控えているので行き帰りの読書用に買っておこうかと思った。
2025年11月4日(火)
予期せぬことがよく起こるものである。
一昨晩、蛇口を締めてもシャワーが止まらなくなったようだと娘が言ってきた。ぼくが使ったときは正常に作動していたのにその数時間の間に何が起きたのか。シャワーからは勢いよくお湯が飛び出したままである。直流水に切り替えてもお湯が流れっぱなし。
水とお湯の二つの蛇口がついた水道栓、ふたつの蛇口がともにいかれたと考えられる。シャワーについている一時的な止水栓のおかげでジャージャー漏れは当面防げるが早急に直さねばならなくなった。どちらもお湯しか出ないのは素人には解明できない謎なので修理業者に訊いてみよう。
さっき蛇口がいかれたという表現にしたがこういう時は昔から「ねじがバカになった」などと職人さんたちは言うのだろう。馬鹿であれ、狂人であれ、どんな人にも不測の事態はやってくる。
2025年10月24日(金)
旧友・Tさんが、リンゴ三つと玉ねぎ三個とともにことしもお米を送ってくれた。猛暑で野菜がいたむ一方、水に恵まれた安曇野のお米は豊作、去年よりも4俵(一俵は60キロ)多く収穫できたという。肉筆の手紙には「売ってくれという声が多いのですが先が見えず、主だった知人にだけ配ることにしました。先日息子一家が来て4俵車に積み込んで帰りました」と書かれていた。
ほぼ同年齢のTさんは「新しくできた周囲の友人たちとの付き合いに喜びを感じています」とも。さらに「心と身体に力があるうちに松本に」と誘ってくれる。行っておきたいところがまた一つ増えた。わが家にははじめての新米、とともに元気を届けてくれた。ありがとう。
2025年10月21日(火)
朝から嫌な一日となった。
先月末に軽乗用車と側面衝突した件で保険会社から電話があった。むこうの保険会社は「左方優先」だから「6対4」だと言ってますというのだった。いろいろ話していくうちにそれは道路幅が同じで優先道路表示がないときの「査定」だということが分かった。ここでぼくもちょっと向きになった。
相手が出てきた道路はふたつの道路をつなぐ10メートルほどの脇道である。道路幅は約半分の2メートル弱である。ぼくの走っていた道路は約4メートルである。ドライブレコーダーの映像だけで判断している。ぼくは言った。「現場を見てくださいよ」「そうですね、行って検証します。道路幅での勝負になりますね」「がんばって闘ってくださいよ。頼みます」。
さらに自民と維新の野合(?)により高市早苗が総理大臣になるという。安部政治の再来、極右の政策とくればこれ以上嫌なことはない。もしかして仏滅か。
2025年10月17日(金)
早朝鈴なりの柿の木を見上げていた。庭の道路に面して立っているので柿の実が突然落下して歩行者や車に当たらないともかぎらない。その危険性をはらむ何個かだけは採っておこうと思い立って納戸から高切りばさみを取り出した。
何個か採るうちに散歩中の近所の老婦人が通りかかった。渋いのですよ、と言うと干し柿というのもいいんじゃないの。名も知らないその人は教えてくれる。続いて登校する小学生と親たちが通りかかる。行ってらっしゃいと大声で言うと行ってきますと返事が返ってくる。どこの家の子かは知らないが声の大きな子も小さい子もいる。朝の光景はいいものだ。
見た目は立派な柿を何個も採るうちにこれは干し柿にするべきだと思うようになった。合わせて15個、皮をむいて熱湯消毒を施していざ吊るすとなったとき「駒糸」がない。百円ショップ大創でこまいとこまいとと呟きながら探していると「タコ糸」の表示で売っていた。駒ではなく凧であった。ともに正月の風物詩とはいえ駒を回して遊ぶ子供はもういないのかも知れない。凧だって同じだろうが、残した枝にタコ糸をかけて物干しざおにつるし終えた。夜もそのままでいいのかという疑問は残るが、はじめての干し柿作りの第一歩は完了した。
2025年10月10日(金)
何か月かぶりに『新潮』を買った。お目当ては新人賞を受賞した内田ミチルの「赤いベスト」である。編集長のメッセージ「広島が舞台の内田作品は(中略)豊かな方言と共に地方都市の現実を活写した」に瞠目し「書く自分のいま」とシンクロしたからだった。著者は受賞者インタビューの中で「自分がこの年齢(主人公のような高齢)になったときどういうことを考えているだろうと考えたとき、やっぱりべたべたの広島弁が私のなかで一番自然だったんです。」と語っている。広島出身ではないけれどこれにもぼくは共振した。
このところ深作欣二の『仁義なき戦い』や『県警対組織暴力』などをネトフリで観て「べたべたの広島弁」に触れ、暴力のリアリズムに「えっと、おっとろしいもんよのう」と夢にまで見る始末であった。
「赤いベスト」はまだ一行も読んでいないが楽しみにとってある。余談ながら真っ先に読んだのは角田光代と小川洋子の対談「小説の神様に会いにいく」である。寺田博さんや大槻慎二さんのエピソードがいきなり飛び出して引き込まれた。この人たちこそが神様の使いではないかと思われてならないからだ。「今は昔」の話になってしまったようだ。
2025年10月3日(金)
先月30日(仏滅の日)にわき道から飛び出してきた車と「衝突」してから一寸先に何が待ち構えているかわからない、不可抗力な偶然の前には予測などは役に立たない、したがっていつでも停止できるほどのスピードで走ることが肝要だ、とより慎重になりながらハンドルを握っている。
今回は「ぶつけられた方」だが、23年前の11月には一時停止を見落として新車同然のワンボックスカーに側面から「ぶつかった」経験がある。攻守ところを変えたわけである。あのときは、はじめての住宅街、深夜に近い時刻であった。優先道路を走ってくるヘッドライトを点けた車がわからないなんてどうかしている、と駆け付けた警官に呆れられたものだった。当時53歳だった。慎重さには欠けていたが生きることへの勢いはあったとでもいうべきか。
日録によれば、1か月ほど後に保険会社から「9対1」になったという連絡があり、書類にハンコを押して返送している。