日  録 三代目の夾竹桃   

 2005年5月1日(日)

 若葉の五月。夜遅くなってから冷たい雨が降り出した。パチパチと土を弾く雨音が聞こえてくる。
 午後、高校3年生になった教え子が何回か職場に現れてポスターやチケットを置いていってくれたので、吹奏楽部の定期演奏会を聞きに東松山に出かけた。中高時代吹奏楽・管弦楽部に所属していたというTと学生時代オーケストラ部で鳴らしたチェリスト洋平が先に着いて待っていた。
 こちらはずぶの素人ながら、息もぴったり合って、力強くて、かなり上手いのではないかと感じた。二人に聞くと「いいですよ。水準以上です」と口を揃える。指揮台に何回も立った顧問の先生にも感銘を受けた。頭を下げ、ちょっと笑みを漏らすことはあったが、一言もしゃべる場面はなかった。練習中はきっと厳しいのだろうが、こういう場では演奏者である生徒に信を置いて指揮棒を振るのみという覚悟みたいなものが全身から溢れているのだった。
「…の詳細右の通り」と無言で語っているように思った。
 指導者はかくあるべきか。
 帰りの道すがら柏餅を売る店が何度か目に入った。5月とは、そういう季節なのである。無性に食べたくなって、近くのスーパーで、3個入りパックを買った。「故郷」で食べたものとは比べものにならないが、雰囲気には浸れる。その程度の満足となれり。

 5月5日(木)

 二度目の三連休の中日の4日、配偶者は再び富良野へ。自身も義母と同じように腰を痛め、これでは世話をするどころではなく、される側になってしまうと最後まで迷っていたが「這ってでも来い」と道内に住む義妹に言われて決心したようだ。
 この日は、吹く風も爽やかな、五月晴れ。とはいえ身動きもならず、終日引きこもり。あごの無精ひげだけが伸びた。おまけに白い。

 5月7日(土)

 5月の降雪は96年以来9年ぶり、積雪は88年以来17年ぶり。積雪は観測史上4番目に遅い記録……七日の旭川のことである。こちらも朝は肌寒い感じがして、ストーブを一回つけて、また消していた。昼前に、富良野を立った直後の配偶者から「小雪が舞っている」というメールが来た。その後旭川の積雪に遭遇したわけである。驚いた。北の5月はまたちがう顔をみせる。

 5月11日(水)

 朝、駒込へ。かなり前から土手のツツジを楽しみにしていた。そんな話をすると同行する予定の若い者はきょとんとして聞いている。有名なはずだがな、実見してもらうしかないか、と思いつつ今日を迎えた。ところが赤紫の花がまばらに見え隠れして、期待していた壮観さがないのである。一昔前よりも木々の図体が大きくなっていると実感できただけ。残念だった。このあたりでは今を盛りに咲き誇っているのに、と恨めしくもあった。
 
 昨日、学生時代の友人Kと近くの量販店でばったり逢った。数年前にやはり路上で偶然出くわして以来だが、今回は人相が一変しているのでびっくりした。歯が欠け、頬がこけ、一回り小さくなっている。すっかり爺さんの風貌である。病気でもしたかと聞くとそうではないと言う。
「(イラク人質事件での)“自己責任”以来、気分が悪くてな。国語の教科書も、めちゃくちゃになっているし。千枚書きためた。今度読んでくれるか」
 中身は以前のままなので少し安心した。それにしても、50半ばにしてこの老け様は……。
 Kを知っている配偶者に話すと「本気で世を憂えれば、そうもなりますよ」と、言外にノンシャランなわれを諭す。いい仕事をせねばいい歳も取れぬと“翻訳”して、空元気ひとつ。花の命は短い。

 5月15日(日)

 有料道路終点の導流帯にススキ(らしきもの)の穂が満開であった。これを見て思うことは、小さな頃綿毛のような穂をむしゃむしゃとかんだ記憶である。誰に教えられたというわけでもないのに、ガムの代わりのように野山に入ると必ず口に入れていたように思う。どんな味がしたのか、は覚えていない。
 庭で遊ぶ雀は、雑草の間にちょこちょこと見え隠れして餌を漁り、金木犀の根元から芽生えたぱかりの弱々しい枝に飛びついては自身の重みで振り落とされる。何回も同じことを繰り返すから、柔らかい新芽が目当てであるのかも知れない。かつて穂をかんだ(食べはしなかった。つまり飲み込みはしなかった)のも生きるための野生の勘をわれらは持っていたということだろうか。苦笑せざるを得ない。
 JA農産物センターに立ち寄ってキュウリ、ピーマンなどの苗を買う。培養土二袋と合わせて、約2千円。元は取れるのだろうか、などと考えるから浅ましい。花ならばこんなことは考えもしないのに。
 野生の思考からは遠く離れたものである。

 5月22日(日)

 午後遠くで雷鳴、ほどなく雨が降ってきた。待望の雨であったが、十数分で止んでしまった。
 ここ数日、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。季節はずれのような気もするが、前の住まいより山に近いから年中近くを飛び回っているということかも知れない。もちろん、姿は見えない。求愛か、なわばり宣言か、それぞれ意味はあるのだろうがこちらとしては牧歌的な響きを楽しませてもらうだけでよしとする。探すなどは、野暮の骨頂、と思うわけである。
 車の運転席から躯をよじって後部座席に手を伸ばしたとき、左肩に痛みが走り、以来“五十肩の症状”が続いている。あれは、13日の次の金曜日のことだった。気の晴れない週末だったが、いま(午後10:30)やや激しい雨が降ってきた。気晴らしの雨だと思うのは、いかにも天の邪鬼の習性か?

