日  録 「ブレイクスルー」

2013年2月1日(金)

今年、旧暦の正月は2月10日、中国圏では「春節」としてさまざまな行事が盛大に行われる。

小さい頃田舎では「二正月(にしょうがつ)」(漢字は当て字)として、ささやかだが祝事があった。本当の正月と、15日の小正月と合わせて、計3回の正月があった。せいぜい餅を食べるくらいだったが、それぞれ楽しみで待ち遠しかった記憶がある。いまはもう「二正月」のことなどは田舎でも忘れ去られているだろうか。

「テト」はベトナムの旧正月のことである。「節」という漢字のベトナム語読みだという。このテトからの連想はどうしても「テト休戦」「テト攻勢」になってしまう。新聞一面に大きな見出しが踊ったのをいまだに記憶している。1968年頃、世界にとっても、個人にとっても「ベトナム戦争」は大きな関心事だった。

その2月がやってきた。月日の経つのが早いという感想だけでは物足りなくなった。


2013年2月4日(月)

立春の夜、蜘蛛が一匹机の上を這い回っていた。胴体の長さが5ミリくらいの黒い蜘蛛だった。どこかへ消えたかと思いきや、しばらくすると積まれた本をはしご代わりにしてにょこっと顔を出し、キーボードのうえを通り、抽斗のある方から机の下に降りていく。

いったん机を離れて1時間ほどあとに戻ると、また同じように現れては消えていく。動きがなかなか剽軽であり、顔を見るわけではないが愛嬌もありそうだ。わが家では蜘蛛とヤモリには手を出さないことにしている。それを知っているかのように、堂々とわが手元をすり抜けていく。

土、日に、二夜連続ドラマ『最も遠い銀河』を見てしまった。「白川道」原作というのと、監督が『相棒』の和泉聖治というので見てみようという気になった。

前後編合わせて4時間以上のドラマだったが、ここまでやるのかハードボイルド、というのが見終わったあとの感想である。ごった煮と揶揄してもいいところだが、あり得るかも、と心の隅で納得しながら楽しんで見た。

小説ならば「アクチュアリティー」とでも呼びたいところがいくつかあった。記憶に残っているのは、「5枚の硬貨」に「真相」を託す最後の場面と、「血のつながっていない妹に、自分につれない恋人の真似をさせる真犯人」の像の二つである。後者は、刑事の口を通して語られるだけだったが「なんとも重い主題だ」などといったん首を傾げたものの、原作ではどんな風に描写・表現されているのか確かめてみたくなる。

ハードボイルドが好んで描く人間の業・悲劇が「冬」ならば蜘蛛の動きは「春、近し」ということになるのか。


2013年2月7日(木)

体罰ということで思い出すことが二つある。一つは中学生の時で、通学区の顧問だった美術の先生が「委員」に立候補する生徒がいないことに業を煮やして全員を並ばせてびんたを喰らわせていった。

その際水を入れたバケツを傍らにおいて何回かおきに自分の手を冷やしていたという記憶である。ただしこれは、自分が体験したことか、それとも伝聞か、いまとなれば定かではなくなっている。校内ではその先生ひとりが「怖い先生」として代々申し送られていたのである。

もうひとつは高校1年生のとき、柔道が専門の体育教師は着替えに手間取ったりして始まりの時間に一秒たりと遅れるとびんたをした。どんな言い訳も通用しなかった。赴任間もない若い教師を「生意気だ」という理由から殴ったという噂も流れた。

「おそろしい先生」だったが、個人的には学年が進むにつれて話のわかる面白い先生となっていった。だからといって体罰を容認する気はないが、いまもって集団というのはなんとも不気味なものだという気分に駆られる。

今日の朝日新聞で山口香さん(筑波大大学院准教授)が柔道の暴行・パワハラ問題「15人の告発」についてロングインタビューに応じている。80年代の活躍ぶりから「女三四郎」と言われているようだが、その名前はボクもはっきり覚えていた。インタビュー記事を精読したが、いいことをいっぱい言っている。

