日 録 一陽来「福」  

2020年12月1日(火)

 濫觴(らんしょう)という言葉に出会った。使うことも、目にすることもなく何年も過ぎてしまい、いまやはじめて接する言葉のようであった。かろうじて読めたものの意味はわからない。気になって3日ほどのちに調べてみると、

〈揚子江のような大河も源は觴(さかずき)を濫(うかべる)ほどの細流にすぎないという「荀子」子道にみえる孔子の言葉から…物事の起こり。始まり。起源。〉

 出会った本に戻ってみた。〈春日大社の一の鳥居の「影向の松」は、その能舞台の「鏡板の松」の濫觴といわれる。〉さらに〈松にはそれぞれの場合に応じて、神であれ、死者であれ、顕現させる力があるので、(中略)日本人の間に共通する約束事で、「鏡板の松」は異次元の世界をこの世に招(よ)び、展開させる媒(なかだち)なのである〉とあった。(吉野裕子『神々の誕生』)

 著者が言う日本人の間に共通する約束事というのは「この世の舞台を死霊の世界にも、神のそれにも変えてしまうこと」である。前者の世界で「在りし日の面影」を語るといえばこの〈日録〉だって一翼を担っている。自負であり、同時に韜晦でもあるが。

 
2020年12月4日(金)

 佐伯一麦さんの『渡良瀬』についていつか「一筆書きのごとし」という感想を覚えたことがあったと思い出した。日録を探索してみると2014年4月15日の記事に、

〈この小説は昭和最後の秋から平成に変わる翌年の3月までの、妻と3人の子供を抱えた28歳の主人公の日常が活写されている。時の流れはたった半年間なのに人生を大きく包み込むような惻々とした感動を呼び醒まされる。人への優しい思いに溢れていて、あたたかい気持ちにもなれる。/ 20年ほど前雑誌『海燕』に連載中も欠かさず読んでいたが、時を隔てて完結したものを読むことができるよろこびは、なつかしさ以上の感慨をもたらしてくれた。すると、「一筆書きのごとし」というのは作品の底を流れる主題として見えてくるのだった。〉

 2017年『波』の書評で池上冬樹さんは、

〈生きることの手触りをひとつひとつ学ぶ、それが佐伯一麦の小説であるけれど、ここではそれが配電盤の仕事になり、配線の仕事が"この世界の中に、巨大な一筆書きを描くこと"であるという感覚を理解することができる。〉

  と書いておられる。嬉しい感応だ。

 ところでその日録記事のすぐ下には〈辻原登『冬の旅』で濫觴(らんしょう)という言葉にはじめて触れた。調べると、云々〉などと記述されている。たった6年前のことをすっかり忘れ果てているというのも情けないことであった。


2020年12月7日(月)

 札幌の義妹がリンゴをたくさん送ってくれた。車が故障中の折に、駅から職場、また職場から駅へと同乗させてくれた同僚などにお裾分けすることにした。「北海道は余市のリンゴです。無農薬のものを生産農家から直送されてきました。」ひとりの人にはこんなメモ書きをいれた。「ほどよい酸っぱさが格別」「昔のリンゴを食べているみたいで、なつかしい」などと好評だった。義妹に感謝感謝である。

 ところで、メモ書きを入れた直後に「○○のリンゴ」の○○が出てこなくなった。記憶喪失に陥った人はこんなにも苦しくて、哀しい思いをするのだろうと思いながら必死に考えた。やがて〈ああ余市〉と思い出す。ところがしばらくするとまた忘れている。ネットで調べたり、備忘のために手近な紙に走り書きしたこともあったが、すぐに思い出せなくなってしまう。地名が消えてしまうのだった。

 地図上の位置はわかっていたからそのたびに、小樽の近く、ニッカウヰスキー発祥の地、ことし春に逝ってしまった畏友Hさんのふるさと古平のあたり、など連想ゲーム風に記憶を掘り起こしてみる。忘れる、思い出す、なぜかこんないたちごっこみたいなことを10回以上繰り返すことになった。

