日  録 つれない世の中 

2021年9月3日(金)

 10月下旬の気温だという。雨も風も冷たい。夕方、菅総理退陣のニュースが流れて報道が喧しい。そんなひとつに【「2A」と「2F」の仁義なき暗闘】の記事を思わず読んでしまった。Aは安倍と麻生だと見当が付いたが、Fがわからなかったからだ。記事を読んで「二階幹事長」ひとりと判明。暗闘の中身は知りたくもないが、古い政治家たちの、はしごを外したり外されたりの権力闘争にちがいあるまい。

 このことわざは「高い地位や役職に就いた後に、あるいはおだて上げ られた後に、味方する者が周囲にいなくなって孤立状態に陥ることを意味する」とある。孤立無援、上等じゃないかとかつて高橋和巳にしびれたことがある者は思うのであるが、とにかく2Aも2Fも見聞きするだにわれには“おとろしい”のだった。


2021年9月4日(土)

 終日雨。仕事を終えて車に乗り込んだところ小さなヤブ蚊が一緒に入り込んだ。追いかけて何度も柏手を打って潰そうとしたがその都度逃げられてしまう。なかなかすばしこい。やがてヤブ蚊は助手席の窓を添うように飛び回っている。いまだ、と窓を開けると外に出ていった。無体な殺生をしないで済んだと思ってほっとした。

 それはつかの間の善き心であった。前腕部に痛がゆい感覚が襲ってきた。奴め、いつの間に刺した! 家に着く頃までずっと痒く、見れば赤く腫れている。ぼくの負けであった。


2021年9月10日(金)

「いまから帰るよ」「気を付けてお帰りください」ぼくのガラケーは敢えて言うならば配偶者との間で週5日こんなメールがやりとりされるだけである。これだけのためにあるといっても過言ではない。

それでもなくては困るのが携帯である。なくて済ませられないものかと考えることもあるがもはや無理なようである。

ある朝、わがガラケーには「なんで無視するのよ(怒)」なんてメールが入った。これはスパム、番外編であるのですぐに削除した。


2021年9月15日(水)

 文庫本になったのを機に『ある男』(平野啓一郎)を読んだ。帯の惹句は「人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品」。その通り、また予想通り面白かったが、ぼくは芥川龍之介、トルストイ、梶井基次郎の「小説」からの引用があり、それが全篇に通底していることに注目した。

 この小説自体が「小説というもの」へのオマージュではないかと思ったのである。若い頃からずっと、小説を読むことで、人間を知り、その存在の脆さ、関係の危うさに思いを遣ってきたことを思い出した。遺産のように積み重なった「小説群」がなければ、ひとりの人生は味気のないものになるような気がした。

 午前2時頃突然目が覚めたとき、まったく久しぶりに「行逢坂」を読んでみようと思った。理由ははっきりしないが、黄ばんだ紙にのる煤けた活字を追うことはちよっとした快感だった。40年前ぼくはこんなことを考えていたのか、しかしいまとほとんど変わらないなぁと思う。

 同時によい小説はよい、と思う。幾つになっても実存はその時々の危機に直面し、危うさを回避するためにことばを探しているからだ。

 余談ながらテレビのインタビューで低学年の小学生が「○○が回避できてよかったです」と話していた。目を瞠った。つられてさっき回避を使ったけれどここは「危うさと折り合う」と言うべきだったかも知れない。


2021年9月17日(金)

 台風が近づいている。雨が降る前に車を洗っておこうと思った。近所の人が通りかかりに「これから雨ですよ。台風が来ますからね」と言った。「こんな日にするなんて、よほどの偏屈者ですよね」と自嘲気味に応じた。

「雨の日には洗車をしよう」というエッセーがあった。タイトルだけで中身は忘れているが、たしか五木寛之のものだったから、ヘンクツを誇示するようなものではなかったはずだ。

 明日台風を追いかけるように孫たちがやってくる。おじいちゃんの車にも乗りたい、なんて言うかも知れない。実はぼくの理由はこれであるが、ヘンクツと言うよりは、晴れた日にちゃんとやっとかんかい、準備が一夜漬け、ということか。


2021年9月20日(月)

 昨19日、息子夫婦、孫ふたり、それにわれらの6人で、6キロ離れた「ムーミンバレーパーク」に行った。10時頃に着いたが駐車場はほぼ満杯状態で、続々と車は続く。ナンバーは関東甲信越全域に及んでいる。小学生以下の子供を連れた若い夫婦が多い。

 アトラクション会場やムーミンの館などの施設はすぐには入れない。30分から60分待ちであった。食事も整理券を手に200人待ちの列に並んだ。都心からかなり離れたテーマパークだから空いているだろうという予想は外れたのだった。

 数年前までは釣り場だけだった宮沢湖は様相を一変してムーミン一色である。福岡の息子は人気スポットらしいと教えてくれた。知らぬは地元の人間だった。

 台風一過の青空が広がるなか、湖の回りを歩いた。息子の嫁さんの万歩計は1万を超えていたという。5歳の孫娘などはあちらへこちらへと走り回っていたので2万歩に達しただろう。楽しんでくれてよかったが、ニュースによればこの日、観光に行楽に、あらゆる場所にたくさんの人が繰り出したそうである。子供を中心にみんな外の空気を吸いたくてうずうずしているんだと実感した。もちろんわれらとて同様だ。


2021年9月24日(金)

 ガラケーからスマホに代えた。機種変更の手続きが済むまでにちょうど2時間かかった。時間が経つにつれてバベルの塔に紛れ込んでいくような気がした。スクリーンセーバー越しに小柄の女性が発するか細い声が遠のいていく。やがて聞こえてこなくなる。もうどうでもいいから早く帰って自分で勉強したい、などと思った。

 しかし、自宅に戻るともっとさっぱりである。とりあえず「みながすなるLINE」なるものに挑戦した。連絡帳のLINEユーザーすべてを一括で「許可」したためにプロパン屋さんまで「友人」にしてしまった。アバターやkeepなどのことばやアイコンの意味がわからない。

 ということで、勉強はどこまでも続く。陳腐だが長い線路のようである。こんなにたくさんの機能を覚えて使いこなすのは至難の業に思えるけれど。


2021年9月28日(火)

 新型コロナ感染者数が激減している。そのわけは何だろうか。第5波はオリ・パラ開催のせいだとぼくは思うが誰もそれを言わない。急拡大、急減少の本当の理由はわからないとなんとも釈然としない。今日の総理大臣の長々とした記者会見を聞いているとまるで自分たちの手柄のようではないか。このまま総選挙に入ればまた自民党が勝ってしまう。まったくむ漁夫の利に似ている。

 かと思えば「櫻井翔・相葉某結婚」などというニュースがスマホに飛び込んでくる。片方しか知らない当方は「ふたり」が結婚したのか、それにしても速報で流すほどのことか? と思ったのであった。ところが「W結婚」とも報じられるので、どういうことか、と考え込んでしまった。

 ぼくにはつれない世の中だが、高校時代からの友とLINEで近況を知り合うことができたのは唯一の救いである。


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