日  録 雪のない冬    

 2007年2月4日(日)

 今日は立春。秩父おろしが強く、冷たいが、陽射しは暖かい。たばこの煙を逃がすために窓を開けると、風鈴がかさこそと音を立てる。昨夜などは、このまま、一度も雪を見ないで冬が終わってしまうのだろうかと、そんな話題が持ち上がり、つい寂しさに駆られてしまった。
 夕方、飛燕にて食事。食べ終わった頃、厨房から主人が出てきて、四方山話をする。赤ん坊だった女の子は、いま高校一年生だという。景気の悪さと、格差社会を嘆いていたが、二十年以上持ちこたえているのは、やはり味がいいからだろう。ひとつ違いのこの主人も、行くたびに、愚痴が増える。お互い、詮なしか。

 2月6日(火)

 練馬の義妹が、絨毯のはしに蹴躓いて、テーブルの角で鼻を打ち、沈んでいるというので、見舞いに出かけた。顔の腫れは少し残っていたが想像したよりもずっと元気で安心した。それにしても、顛末を聞きながら思い出すのは自身の、一ヵ月前の“転倒”のことだった。
 段差のあるコンクリートの三和土を踏み外して、 そのまま4,5メートル先の道路までたたらを踏むように転がって、倒れた。最後は両手で躯を支えるのがやっとだった。メガネは遠く吹っ飛んだが、怪我はなかった。たった数秒のことである。その間、いま何が起こっているのかがわからない。制御の利かない躯は、別の生き物の如し、だった。
 ちょうど奥に引っ込んだ配偶者は目撃していない。「戻ってきたら、いないんだもの」というから、「あそこまで飛んでいった」と教えた。段差といっても、ほんの10センチほどのものである。また、ひとつ、自分の躯から自信がなくなっていった。
「いやぁ、気をつけんといかんよね。ぼくにも経験がある」
 と言うと義妹は、
「十分に笑わせてもらいましたよ」
 などと、また笑うのであった。自分のことも一緒に、笑い飛ばしたいのだろう、と推測した。

 2月13日(火)

 箪笥の引き出しに紺の法被が入っていたので、数日前から、家でパソコンに向かうときなどはとくに、着るようにしている。兄が神主を務めるときに“支給”されたものを持ち帰っていたのだった。米屋の店員がつけるような前掛けとセットになっていた。それもあったが、さすがに邪魔っけなので、割愛した。
 これが、なかなか快適なのである。
 由来を辞書で調べると、
「江戸時代、武家の中間(ちゆうげん)から大家の下僕・職人などが主家の紋や屋号を染め抜いたものを着たのに始まる。現在は職人などが用いる。」とある。一種の、仲間意識、ロイヤルティ(loyalty)の表徴なのかも知れない。
 同じ辞書にはもうひとつ、こんな説明もある。
「能装束の一。広袖で、胸ひものない上衣。金襴(きんらん)や錦を用いる。甲冑(かつちゆう)姿の武将・天狗・鬼畜類の扮装に、袴と共に用いる。」
 武将はともかく、天狗や鬼畜にならば、なってもいい気分である。
 ビートルズの面々はみな、来日のとき、法被を着てタラップを降りてきたように記憶している。法被でハッピー、と言ったかどうか。

 2月21日(水)

 途中立ち寄ったコンビニで買った物をレジ台に置いたまま立ち去ろうとしたら、「あの、これを」と美人の店員に呼び止められた。「頭も、春になってしまったかな」と弁解がましく言えば、開店当初からいる、オーナーの娘と思しき店員も、笑いながら納得してくれた。 日中は春のような陽気であった。
 忙しさの波はいっこうに途切れず、あと数日は覚悟の日々が続く。こういうときにかぎって、いろんな着想も湧き、そうなれば、まとまった時間が欲しいよ、と呟きたくなる。しかしこれも所詮は、言い訳か。
 二月もあと……、と数えてこの月が普段よりも二,三日少ないことに気付いた。

 2月25日(日)

 人に貸すために古い家を空にしなければいけないというので、手伝いのために越谷へ。階段を何回も上り下りしたが、圧巻は、天井裏の荷物を降ろしたことである。押入の天板を一枚ずらすと寒々とした闇が広がる。懐中電灯がなかったのではじめは木組みのすき間に手を入れて物の感触を確かめていた。そのうち携帯のスポットライトが使えることに気付き、ひとつひとつ確かめながら作業を続けた。古いワープロやスキー板や鏡台の土台などが出てきた。どうやって入れたのかと思うような大きな段ボール箱もあった。「ゴミには出せず、20年間、ついつい突っ込んでいたんだなぁ」と兄は言うが、こういう使い方もあるのかと、半ば感心、半ば呆れた。すっかり片づいたあと、遠くライトを当てると、棟木に白い幣紙が揺れていた。

 


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