 5月23日(月)

 夜中の12時過ぎ、職場を出てすぐに新人と逢った。久しぶりだった。「オー、長髪」「あごひげですか」と互いに驚き合った。
「3月から行ってません。面倒くさいですよね」
 と彼が言えば、
「切れの悪くなったかみそりをここまで当たっていくのが面倒になってな」
 とわれも弁解めいた挨拶をする。
 誰彼のウワサを中心に、20分ほど立ち話をした。
 同業ゆえにお互い、これから予想される忙しさに不平を言うでもなく、別れた。この時期にしては、風が冷たかった。

 5月25日(水)

 朝、もみじ移植の時に取り去ったままにしていた垣根の木を植え替えるという連絡を「豊美園」から受けて“見学”に駆けつけた。
 新しい住人がまだ入っていなかったので垣根のすき間から更地になった庭に入った。暑い陽射しが降り注いでいた。穴を掘って、5本のサワラを植え、立ち姿を整えて支柱を施す一連の作業は見ていて飽きなかった。
 合間にまばらに雑草が育ったかつてのわが生活空間(の一部)を踏みしめて歩き回っていると、あちこちにかわいらしいもみじの芽生えが目に入った。去年植えた百合も球根から芽を出して大きく育っていた。もみじは取っていくに忍びなかったが、百合は一本引き抜いた。
 さらに、あまりに大きくなったために切り倒して撤去した夾竹桃の、片づけ忘れた10センチほどの切り枝から新芽が吹き出しているのを見つけた。生命力が強いとは聞いていたが、それにしてもこの発見になにか得をした気分になった。一本の百合とともに持ち帰って、ねむの木のそばに植えた。
 そもそもこの夾竹桃の“初代”は、赤塚公園の街路樹である。宮内さんが夜中に(おそらく!)枝を何本か折って挿し木したものを、一本下さいとねだったのであった。四葉の庭で2メートルほどに育った木を鶴ヶ島に持ってきて、この専用庭の正面に植えたところ、20年でもみじよりも高くなった。毎夏赤い花の乱舞に元気づけられていた。これが“二代目”である。
 今回やむなく撤去したが、まったくの偶然から、新しい芽生えに出会えた。三代目の誕生である。広島の街の川べりを思い出すから夾竹桃には因縁を強く感じる。私事ながら、慶賀の至り、と思う次第である。

 5月27日(金)

 青年みたいな言い草をすれば今日は気持ちの凪いだ一日だった。首の骨の痛みも已んで、まわりの者とも冗談を言い合い、自ずから仕事も捗った。
  夜8時頃、鈴から久々にメールがあり、「今日いらっしゃいますか」とあるから「おぉー、いるぞ」と打ち返した。2時間ほどあとにまたメールが来て、
「不法侵入してさがしたんですが見つけられず、かえってしまいましたぁ。明日はいらっしゃいますか」
 半ば狐につままれたような気分で、
「まぼろしの鈴だな。もちろん明日もいる」
 と返信した。
 すると、1時間ほど経った頃「幻なんかじゃないですよぉ」と“抗議”のメールが届いた。小学校の時講堂で見た『風の又三郎』という映画を思い出した。正確に言えば、ゴーゴーと風が鳴って砂が舞い上がると忽然と又三郎が顕れる場面を、である。他の部分は記憶からすっ飛んでいる。題名すら正確かどうか怪しい。いまはわが鈴のことであるが、明日は本当に立ち現れるだろうか。

 5月31日(火)

 深夜、八キロ先の職場に配偶者を送るために車を動かそうとしたその時、フロントガラスに一匹の甲虫(ゴキブリかも知れない)が張り付いた。下がったままのワイパー付近で触覚を左右に振っている。走り出してもいっかな落ちる風もなくガラス上を動き回る。ワイパーを動かせばあっけなく飛び散ると思ったが敢えてそうしないでおいた。
「見も知らぬ遠くの場所に“着地”したらどうする気だろう。生きていけるのかなぁ」
 と案じれば、配偶者も笑いながら頷く。往来の激しい国道にでも落ちれば、ひとたまりもあるまい。そんなこっちの気持ちを知ってか知らずか甲虫は正面から側面または天井あたりに移動して死角に入った。
「いや待てよ、このまま車にしがみついていられれば、労せずしてまたホームに戻るわけか。一緒にドライブをしただけだよ、とこやつはうそぶくかもな」
 これはかなりいかした発見だった。  
 前の日曜日に、放っておいたら他の樹木にも大被害をもたらしかねないとの進言を受けて、桑の葉を食い散らかしている毛虫(害虫の幼虫)を葉とともに切り落とし、幹も根元近くまで10センチほどの間隔で切り落とした。梅の木にも同種の虫が発生していたのでこちらは枝葉だけを切って丸裸同然にした。二人がかりの一日仕事だった。それでも完璧に退治できるはずはなく、土に囲まれているかぎり、夏は虫と共存せねばなるまい、と思ったものだった。
 帰り道で近くのコンビニに立ち寄ったついでに、車まわりを調べてみたが甲虫の姿は見つからなかった。
 やはり虫の考えることはわからん!  
 
     


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