「(園田前監督は)国を代表する選手に対するリスペクトがなかった。」

「彼女たちは気付いたんです。何のために柔道をやり、何のために五輪を目指すのか。(中略)体罰を受けている選手はその中に入ってしまうと、まひしてしまう。自分のプラスになっているんじゃないか、先生は自分のことを思ってやってくれている。そんな考えに陥りがちなんです。」

「時間がたつにつれ、彼女たちのことを『何様なんだ』という人たちが必ず出てきます。今度は私たちが矢面に立って守ってあげなきゃいけない。」

ほかにも引用したいところはあるが、最後にもうひとつ。「柔術から柔道へ」にふれて「術を覚える過程で自分という人間を磨く大切さ=道」を語っている。

普通の生活のなかで当たり前のようにびんたが横行した時代(昭和40年代前後=1960〜70年代)を経てきた者としては大いに反省もしなければならない。


2013年2月9日(土)

昨夜仕事帰りに、川越・伊勢原の商業施設内にある『くまざわ書店』に立ち寄って『新潮』(3月号)を買ってきた。お目当ては綿矢りさ「大地のゲーム」(240枚)である。早速何ページかを読んでいると、

「口から魂が無理矢理引きずり出されて、」
「魂が口から飛び出した者にしか出せない、」

こんなフレーズが飛び込んできた。大地震のあと「籠城中」(?)の大学の建物の屋上からバンジージャンプを試みる前後に置かれている。ページを閉じて、すごいつかみだなぁ、といっとき余韻にひたった。

というのは、いま「身体投地」について考えているからだった。地面にからだを投げ打って祈りを捧げるのは宗教的な行いだが、これを雨乞い踊りという民俗行事に取り入れればどうだろうか、と思ったわけである。

それにしても、地上30メートル以上はあるはずの建物の屋上からバンジージャンプなどという発想は、なんと無謀かつ斬新な「投地」であることか。「口から魂が飛び出す」ゆえんだろう。


2013年2月13日(水)

やっとのことで布団から出て障子戸を開けると、外はうっすらと雪化粧。地面や車に積もった雪は、新聞を取りに外に出たついでにさわってみると氷のようにかちんかちんだった。

午前7時にしてかなり強い陽射しだった。日中のような北風もまだほとんど吹かず、陽を浴びた身体はどんどん温くなってくる。その一方で、氷った雪は融かされまいと必死でこらえているようにもみえるからおかしなものである。

あと何日かすればこの冬ともお別れということになってしまう。それがまた哀しいと感じられる一日だった。


2013年2月15日(金)

NHK『キッチンが走る』という番組をはじめて見た。アルバイト先で一緒の少し年下の人が「ぼくの故郷が出るんですよ。是非見て下さい」とふるさとの訛りで言うのでその気になった。

今回キッチンを積んだ車が走ったのは栃木県の那珂川町だった。水戸平野を貫流して茨城県のひたちなか市で太平洋に注ぐ那珂川の上流に位置するのだろうか。何回か氾濫したことがあったので名前は知っている。そこに食材を求めて和食料理人・吉岡英尋が腕をふるうという内容であった。

町興しの一環という 「ふきのとう畑」と温泉水を利用した「とらふぐの養殖」に驚いた。ともに発想が奇抜である。進取の気風がある土地柄なんだろうか。

そしてもっと驚いたのは料理人の発想と腕前である。この料理人は「創作和食で大人気」を博しているようだがさもありなんという気がした。画面を通してその人柄と料理のおいしさが伝わってくるようだった。食は仁、だと感じた。


2013年2月17日(日)


この夜よりも昨夜はもっと寒かった。顔に当たる空気の温度が冷凍庫にいるような冷たさだった。家に辿り着くと同時にポリ缶を車に積んで灯油を買いに走った。ストーブなしでこの一夜は越せないだろうに、こういう時にかぎって灯油が切れていることに気付いたのだった。

