日  録 ゆめうつつとは? 

 2005年7月2日(土)

 チラシ原稿作成のために朝から出勤、タイムリミットぎりぎりに仕上げたが、発想力が衰えていることを実感した。のべ十時間以上考えたのに目新しさの乏しいものになってしまった。深夜作業を避けて朝に切り替えたのも結局功を奏さなかった。要はモチーフの強さ・弱さ、ということだろうか。
「結婚しました。連絡遅くなって申し訳ありません」という突然の報せがあるかと思えば、原因不明の熱で入院をしているという報せも届く。ともに10数年前の教え子である。昨日富良野から戻った配偶者は、老父母の介護の大変さを語りはじめた。
 時は前二人の若者らには優しく振る舞ってくれるはずだが、われらには容赦のないものでもある、と思った。

 7月6日(水)

 見違えるほど掌がキレイになって、誰彼に見せびらかしたいほどだ。一時はサポーターをして人の目から隠していた。かえって目立ちまわりの心配を誘うようなことにもなった。「痛くも痒くもない、無菌性、原因不明」などとその都度説明をする羽目になったのである。
  いつまでこの状態が保たれるのか、他人事のように掌をみつめいるから、おかし。次の憎悪期までのやすらかさは、恐れを内包しているはずだ。
 昨日配偶者は再び富良野へ。着いたというメールがあっただけであとは連絡がないのは、身の回りの世話に忙しいせいだろう。  
     
 7月10日(日)

 建物の北東側に裸同然の状態で移植したねむの木がみるみる繁茂し、その傍の、枯れるかと恐れていた火難除けの南天の木もうす緑色の新芽を出してきた。それと並んで三代目の夾竹桃が小さな芽を三つ地表に突き出している。
 暑い日だったが、ここら周辺をきれいにすることを思い立った。
 篠竹を伐り、雑草を抜き取ること約一時間。汗も出るわ、腰も痛くなるわで、気持ちのよい作業とは言えなかった。散髪でいう“虎刈り”のようになってしまった。実際、植木ばさみを使いながら、人の頭にバリカンを当てているような気分になっていた。終わったあといつもならばシャワーですっきりと目論むところが、今日ばかりはそんな気にもなれない。
 北東は陰陽道では“鬼門”に当たるという。すると、まぼろしの鬼にでも出逢ったか。
 
 昨日メールで「鳥ってどのくらいの高さまで飛べるんですか」と生徒が質問してきた。ほとんどの鳥はそんなに高く飛ぶ必要がないはずなので、「せいぜい3,40メートルか」と返信したが、これには何の根拠もない。空に輪を描くトンビはどれくらいか、渡り鳥は飛行機ほどにも高いのか、などと気になり始めた。「この鳥は最高何メートルの高さを飛んだ」などという資料(研究)は見つけられなかったが、翼の構造からは鳥にその気がありさえすれば大気圏内を自由に往来できるということはわかった。
 人が、鳥になりたい、と思うのも頷ける。

 7月14日(木)

「スペースシャトルは無事飛び立ったか?」
「延期だよ」
「郵政法案は否決されたか?」
「今日じゃないでしょ!」
 深夜の会話である。にわかウラシマになったような。夕刊に「ロンドンの爆弾テロ」に触れて矢作俊彦が書いていた。この人の意見が聞きたいと思っていたところだったんだ、となぜか合点がいった。

 7月16日(土)

 ここ数日、雨が恋しかった。夜半過ぎにパラパラときたり、北東の空遠く、いなびかりが閃いて、ともに期待を持つも空振りに終わっていた。今日は、気付かなかったが、夕方にひと雨あったという。
 雨が降らなければ、庭の水道栓が壊れているために風呂場から全長20メートルのホースを伸ばして庭に水を撒かなければならない。延々居間をくぐらせていくのである。準備が整っていざ撒き始めると楽しいのだが、それまでがひと苦労、となる。
 前のホースは、蛇口と連結する部分がすぐに外れて、そのたびに風呂場へ戻らなければならなかった。何回か使用したが、ついに業を煮やして(きっと欠陥商品だったのだ)新しいのに買い換えた。こちらは一度使用したきりだが、はるかに調子がいいようである。
 雨次第だが、明日あたり、二度目の“活躍”となりそうな気配である。

 7月17日(日)

