織る女

 
 天を衝くクスノキの大木、その蔭に埋もれた山門の柱に背を凭せかけて、門の前で大きくカーブする道路上で飛び跳ねる落ち葉を見遣っていた。私は裏の境目橋から境内に入り、背後から近付いていった。別にそのつもりはなかったが、ひどく驚いて振り返った。手に提げた紙袋がくるくると回転したほどだ。
 鉄柵で囲まれた、中央に二十メートルを優に超える沙羅双樹が聳え立つ一角に入り込んで、数百もの羅漢像を縫って歩いた。先導するのは、私だった。紙袋をぶらぶらさせながらその人はついてきた。ときおり立ち止まって羅漢の顔を長い間覗き込んでいた。形あるものはすべて、何かを待ち望む心性から自由になれない、ふとそんな警句めいたことばが浮かんだ。何かの本で読んで、記憶の片隅に残っていたのにちがいなかったが、この石の造形には格別の愛憎が湧くと思った。
 庫裡に上がり込んで、たまたま公開展示されていた絵巻物や木簡などの宝物を見終わると、縁台に坐って人の手があまり入っていない広い庭を眺めた。そこは、急ごしらえの茶席にもなっていた。
「こんなことをしていたら、いつか罰が当たる」
 志野焼の茶碗を掌にくるんだまま言った。知っている人に見咎められないように、互いの住まいから遠く離れた名刹を選んだのだった。そのことがすでに、罪の一歩である。 
「そこには何が入っているの?」
 作法通りお茶を飲む合間も身に寄り添わせるようにしたままの紙袋を引き寄せて、中を覗き込もうとした。
 すると、その人は、私の手首を矢庭に掴んだ。顔面を引きつらせて、泣きそうになっている。笠に着て弱い者を虐めているように思え、私は気が引けた。が、手首を半回転ねじって離れた隙に、逆にその人の手を握っていた。細長くてキレイだとずっとみとれてきた手は、思いがけず華奢だった。私の手は握り拳になっている。
「このまま持って帰ることにしたの」
 墓地になっている小高い丘に登り、登ったところとは反対側から降りて、その麓の茶店で、みたらし団子を食べた。十二月に入っていたが、陽射しさえあれば日中は、汗ばむほどだった。予報されていた暖冬のままに、日は過ぎていたのである。茶店の横の放生池にも陽の矢が幾本も刺さっていた。
 私は、見なくとも紙袋の中身を知っているような気がしてきた。帰り道、最寄りの駅に向かうタクシーの中で、あの頼りなかった、小さな掌の感触を思い出しながら、言い出しかねていることが自分にもあることに気付いた。
 神の御衣を織るために水辺に棚をかまえて、その上で機を織る女こそが、その人の正体であるのだった。碩学が看破したように、機あるいは幡が、霊の降り留まるべき依代であるとすれば、いったんは私のために編んだセーターに、私の全霊が降りて行くことを女は願ったのか。さらに、自らそれを拒否したということは、罰を受けてもあまりある恍惚の切っ先が私にはなかったということか。
 いずれにしても、私という過去の亡霊は、宙をさまようほかないのだった。(「夢の往還」其の参)
 


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