それだけでは物足りなくて、しばらく音沙汰のない教え子に「今夜はとても寒い。底冷えがするよ。いっそう春が待ち遠しくなるね。元気ですか。」などとメールをした。今夜になって(ついさっき)「元気ですよ」という返事が来た。いくつか近況を知らせてくれたが「昨夜の寒さ」については一言も触れていなかった。重大な関心はもっと別なところにあるのだろう。さすが20代の若者である。

さらに今日、職場に着くなり何人かに「夕べは寒かったですね。空気が、それまでと全然ちがっていましたよね。」とあいさつ代わりに話しかけて同意のことばを引き出していた。ヒリヒリと肌を刺すような冷たさは雪を受ける感覚に似ていた。暖房の利いた車から降り立ったときに身体のまわりに目に見えない雪がまとわりつく、あの感覚を思い出したのだった。

朝刊にインタビュー記事「著者に会いたい。吉田知子さん(79)」(文と写真・白石明彦)を見つけた。つい最近『川端康成文学賞 全作品』で「お供え」を読み(1月10日)、初出の『海燕』1991年7月号でもう一度読み、すごいなぁと感嘆したばかりだったので、この記事は嬉しかった。昨年に引き続きことしも短編を文芸誌に発表するという。79歳の復活もまた嬉しい。


2013年2月19日(火)

過日国税庁のホームページで確定申告書を作っていると“所得税ゼロ”と出たので愕然とした。税金は少ないのがいいにきまっているがゼロというのはかえってさびしいものである。

今年はすでに源泉徴収されているからゼロではない(はずだ)が、平成24年がいかに実入りの乏しい年であったか、と改めて自身の非生産ぶりを恥じた。その分あちこちに迷惑を掛けてきたということで、同時に「健康で文化的な最低限度の生活」という日本国憲法の中の有名なことば(第25条1項)が不意に口を衝いて出る。

考えてみると、ここ十数年、怪我以外で病院のお世話になったことがない。それまでは、やれ鼻茸(はなたけ)だ、やれ掌蹠(しょうせき)膿疱症だ、と忙しい仕事の合間を縫って病院通いを続けたものだったのに、である。

働き盛りの時期には、不謹慎な言い草ながら、からだも活火山のようにあちこちからマグマや火花をさかんに散らしていたということかも知れない。

ひるがえって現在の「健康」ぶりは、年とともに生命の働きが穏やかになってきた(悪く言えば鈍ってきた)証拠だろうか。嵐の前の静けさ? かも知れない。

からだが衰えていくのは自然の理だから仕方ないとしても、心ばかりは活火山のようでいたいとつい思ってしまう。 持たざる者の強がりかも知れないが、そこに「文化」の在りかを! と。


2013年2月20日(水)

あっちへ行きこっちへ行きと、迷走しながら、100枚を越えた。発表する当てのない小説のことである。これから、どんな風に終わらせるか、つまり結末を思案して、ここまでの多くの矛盾を正していかなければならない。それを考えることが苦しいけれど楽しくもあるのは文字通り現実遊離(あるいは逃避)となるからである。

かたわらの配偶者はこの何ヵ月か子供が小さかった頃の衣類や自身の洋服などからとった端ぎれを使ってパッチワークに精を出している。昨日今日あたりは、陽射しがある間に庭に出て土を掘り起こしたようだったが、それまでは外に出ようともしなかった。

わが身からの連想で これもまた現実遊離の一つの形かと思ったものだが、決定的なちがいは、そうやってできあがった配偶者の多くの「作品」は身のまわりを潤沢な華やかさに包んでいることである。形は同じように見えても、われのは生活からはどんどん遠ざかっていくことのような気がして、やはり似て非なるものだと言わざるを得ないのだろう。


2013年2月21日(木)


18年前の『文藝春秋』7月号が本棚の天井部分に載っていたので奇異な思いに駆られて手にとってみた。この年(1995年)は1月17日に阪神・淡路大震災、3月20日に地下鉄サリン事件、その後オーム真理教への一連の強制捜査を経て5月16日に麻原逮捕とつながる年である。

