同級生

 踏切脇のその店では、当時タイ焼きを売っていた。
 一番近いバス停に行くときは通らないが、遠くてもターミナルに先回りして乗る必要が出てきたり、商店街に用事があるときは、きまってその店の前を通った。何度か買って、歩きながら食べたタイ焼きの記憶が、鮮明に甦ってきた。母屋は何屋さんだったか忘れたが、いまは父親の跡を継いだ石倉が「ポエム」という名前の喫茶店を開いている。二十数年になるようだが、ぼくが行くのは、衆議院選挙真っ最中の去年の夏が、四度目だった。
「もう焼かないのかい?」
「冬場の、ほんのいっときだけ、片手間でいまもやっているよ」 
 店先の、タイ焼きを売っていた場所ではもっぱら当地の名産であるお茶を商うらしい。
「ファンがいて、やめられないのだろ?」
「なんでわかるんだ」
「ぐれた振りをしていたが、お前は心根の優しい男だったからな」
 お世辞ではなかった。石倉は、酒・煙草・ケンカ・ずる休みなど、校則と呼ばれるものはことごとく破って平然としていたが、友達思いの男だった。冗談を言って座を和ませる才能は群を抜いていた。三年間山岳部に所属していた山男というのも、同級生みんなの信頼感を誘う。いまもここが地元にいる同級生の溜まり場になっているのは大いに頷ける。
 都会的なセンスを持った美形の奥さんが店に顔を出した。この前立ち寄ったのがもう五,六年前にもなるのに、ぼくの顔を覚えていた。肩入れしている候補者がいるらしく、前の夜の立ち会い演説会の話をして、また奥に引っ込んだ。
 タイ焼きの次にぼくは、同級生のひとり、とびっきりの美人で、頭もよく、みんなの憧れの的であったMのことを思い出した。

 何年か前の同級会の時に二十数年ぶりに逢っていた。二次会が終わって、車の拾える国道まで何人かを送ってくれる手筈になっていたマイクロバスに乗り込む間際のことだった。Mのほうから近づいてきて手を差し伸べた。その掌は、宵闇に咲く一輪の黄色い花を想起させた。Mは少しも変わっていなかった。小作りの、卵型の顔は高校生のときのままだ。かつても、前髪をあげて品のいい富士額をまる出しにしていたのである。
 Mとは三年間同じクラスだった。Mの名前を連日のように書き留めた日記が紛失し、野球部の猛者たちに回し読みされたのは一年生の時だった。丸一日見つからず、次の日の夕方、元通り鞄の中に戻っていた。親しかった部員が行き先をこっそり教えてくれた。もう忘れたが募る思いを綿々と書き綴っていたのにちがいない。その男は「似合いのカップルだとオレも思うよ」と慰めにもならないようなことを言った。中身を知っているような口ぶりだった。
 体育祭のときに貸した鉢巻が折りしも町中に溢れ出した金木犀のような香りを付けてぼくの元に戻ってきたのはその一年ほどあとのことである。このときは歓喜の叫びを挙げた。一世一代のお守りのように引き出しに仕舞っておいた。時折引っ張り出してこっそり匂いを嗅いだ。最後はどうしたのかこれも覚えていない。田舎を出る段になって日記を焼き捨てた記憶はあるが、鉢巻のそれは消えている。記憶も現物もどこにいったのかわからない。
 卒業した年の三月に、千年の昔から修験者が使ってきた飯道山に有志何人かで登ったことがあった。離れ難い思いや、すぐ先に待ち構えていた気の遠くなるような未知の時間を、一時の間忘れようとしたのに違いなかった。山頂の権現社の境内で、二つに分かれて陣取りゲ−ムのような幼稚な遊びに興じた。他愛ないもののほうが感傷的になっていたぼくらにはピッタリだった。そこでぼくは相手チ−ムだったMを勢い余って突き飛ばしてしまったのである。尻持ちをついたMの、ど肝を抜かれたような顔を忘れることができない。もちろんMは非難がましいことは何ひとつ言わなかった。

 もうひとつ、掌の記憶がある。高校二年の終りの予餞会でのことだった。町内に二つある映画館の一つを借り切って毎年行われてきた行事である。クラス単位で趣向を凝らしたものを演じて卒業生を送ろうというのであった。クラス委員だったMとぼくは、寸劇を企画した。シナリオをぼくが担当した。ぐれた友(石倉あたりがモデルだった可能性が高い)を更生させるというものだった。まず二人の主人公を誰が演じるかの段になって、Mとぼくにお鉢が回ってきた。どういう経緯か忘れたが、今風に言えば、クサくてやってられないよ、言い出しっぺがやれ、ということだったのだろう。あるいは、筋が陳腐だから、男役を女がやるという配役で新奇なところをみせる魂胆かも知れなかった。いずれにしろ、押しつけた級友たちに邪悪な心があったとは思われない。
 ぼくがぐれ役(つまり石倉)で、Mは立ち直らせる友人役だった。途中の展開は覚えていないが、ビンタをくらったあとに改心し、かたい握手(または、抱擁)をしたまま幕が下りるのであった。
 当日は野次の嵐が吹き荒れた。野次だけではなかった。ロウでてかてかに光った帽子(流行っていた!)やうす汚れたハンカチやコ−ラの空き缶が舞台の上を飛び交った。さんざんだった。まともに観てくれたのは同級生だけだったと思える。
 胸をかすかに膨らませた学生服姿のMが観客の興奮をいっそう煽った。Mは全校の、いわば、マドンナである。ちゃんと見てくれよ、と望む方が虫がよすぎた。この事態を予測できなかったのは、明らかに企画のミスであった。
 舞台のうえで握手をする二人の写真が古ぼけたアルバムにいまも残っている。確かにぼくはMの掌を握ったらしいのである。ところがこのときは、観客のヤジその他のために頭がボ−としていた。掌の感触はもとより、科白が言えたのかどうかもさだかではない。
 この歳になってこんな言い種が赦されるならば、Mに関して、思いは遠かった、のである。

 そんな記憶を反芻していると、石倉がスクラップ帳をカウンターに広げ始めた。
「Mさんに関する記事だよ。なかなかいいことをやっている。見てみろ」
 まるでぼくの心を見通したようなタイミングだった。
「同級生の消息は、何でも知っておきたいからね」
 弁解するように石倉は言ったが、そのスクラップ帳はどうみても「M専用」だった。
 そうか、みんながMを慕っていたということなんだ、とぼくは思った。自分一人のことのように考えては、普遍ロマンチシズムの罠に、また落ちる。
 帰りがけに、石倉の命を受けた奥さんが「新茶」の包みを差し出した。ありがたく受け取って、ぼくは「ポエム」をあとにした。 (「夢の往還」其の弐)
 


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