 およそ24時間が過ぎた頃になって、○○はHさんの出た高校名ではないか、と思い当たった。最近同級生有志による遺稿集も出版された。するとこんなど忘れの繰り返しは「俺のことを忘れないでくれよな」というHさんからのメッセージかも知れない。うんもう忘れないよ、余市。


2020年12月8日(火)

 あたたかい陽射しの下に干したいと言うので敷き布団をはいだ。ついでにマットレスをひっくり返した。鋼鉄の台の下はほこりだらけである。もっと驚いたのはマットと机の隙間に突然消えた『図書』9月号が挟まっていたことだった。中断していた「大泉黒石2−トルストイを訪問した少年」(四方田犬彦)を読んだ。ほかにふたつ、気になる記事があったので続けて読んだ。時間を遡るような不思議な感じがした。

 ベッドの下のほこりはきちんと取り除いた。こちらは来たるべき大掃除の先駆けとなった。


2020年12月15日(火)

『新潮』1月号(「創作特集」)に載っている小説6篇を読んだ。読んだ順番は、金原ひとみ「テクノブレイク」、山田詠美「わいせつなおねえさまたちへ」、角田光代「弾丸祈願旅行」、高橋弘希「風力発電所」、阿部和重「Drugs And Poison」、そして多和田葉子「喇叭吹きのララ」。「テクノブレイク」だけがやや長めだったが、前作「アンソーシャル ディスタンス」ほどの衝撃はなかった。「勉強」したあとが透けて見えるせいかも知れない。面白かったが、6篇中の目玉とは思えない。それに比べて「わいせつなおねえさまたちへ」と「喇叭吹きのララ」は久しぶりに小説というものを堪能することになった。

 ある大学の入試問題に幸田文の随筆が出題されていた。漢字の読み方や意味で水芹、嫁菜などはわかるが、「撞木に突き当たったところ」なとどいうときの撞木はわからなかった。前後の文脈からT字路かと推測するが、自信はない。

 露伴の書物の題名とあとでわかるが『らん(この漢字はごんべんに欄のつくりの部分が組み合わさる)言・長語』もよくわからない。らん言は「流言」と似ているのか。長語は無駄なおしゃべりか。とすれば多分に韜晦を秘めた題名である。受験生に注もルビもなしで「理解しろ」というのはいまや酷なのかも知れない。

 ひよんなことからこの文章を読んで、ぼくはちょうど一年前に急逝した岡田幸文さんを思い出した。あるとき岡田さんは「この人に接すると他人のような気がしないんですよ、いやぁ、名前がね」と照れながら言った。きっと幸田文の文章が好きだったのにちがいないと思うのである。遅ればせながらぼくも読んでみようか。


2020年12月18日(金)

 楽天市場で2度目の買い物をした。ログインするときのパスワードを忘れたのはほんの序の口であった。「変更」のタブをクリックして送付先の名前や住所を何度入力しても反映されず、注文先つまり自分の住所のままである。仕方がないので、「お問い合わせチャット」なるものを開いてみた。

 はじめはとんちんかんな答が返ってきた。画面を見てみると「よくある質問」的な項目を出して当てはまればクリックしてくださいというのであった。自動応答システムと書いてある。そこで「全然解決しません」と返信すると「対人チャット」に切り替えますとなって「酒井さん」が登場した。

 2回ほどやりとりをしたところで酒井さんは「ブラウザのキャッシュとCookieをクリアして、最新の情報を読み込みましょう」と指示してくれた。操作のあとで注文画面に戻って入力すると送付先が孫の住所に変わった。深い理由はわからなかったが少なからず感動した。「できました。有難う御座いました」と返信すると「いえいえどういたしまして。また何かありましたら」と酒井さんは言った。

 ほどなくして届いた注文確認メールをみると「マンション名」が抜け落ちていた。楽天市場に出店している会社の電話番号が載っていたのでこんどはそこに電話してみた。応対したのは日本語のたどたどしい女性だった。マンション名を付け足して発送してくださいと頼めば「来週月曜には送れますので」「クリスマスプレゼントなのでそんなに早くても困ります」などと話が噛み合わない。またまた仕方がないので「メールで書き送っておきます」というとこれは分かってくれて、「そうしてください。たすかります」となった。