はたして江川紹子「書かれざる重大事件」を柱とした「狂気集団 全研究」という特集がある。また「第二回松本清張賞」の発表号でもある。これらのためにこの雑誌を買うという習慣はかつてもいまもないのでいっそう奇妙だったが、「戦後50年特別企画」のひとつとして吉田知子「父は生きていたのか」というタイトルを目次に見るに及んで、そんな詮索は吹っ飛んだ。

それによると、樺太特務機関長(陸軍中佐)だった父親には、三つの「死」があるという。すなわち@昭和20年11月、ソ連モスクワ市において、栄養失調により戦病死 A昭和22年3月、軍事スパイ罪によりモスクワ市の墓地で処刑(銃殺刑) B昭和53年2月、三重県で病死。

この「作品」は三つそれぞれを検証するかたちで展開していく。母親・妹と一緒に処刑されたという墓地を訪ねたりするが、とりわけ、生きて日本に戻り、別の家庭を営みながら人生を生き抜いたのかも知れないというBには思わず唸ってしまう。別の人生、これは誰しもの見果てぬ夢のようではないか。

父親らしい人から電話があった、とか、それらしい人が訪ねて来て消息を聞いていったなどのエピソードは小説よりも奇なり、というべきか、逆に事実よりも奇なり、というべきか。本当の父であったのか、同姓同名の別人だったのか、どちらとも作者は決めかねている。そして、「弟」かも知れないさわやかな若者を前にして、厳しくて情愛の少なかった記憶の中の父親に、「明朗な、気さくな、やさしい父親」を発見する。かつて「父の墓」という小説を書いて「父」を拒絶してしまった自分を恥じる。そこに、霊異に満ち、霊感を湛えた作家の真骨頂を見た。

18年間よくぞ残っていた、とほこりまみれの黄ばんだ雑誌に感謝した。


2013年2月23日(土)

ある声優のお悔やみ記事の中に「薬石効なく逝去された…」という表現を見出し、これは久しく聞くことのなかったことばだと思った。調べてみると浄土宗のホームページにこうあった。

《薬石というのは、古代の医療具である石針と薬で、この両者を用いて治療することから起こり、元来、インドで修行者が腹に当てて防寒のために使った温石(おんじゃく) のこと、いわば懐炉(かいろ) をさす。(中略)そして、お腹をこわした時なども、自らの手をヘソの上に当てて温めた。病気や怪我に対する処置を「手当て」というのも、ここに語源がある。(「日常生活における仏教語」)》

「懐石料理」の懐石もこの温石に由来するとあって納得した。また小さい頃は春夏秋冬、なにかにつけ「お腹が冷えるよ」という注意を年寄りたちから受けてきたことを思い出す。いまやこの戒めもめっきり聞かないし、人にも言わない。有効性がないのかと思いきやそうではないようだ。

『一冊の本』(朝日新聞出版)には毎月ひそかに楽しみにしている連載が二つある。一年前に同時に始まった「ゆるい生活」(群ようこ)と「テイ先生の診療日」( 丁 宗鐵・南伸坊)。ともに漢方医学から人の身体を解きほぐしていく。「パニック障害の特効薬はおなら」「精神的な病を抱えている人も、実は単に体が冷え切っているだけ」などと漢方の真髄を教えてくれる。ときに意表をつかれる。

ともあれ、このページには「ドッコイショ」「バカ」「勿体ない」など普段なにげなく使っていることばの語源・由来も紹介されていて、仏教の懐(ふところ)の深さを改めて思い知る。


2013年2月24日(日)

古くて小さな電気あんかがこのところ思うように熱くならないのでヘンだとは思っていた。

この夜などは一等寒く感じられ、背を丸めてあんかを抱え、早く眠りに就きたいものだと考えていた。スイッチをオンからオフへ何度か往復させた。それでも作動しないので諦めて仰向けになった。