 スーパーにて配偶者がメモを見ながら「丁子(字)」を探しているので、うーんたしかにどこかで聞いたことがある、と思った。
「丁字屋源蔵の事件簿」などという時代劇があったような気がしたのである。
 レジの店員に聞いても首を傾げるばかりである。結局見つからず、戻ってインターネットで検索をするとあっけなくわかってしまった。別名を「クローブスパイス」、古くから使われている珍重な香辛料の一種であるという。
 恥ずかしながら知らなかったが、丁字(ちょうじ)と名の付くお店、家紋、地名がたくさんヒットして驚いた。時代劇で出てくる「丁字屋○○蔵」は代官とつるんだ悪徳商人が多いようであった。はじめの予感は、まぁ外れたということか。

 7月19日(火)

 昨日は朝から異常な暑さに見舞われた。昼のニュースで梅雨が明けたというので、納得した。

 7月23日(土)

 夕刻、やや激しい揺れに叩き起こされて、しばらく地震情報を見たあと、近くのスーパーに出かけると、提灯を持った家族の群れに何回か出逢った。小さい頃、賑やかだったお盆が過ぎて腑抜けのようになって残った宿題を片づけていると一週間ほどあとにまた人が群れ集まってきた。あれは地蔵盆と言っていたなぁ、と田舎の夏を思い出した。何をしたという記憶はないが、家族で群れる風景はなつかしい。
 帰りがけに、先ほどと同じように提灯を手にいそいそと歩いてくるひとりの婦人を見つけた。車を停めて「今日は何の日ですか」と訊くと、
「昔、ここらあたりはお蚕さんを飼っていたので、今日がお盆なんですよ」
 と教えてくれる。
「誰も帰ってこないので、ひとりでいかなきゃならなくなったのよ」
 笑いかけながらそうも言った。愚痴のようにも聞こえた。
 お盆ならば先祖の霊を迎えるわけだが、提灯下げていったいどこへ行くのか、聞きそびれてしまった。お墓だろうか。
 お蚕さんを飼っているとなぜ盆が早いのか、これもまた、想像力を働かせてみるしかなくなった。
“取材”が浅すぎたと反省。往来に停めていたので、長時間の会話は憚られたが、それにしても、「ひとりでいく羽目になった」というところに過剰に“感応”したことがその原因かも知れない。

 7月24日(日)

 涼しい風が通り抜けるなか、蜩(ヒグラシ)の鳴き声が聞こえてくる。昼過ぎからそんな気配はあったがこのあと雨が降ると予報されている。2日続きの休みでのんびりした。とはいえ、明日からの“夏の仕事”に備えて17通のメールを送り、13通のメールを受けた。大半が女子高生とのやり取りとなった。彼女らの間で流行っているという絵文字なるものにいささかあてられてしまった。
 
 7月27日(水)

 地震のあとは台風7号と、この夏早くも天変地異の兆しである。
 フェーン現象も加わってねっとりとした暑さに閉口したが、早朝から見事な青空と頂きに雪のない富士山を手に取るように見ることができて、一抹の救いはあった。
 また、百貨店でアルバイトをしている女子学生のTが靴下とハンカチの詰め合わせをプレゼントしてくれたのだった。聞けば、昨日、台風のせいでヒマを持て余していたので、不意に思いつき、商品選びはもとより、箱詰め、包装、熨斗書き、リボンかけすべてを自分一人でやった。「どうですか? ちゃんと仕事をしていることがわかったでしょ」という。いったんほどいた包み紙を目の前でもう一度整えてくれもした。
 こんな唐突さは大好きである。「風が吹けば桶屋が儲かる」でもあるまいが、台風のおかげには違いない。

 7月31日(日)

 昼過ぎにいっとき雷雨あり。涼しくなるかと思いきや、そうでもない。
 先の一週間は連日、早朝から夜10時過ぎまで13時間以上職場にいたことになる。深夜と未明の配偶者の送迎も加わって、寝不足あり、疲れありで、金曜夜から、喉が痛み、咳が出るようになった。半年遅れの風邪とは思いもよらぬ事だ。
 昨晩“ルル”を飲んで、迎えに出るまでいっときの眠りに就いていると、携帯メールで起こされた。2時過ぎであった。たいした用件ではなかったが、返信しようといじっているうちにまた寝入ってしまったようだ。というのはそのことに気付いたのが「ひと仕事」終えて再び眠ろうとした午前4時過ぎのことであったからだ。ゆめうつつは、クスリのせいか、それとも、躯が極限を迎えているからか、としばし思案する。
 夜に入って今度は、ババンバンバンとやけに騒々しい音がごく近くから聞こえてくる。二階に上って見れば、若者のバイクが数台連なって走っている。変電所と雑木林・畑を縫う、舗装されているとはいえ閑寂な道路で“暴走行動”はないぜ、と呆れる。林のタヌキもびっくりしたであろう。『一番わからないのは人の思いだよ、ポンポコ』とでも言い出しそうな気がする。    
 


行逢坂に戻る
メインページ