 その後楽天市場と出店会社から変更受理やら入金確認やらのメールが次々とやってきて無事終了した。3時から7時にかけての「経験」だった。心身ともにすり減った。


2020年12月22日(火)

 昨日が今年の冬至だった。新旧・陰陽を一つにするところ、すなわち、一陽来復。

『日本書紀』天智5年の条に「是冬、京都(みやこ)之鼠、向近江移(おうみにむかってうつる)」とあって、解説によれば鼠とは子のこと、冬は冬至を含む旧暦の11月、近江は浄御原宮の真北の子方であるという。易でいう子は太極(万物の根源・起源・原点、宇宙の中心)である。天智5年は遷都の前年、この記事はその予祝の占いだという。

 コロナ禍の一年だった。終熄のための遷都級の業(わざ)はないのだろうか。ことしはわが係累にも悲しい出来事があった。丑年の来年こそは、笑門来福を、と祈るばかりである。

2020年12月25日(金)

 その昔銀行業界紙の開設したばかりの名古屋支社に“就職”が決まったとき社長は自慢した。「この電話番号を見よ。252ー3591、三国一だぞ。」当時はなんとなく分かったつもりでいたが三国ってどの国々? 「三国一の花嫁」などというこの言葉が流通しなくなった今頃になって気になった。吉野裕子の本には「唐・天竺・日本、つまり当時における「世界」の宗教・哲学の総和」とある。千年以上前の心性がずっと残っていたわけである。

 攘夷のなかの「夷」も多様性を秘めた言葉であるようだ。東方の蛮族、蝦夷、夷狄(最近再読した『夷狄を待ちながら』ではthe Barbarians の訳語であった。)、また夷はえびす、七福神のひとつエビス神、日本の代表的な福神でもある。商いとは無縁の生活を送ってきたが「商売繁盛で笹もってこい!」のかけ声は甦る、あのえべっさん。
年に数回思い出したようにくるだけの迷惑メールがこの日にかぎって多いのはなぜだろうか。

 いま「世界」を席巻するコロナ禍、一掃してくれる神は何処にいるのであろうか。とりあえず、メリークリスマス!


2020年12月30日(水)

 陽が射してきたので玄関先に出てゴムの木の植え替え、龍眼の木の手入れ・寒さ対策などをしていると郵便屋さんが金網の向こうでバイクを止めた。左手に郵便物を数束握りしめている。うちの物かと早合点して「ありがとうございます」と手を差し出さんばかりとなった。郵便屋さんは右手で前のカバンを捜し終えると言った。「すいません。今日はないです」

 止まってわざわざ報告してくれる、心優しき若き郵便配達員に朝から出逢うことができて嬉しかった。「ご苦労様です!」腹の底から声が出た。

 その後、予想以上のぽかぽか陽気に励まされて車を洗った。その車には注連飾りをした。夜になって、近所に車で出かけると昼間とは様相が一変していた。寒いうえに、北風が吹きすさんでいる。畑脇の道は土ぼこりで瞬間視界ゼロ状態であった。せっかくの満月も茶色くかすんでいる。洗ったばかりの車にも土ぼこりの洗礼かと思えば思うほどに新しい年への期待がふくらむ。


2020年12月31日(木)

 大晦日、朝から夕方までにわがガラケーが受信したスパムメールは7通に及ぶ。届くとすぐに削除するので中身の詳細は覚えないがどれも「ともだち」あるいは「知り合い」を装ってよからぬサイトに誘導する類のように思える。「当選しました」「同窓会の幹事になりました」という変わり者もあった。

 年に数度しかやってこないこんな迷惑メールがこの日にかぎってなぜこんなに多いのだろうか。記憶は定かではないが去年まではこんなことはなかったように思う。すると発信する輩たちもよほどヒマを持て余しているか、相手側のステイホーム、つまり退屈を見越して「スパム効果」を期待していることになる。

 ともあれみなさまにはよいお年を。


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