しばらくしてきな臭い匂いが立ったので掛け布団を捲ってみると電気あんかがぱちぱちと火花を散らしている。ぐっすりと眠り込んでおればあわやの惨事となるところだった。

長く使っている電気器具は怖い。最も多い出火原因は漏電と言われているのもうなずける。少し前には配偶者の使っていた電気毛布だった。このときはスイッチが入ったり入らなかったりして不安定だったので、コードが断線していると判断して廃棄処分にした。

たしか高校生の頃だったと思うが、炭火を入れた瓦製のあんかからかぶせていた布団に火が移ってけむりが出たことがあった。離れの小屋でのことだった。ひとりでそこに居て気付いたぼくはくすぶる布団を抱えて外に抛り出した。それから母屋に駆け込んで急を知らせた。おもむろに出てきた母は土の上に横たわっている焦げた布団を見て「よく外に出すことを思いついたね」とほめてくれた。そんなことをふと思い出した。

このたびはとなりの部屋にいる配偶者に「たいへんだ」と大声で叫び立てた。すぐにやってきた配偶者はおもむろにコンセントを抜いて、何も言わずに立ち去った。


2013年2月26日(火)

陽射しのあたたかさに誘われて居間のゴムの木の新しく伸びた枝を切った。切り口からは樹液がぽたぽたとしたたり落ちた。純白でボンドのようである。これがゴムになるのか? と指先につけて何度かこすってみると、意外とさらっとしている。水の如し、であった。何枚か葉を落としてから、信楽焼の花瓶に活けた。ここからまた一つ「子供」を作ろうという魂胆である。

というのは、葉柄から根が出た葉挿しがもう半年以上経つのに何の変化もみせないからである。どういう風に育っていくのかが興味津々で、鉢植えを何個か作った。そのうちの一つを人にもあげたのに依然葉が土に突き刺さっているだけである。葉は濃緑のままだから根がどんどん伸びているのだろうと土の中を想像することはできる。それはしかし本来の楽しみではない。

あげた人に対して面目も立たないので、さし木(茎挿し)をひとつ作ってうまくいけばこれをあげようと思い立ったのである。春も近いから、これは目に見えて育って行くだろう。


2013年2月27日(水)

朝5時に起きてパソコンの前に坐っていた。6時少し前、急に寒さを感じたのでとなりの部屋にいる配偶者に、ストーブを切った? と訊けば、ついたままです、と言う。以前にも何度か経験したことがあった。肌に沁み入るこの急激な降下はなんだろう。これが今日の最低気温だよというお知らせかも知れない。それを身体に刻み込むように教えてくれる。

午後3時頃外に出ると、空気がなまあたたかい。体感も心地よいものであった。お、これは、と眼を見張った。3月1日の明後日には春一番が吹くかもしれないという。


2013年2月28日(木)

Pope(教皇=法皇)ではなく「Poke」やら「クチャラー」やら見慣れないことばが飛び込んできてこちとらにはあまり芳しくない。ネットで調べると、それぞれ「ちょっかいを出す」「口を開けたまま、音を立ててものを食べるときの様子」などと解説されている。

もう何年も前から流通しているというのでいよいよ驚かされる。語感の悪さもさりながら、おきゃがれ! と叫びたくなるような意味であるようだ(そうではない面もあるかも知れないが)。やはり場違いのところへ踏み入っているのかと思っていたところ、今日、友人のブログに「ブレイクスルー」(Yahoo 『久末です』「働き盛りの年齢」)ということばを発見した。

すぐに「gogって」みると「立ちはだかる壁を突破すること、進化、現状打破」などのビジネス用語とあった。のみならず、山中伸弥教授が受賞した「生命科学ブレイクスルー賞」に言及している。つい最近のことで、賞金がノーベル賞の3倍ということで話題になっていたことを思い出した。よいことばは文・理どちらにも使えるということである。 ほっと、一息ついた。


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